あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

日々の幸せ。

2011-03-08 | 日記
ボクの日課は深雪を学校に迎えに行くことである。
普段はガイドとしてお客さんを案内をしている街が、娘が学校に通うことにより別の街に見えてくる。新たな発見だ。
暑い日の帰りには一緒にアイスクリーム屋に立ち寄る。観光客の町とあってアイスクリーム屋も高級志向だ。旨そうなアイスが並び、深雪がどれにしようか迷っていると店員が試食をさせてくれる。
確かに美味いが値段も観光客向けである。毎日は食えないが、たまにはこういうのもよかろう。

昨日は学校の後、プールへ行った。
平日の午後はガラガラで、レーンのプールで300mほど一緒に泳ぐ。
深雪はボクの子供の頃よりよっぽど泳げる。
白状するが、ボクは子供の頃は泳げなかった。
まず水の中で目を開けられなかったし、息継ぎの仕方を知らなかった。
水面から上に顔が出たときに息を吐いて吸わなければならないと思っていた。
当然、うまくいくわけがない。苦しくてバタバタともがいてしまう。力が入りっぱなしなので長く泳げるわけがない。25mを泳ぐ頃にはゼーゼーと疲れ果ててしまう。なのでプールは嫌いだった。
だが海は好きだ。
水中眼鏡、シュノーケル、足ひれがをつけてのシュノーケリングは大好きだ。日本の夏に、何mか潜って貝を獲ったり魚をモリで突いたりしたこともあった。
タヒチやフィジーではサンゴ礁の海で何時間もシュノーケリングを楽しんだ。
それでもプールは水遊び程度で、レーンで泳いだことはなかった。
そして今回、この歳になってやっと、水の中で空気を吐けばいいことに気がついた。
呼吸が楽になると力が抜ける。ゆっくりと深雪のペースに合わせて泳ぐのは悪くない。
新しい発見である。
25mごとに止まって話をする。何本か一緒に泳ぎ、次は課題を与える。
「よしじゃあ次は休まずに一往復しよう。泳ぎ方は何でもいいぞ。」
ボクが見ていると深雪はゆっくりではあるが確実な泳ぎで50mを泳いだ。
「すごいすごい。よく頑張ったな。お父さんはオマエの年ではこんなに泳げなかったんだぞ。エライ!」
父親の役目とは子供にハードルを与え、それを乗り越えた子供を全力で褒めてあげることだ。
子供は自信をつけ、さらに高いハードルへの挑戦となる。
今回は200m泳ぐという目標だったが、深雪にはできるという自信がなかった。開けてみれば300m楽々と泳いでしまった。やればできるのだ。
こうやって正確な数字で出ると、さらにやる気が出ることだろう。
大人の指導者に必要なことは子供を褒めてあげることだ。そうすれば子供はいくらでも伸びる。
楽しい時間も必要だ。
流れるプールやレクレーションプールで一緒に遊ぶ。トモ子さんのところのニキも一緒に遊ぶ。
遊ぶ時には全力で遊ぶ。
シンクロナイズドスイミングの真似事をしたり、ビート板でボールを打ったり、どれだけ長い間水の中に潜るか競争したり。
その時ごとに集中して全力で遊ぶ。笑いは常に絶えない。
地震のおかげで親子でこういうことをする時間が持てた。

夜は夜で、寝るときに娘の寝顔を見れるのが今の一番の楽しみである。
なんで子供の寝顔はあんなに可愛いんだろう。
全ての親がそうなのだろうが、ボクにとって深雪の寝顔は世界一可愛い。
こんな可愛い娘と一緒に寝ることができるなんて、ボクは幸せ者だ。女房には申し訳ないが。
どうせ、あと何年かすれば一緒になんか寝てくれなくなるのだから、今この時を味わわせてもらおう。
ほお擦りをしたらヒゲがチクチクするのだろう。ほっぺたをボリボリかいていた。
今日は深雪はニキと一緒にキッズ・ヨガ。
これはトモ子さんが連れて行ってくれるし、明日はみんなでフリスビーゴルフへ行くことになっている。
毎日日替わりでイベント盛りだくさんだ。
毎晩寝る前にはみんなで「未来少年コナン」を観るのも楽しみである。

自分自身を地震の被災者とし『可哀想な被害者』を演じてはいけないと思う。
楽しむということは悪いことではないが、時に人は楽しむことに罪悪感を感じてしまう。
「クライストチャーチでは大変な思いをしている人がまだいるのに、自分がこんなに楽しんでいいのか」というように。
それは罪悪感を持つということが間違いなのだ。
今自分にできることは遠く離れた場所でも、そこにいる人達のことを考えながらでも、この状況を楽しむことだろう。
今だからこそ、そうなのだ。
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