ブログ katsukazan/活火山★時々の四方山話

今夜も映画で行こう

日本映画でヤクザ映画、任侠映画は1960年後半から1970年前半が全盛だった。

日活は渡 哲也の無頼派系と高橋英樹の男の紋章、大映は市川雷蔵の若親分、勝新太郎の悪名と座頭市、東映は高倉健が網走番外地、昭和残侠伝、日本侠客伝、藤純子が非牡丹博徒がシリーズ化され、鶴田浩二はどちらかと言えば、シリーズ化されない作品に出演。総長賭博、人生劇場・飛車角、ギャング系がヒットしていた。
松竹系は、あまり無かったのではないか記憶しているが、文芸侠客・任侠路線と云うべきか、人生劇場<竹脇無我・田宮二郎>と花と竜<渡 哲也>が記憶に残る。


そうした中で東映のそれは作品の量と質から他社の追従を許さない状況だったのでは。

全共闘運動が最盛期を迎えた70年前夜、東映の土曜深夜オールナイト上映では、健さんこと高倉健、鶴田浩二、そして藤純子の映像に団塊の世代は酔いしれていた。

東映はかって、時代劇映画の名門であり、チャンバラ映画(時代劇)の延長上に当時の作品群があったのではなかろうか。

東映任侠・股旅もの系チャンバラ映画は、講談、浪曲のテーマにあった、あるいは長谷川伸の大衆小説の中のヒーロー<国定忠治><沓掛時次郎><番場の忠太郎><清水次郎長><笹川繁蔵><飯岡助五郎>や股旅物を、主役中心の制作コンセプトでプロデュースされたものだ。

これらの延長線上に、高倉健の網走番外地、昭和残侠伝、日本侠客伝、藤純子の非牡丹博徒がシリーズ化されたと考えられる。

ここで興味深いのは、これらの作品群が後年東映のヒットシリーズ<仁義なき戦い>につながるものの、制作スタンスが全く異なることだ。

深作欽二監督の<仁義なき戦い>は、実録物として数々の手法が取り入れられている。

ハンドカメラを多用したカメラワーク、津島利章作曲になる臨場感溢れる音楽、随所にとりいれられたハリウッド映画の脚本コンテンツなど。

それまでの映画はまず主役ありきで構成されていた。

それは、舞台・演劇の世界を映像化してきた日本映画の伝統を踏襲したものに対し、<集団劇>の映画制作手法だろう。

この集団劇により、東映・大部屋の男優は後年すべてスターになる。
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