芝塚1号墳をでて、西南方向に向かって兵家の集落の中を歩く。田畑の中に古民家なども建っていて、日本的な情緒を感じながら、徐々に山の麓の道を登っていく。
集落を出て、しばらく歩くと兵家の浄水場の入り口の前に出る。
ここから左に曲がって、もう少し道を登ると、平林古墳の横穴式石室の入り口が突然左手に現れる。予想外の展開に驚きながらも石室の開口部に近づいていく。
石室までのアクセスが、コンクリートで固められ、しかも扉が施錠されていて入室できないようになっているのが少し興ざめではあるのだが、石室の扉に近づいてみるとびっくり。なんと人の姿を感知すると自動的にライトが点灯するようになっていた。
扉から石室の奥までは、結構な距離があり、羨道部に石棺の底石が残っており、さらに向こうに両袖式の玄室がライトに照らされて浮かび上がっていた。
横穴式石室のデータを記すと、石室の全長は20.1mとかなり長い。そのうち玄室は、長さ5.7m、幅3.8m、高さ3.8mとなっていて、残念ながら、どう頑張ってみても玄室の天井を見ることはできない。また、羨道は、長さ8.8m、幅1.9m、高さ2m、また、天井石のない前庭部と言うのがあり、それが5.6mもある。
羨道の手前の石は閉塞石の残りなんだろうか?
1958年、兵家浄水場の建設の際に発掘調査が行われており、その際に画文帯四仏四獣鏡や金銅製の馬具、鉄製武具などが出土している。
羨道に置かれたままの追葬用の組合せ式の石棺の底石。玄室には、これとは別に石棺と木棺が置かれていたと考えられている。
改めて羨道などを見ると使用されている石材もしっかりしているし、表面も平らに加工されている。左側の側壁は内側に持ち送っているように見える。
平林古墳の全体としては墳丘長62mの前方後円墳であり、埋葬施設である横穴式石室は後円部にある。古墳が築造されたのは6世紀の後半であると考えられる。これまで見てきた古墳では一番最後に造られた古墳である。
墳丘の上に登ることもできるのだが、訪問した時は、墳丘上の草を業者が刈り取っている所であり、作業の邪魔になっては悪いからと登ることは断念。もしかしたら、大和平野が一望できるのではないだろうか。
前方部の方がかなり高い様子。しかも山側にある。
平林古墳からは南阪奈道路をくぐって、二塚古墳に向かうことにした。葛城の国の古墳めぐりもなかなか快調であった。
【地図リンク】
平林古墳
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