石上大塚古墳から少し道を戻ってウワナリ塚古墳に行く道と分かれる四つ角を左に曲がって、ウワナリ塚古墳や石上大塚古墳が気づかれた丘陵を下る。途中給水塔があり、その横を抜けていく感じである。
この辺りから別所大塚古墳に隣接している別所の集落までの道は、奈良らしいのどかな雰囲気の風景が見られる。ここから別所の集落までは、緩やかな下り道なので歩いていても心地いい。
今回は、ウワナリ塚古墳、石上大塚古墳のある平尾山丘陵を下り、一旦別所の集落に中を抜けて、別所大塚古墳の前方部に出るルートを取った。
別所の集落を抜けると、突然、別所大塚古墳の姿が目に入る。
別所大塚古墳は全長125mの二段築造の前方後円墳であり、周囲には周濠を巡らせており、現在もかなり明確に周濠の跡が残っている所がある。
別所大塚古墳は、横穴式石室を持っていたのだが、近代に入って、土取りなどで破壊されてしまっている。実見はしていないが、全長20mにもおよぶ巨大な石室があったと考えており、後円部の墳丘にはかなり大きくえぐられているということである。また、破壊された時には、組合せ型石棺や人骨、金銅製の鈴などが出土したそうだ。(所在不明)
なお、近隣の山の辺小学校の傍に別所大塚古墳から出土した石棺の石材と言われるものが置かれているらしい。
別所大塚古墳の東側にはため池があるが、周濠の跡を改変して造ったものではなさそうで、もともとため池のある東側には周濠がなかった可能性が指摘されている。
別所古墳群は、別所大塚古墳を中心に、別所鑵子塚古墳や塚山古墳などの前方後円墳5基と17基の円墳から構成される古墳群で、6世紀に入ってから造営が始まり、別所大塚古墳が造られた6世紀の中頃にピークを迎えている。
築造の順番で行くと、別所大塚古墳→石上大塚古墳→ウワナリ塚古墳→岩屋大塚古墳という事になりそうである。
ここに埋葬された豪族は、おそらくこの辺りを基盤としていた物部氏の一族であろうと考えられるが、同じ頃、天理大学の周辺にある杣之内古墳群も同じ時期に塚穴山古墳などの大型古墳が造営されていることから、物部氏も、二つの系統があったことが想定されそうである。
この後は、別所鑵子塚古墳を通って、天理駅に行くことにしよう。もう、かなり陽が暮れてきていた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます