あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

作務衣

2013-10-13 | 日記
作務衣はサムエと読む。
サブウェイでは無いぞよ。
先日は作務衣を着て1日庭仕事をした。
畑を耕し、寝かせてあった堆肥を掘り出した。
鶏の糞を集め穴に埋めて肥やしを作る。
そして畑の雑草を抜き、水をやる。
掃除や洗濯、畑仕事など日常の仕事を修行としてそこから何かを学ぶ。
これが禅の言葉でいう作務であり、その時に着るのが作務衣である。
瞑想をすることは大切だが、瞑想だけしていても野菜は育たない。
瞑想が靜なら作務は動ではないか。
そんなことを漠然と考えながら畑仕事をするのが好きだ。

好きこそ物の上手なれ、という言葉があるが好きであるということは最大の原動力であり、その思いが根底にあれば問題はない。
愛とも繋がっているな。
僕は静岡の出身で雪なんてものは数年に1回、近くの山がうっすら白くなる程度のものだ。
そういう環境で育ったので子供時代はスキーなんて無縁の物だったし、まさか自分がスキーをするなんて思ってもいなかった。
それがいつのまにかスキーを仕事としてやるようになった。
血のにじむような努力はしなかった。
上手くなる為にそれなりの練習もしたが、その練習さえも楽しかった。
そして今も楽しく滑っている。
全て好きというのが根底にあればこその話だ。
畑仕事も同じ事。
好きだから自分の時間をそこで使うことができる。イヤならばやらない。
ネットや本で調べる勉強も好きならば苦にならない。
好きだからあれやこれや考えて行動ができる。
そうやってできる野菜は旨く、自分達だけではなく友人家族も幸せにしてくれる。
この前できた大根は今にも走り出しそうな足をしていた。
なんとユニークではないか。
野菜は工業製品ではないのだぞ。
いろいろな形があってそれでよし。
人も又同じこと。
いろいろな人がいていろいろな考えがある。
自分は自分、他人は他人。
この言葉は読み方によっては、困っている人も助けない自分勝手な人の言い訳にもなるのだが、そうではない。
先ず自分ありき。
自分というものの内側をきっちりと見つめ、自己を確立する。
そして人と比較しない。
さらに相手を否定しない。
合わない人ならば無理に合わせず、合う人ならば杯を交わす。
人との違いを認めつつ生きていく言葉だと思う。

こうして僕は作務衣を着て家の仕事をする。
掃除、洗濯、炊飯、庭仕事、一昨日は半年に1回の石鹸作りもした。
トイレ掃除も、自分でトイレ掃除用の液を作るようになってから苦にならなくなった。
お金にならないが、全て人間が生きるうえで大切な仕事である。
そしてこうやって体を動かして仕事が出来るというのも健康あればこそ。
9月にケガをした時には家の仕事もままならなく、それがストレスにもなった。
今回のケガは健康のありがたさを再確認する意味もあったのだと思う。
10月も半ばになり、まもなく忙しい夏がやってくる。
その前に畑を耕して種を蒔くという楽しい仕事が待っている。
今日も又、僕は生かしてもらっている。
ありがたや。



コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鹿肉万歳 | トップ | 今日の夢 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そういえば (かな)
2013-10-18 17:58:21
うちの母が以前
日常生活のすべてが禅であり
瞑想なんだって言っていたのを
思い出した。

どうやら心が無になることが瞑想であり
その方法はどんなことでもいいって。

なんかひっぢさん、庭仕事しながら
瞑想しているんじゃないかなあって思ったのさ。

もうじきこっちに来るのかな?
お味噌とお塩、忘れずによろしくです♪
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事