築山古墳の前方部から東側にある集落の中に、古墳らしき森が見える。ただ、なかなか古墳に近づく道が見つからない。信證寺というお寺を東へいくと細い路地があり、そこを中に入っていくと古墳の東側に出る。
ただ、ここからでは古墳から近すぎて全貌がわからないため、さらに古墳の全景が見ることができる場所を捜索。路地を抜けると東西の道があり、そこから少し西に行くと駐車場があり、その奥の畑地と隣接した所にコンピラ山古墳の全景を見ることができる。
コンピラ山古墳は、もとは、直径55mほどの円墳と考えられていたが、近年の範囲確認のための調査が行われ、それによると直径95mとなり、円墳では、奈良県では、富雄丸山古墳に次ぐ大きさの古墳である。また、調査の際に円筒埴輪片や盾形や家形埴輪片などが見つかっており、それらによると古墳の築造は、5世紀の前半と考えられている。
築山古墳との関係では、ほぼ同じ頃に築造されており、築山古墳の外堤に近いところにあるので、陪冢と言えそうである。
これだけの古墳である。できうれば早期に史跡指定など行い、保存することも検討してほしい所である。(大和高田市で史跡指定されている古墳はないようである。)
元来た道を引き返すと、古墳の裾部を巡る道があった。
そして、さらに西側も駐車場の向こうから見える場所を発見
コンピラ山古墳から、再度築山古墳に戻ると、古墳の北側に児童遊園があり、その中にかん山古墳がある。公園はちょうど桜まつりで、ピンク色した提灯がぶら下がっていた。
公園の北側に、かん山と書かれた石碑が立てられて、どうやらその碑の奥にかん山古墳があった。
かん山古墳には、墳丘を登るための階段があり、それを登っていくと墳頂に上がることができる。また、そこから、南正面に築山古墳の雄大な姿を眺めることができる。
かん山古墳は、径40mほど円墳で、これも5世紀の前半と考えられている。埋葬施設は、粘土槨があり、木棺の一部が残っているようである。おそらく、この古墳も築山古墳の陪冢と考えることができそうである。
この後は、古屋敷古墳や大谷1号墳などをめざして歩き始めよう。
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