松下幸之助は、成功の条件の第一に「熱意」を挙げることが多かった。熱意などという平凡な条件こそが、成功するための第一歩であり、同時にいちばん大切なものであると考えていたのである。よく次のように言っていた。
「仕事をする、経営をするときに何がいちばん大事かと言えば、その仕事を進める人、その経営者の熱意やね。あふれるような情熱、熱意。そういうものを、まずその人が持っておるかどうかということや。熱意があれば知恵が生まれてくる」
松下幸之助が成功した理由は、決してひとつに帰することができるものではない。だが、もし、あえてひとつだけ挙げよと言われたら、それは、熱意であると思う。いかに才能があっても、知識があっても、熱意の乏しい人は絵に描いた餅に等しい。強い熱意があればこそ、何をなすべきかが思いつく。
「たとえば、販売のやり方がわからん、けど、なんとしても商売を成功させたい、そういう懸命の思い、熱意というものがあれば、そこになんとかしようという工夫が生まれ、成功の道が発見されるようになるんやな。
新しい商品をつくりたい、と、ほんまにそう考えるのであれば、人に素直に教えを乞う、指導を仰ぐ、謙虚に耳を傾けるということもできるわな。いちばんうまくいく方法も考え出されてくる」
保険の勧誘をする人の中で、いちばん多く契約を取る人といちばん少ない人とでは、その契約高に100倍以上の開きがあるという。同じ会社で同じ商品を扱いながら、これだけの差が生まれるのは、やはり仕事に対する心構えに、根本的な原因があるのではないか。熱心に仕事に取り組んでいる人は、つねに「こうしたらどうだろうか」とか「この次はこんな方法でお客さまに話してみよう」というように、工夫を凝らし、いろいろ効果的な方法を考える。また、同じことを説明するのにも、自然と熱がこもり、気迫があふれる。
「わしは学問もあまりないし、そのうえ体も弱かった。そういう点では、たいていの部下より劣っている。そのようなわしが、ともかくも大勢の人の上に立ち、経営にそれなりの成功を治めることができたのは、一(いつ)にかかって熱意にあったと思う。
この会社を経営していこうという点については、自分が誰よりも熱意を持たなくてはいけない、それが自分にとっていちばん大事なことだ、と、いつも心掛けてきた」
もし、少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、強い熱意があれば、その姿を見て多くの人が協力してくれるようになる。「あの人は熱心にやっているのだから、同じことであれば、あの人から買ってあげよう」「あの人が気がついていないようだから、これをひとつ教えてあげよう」と、目に見えない加勢が自然に生まれてくる。熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢を大きく動かしていく。
たとえば、なんとしてでもこの2階に上がりたいという熱意があれば、ハシゴというものを考えつく。ところが、ただなんとなく上がってみたいなあと思うぐらいでは、ハシゴを考えだすところまでいかない。「どうしても、なんとしてでも上がりたい。自分の唯一の目的は2階に上がることだ」というくらいの熱意のある人が、ハシゴを考えつくのである。
いくら才能があっても、それほど2階に上がりたいと思っていなければ、ハシゴを考えだすところまではいかない。ぜひともやってみたいという熱意があればこそ、その人の才能や知識が十分に生きてくる。何をなすべきかが次々と考えが浮かんでくる。最近の研究によれば、人間の一生で脳は、ほんの10%も使われていないのだという。だとすれば、その限りない潜在能力を引き出すのもまた、熱意である。
だから、もし望んでいることがうまくいかないのならば、ひるがえって、ほんとうの熱意を、自分が持っているのかを考えてみる必要がある。
はたして、自分の熱意が本物であるかどうか。成功と失敗の分岐点は、そこに尽きるのだとさえ言っていいと思う。仕事を成功させたい、発展させたいという燃えるような情熱があれば、おのずと成功の知恵が見つかるものである。
困難に直面したとき、私は次のような松下の言葉を思い出す。
「世間は誰ひとりとして、きみの成功を邪魔したりせんよ。やれないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、つねに心しておく必要があるな」
松下は能力を、あまり重視していなかった、と言っていいかもしれない。それほどに、人材を起用するときは能力よりもむしろ、その人に熱意があるかどうか、体にみなぎるほどの正しい熱意があるかどうかを、判断の基準にしていた。能力というのは、誰でもそう差があるものではない、という考え方であった。
「人を起用するときに、能力はだいたい60点ぐらいもあれば十分やね。あとはその人の情熱でいくらでも伸びる。しかし、能力はあるけれども熱意が不十分だということになれば、そういう人をいくら起用してもだめやったな。
熱意があれば必ず事業は成功する。けど、尋常一様な熱意ではあかんで。きっとこの事業を発展させようという、体ごとの、正しい熱意でないとな」
「仕事をする、経営をするときに何がいちばん大事かと言えば、その仕事を進める人、その経営者の熱意やね。あふれるような情熱、熱意。そういうものを、まずその人が持っておるかどうかということや。熱意があれば知恵が生まれてくる」
松下幸之助が成功した理由は、決してひとつに帰することができるものではない。だが、もし、あえてひとつだけ挙げよと言われたら、それは、熱意であると思う。いかに才能があっても、知識があっても、熱意の乏しい人は絵に描いた餅に等しい。強い熱意があればこそ、何をなすべきかが思いつく。
「たとえば、販売のやり方がわからん、けど、なんとしても商売を成功させたい、そういう懸命の思い、熱意というものがあれば、そこになんとかしようという工夫が生まれ、成功の道が発見されるようになるんやな。
新しい商品をつくりたい、と、ほんまにそう考えるのであれば、人に素直に教えを乞う、指導を仰ぐ、謙虚に耳を傾けるということもできるわな。いちばんうまくいく方法も考え出されてくる」
保険の勧誘をする人の中で、いちばん多く契約を取る人といちばん少ない人とでは、その契約高に100倍以上の開きがあるという。同じ会社で同じ商品を扱いながら、これだけの差が生まれるのは、やはり仕事に対する心構えに、根本的な原因があるのではないか。熱心に仕事に取り組んでいる人は、つねに「こうしたらどうだろうか」とか「この次はこんな方法でお客さまに話してみよう」というように、工夫を凝らし、いろいろ効果的な方法を考える。また、同じことを説明するのにも、自然と熱がこもり、気迫があふれる。
「わしは学問もあまりないし、そのうえ体も弱かった。そういう点では、たいていの部下より劣っている。そのようなわしが、ともかくも大勢の人の上に立ち、経営にそれなりの成功を治めることができたのは、一(いつ)にかかって熱意にあったと思う。
この会社を経営していこうという点については、自分が誰よりも熱意を持たなくてはいけない、それが自分にとっていちばん大事なことだ、と、いつも心掛けてきた」
もし、少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、強い熱意があれば、その姿を見て多くの人が協力してくれるようになる。「あの人は熱心にやっているのだから、同じことであれば、あの人から買ってあげよう」「あの人が気がついていないようだから、これをひとつ教えてあげよう」と、目に見えない加勢が自然に生まれてくる。熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢を大きく動かしていく。
たとえば、なんとしてでもこの2階に上がりたいという熱意があれば、ハシゴというものを考えつく。ところが、ただなんとなく上がってみたいなあと思うぐらいでは、ハシゴを考えだすところまでいかない。「どうしても、なんとしてでも上がりたい。自分の唯一の目的は2階に上がることだ」というくらいの熱意のある人が、ハシゴを考えつくのである。
いくら才能があっても、それほど2階に上がりたいと思っていなければ、ハシゴを考えだすところまではいかない。ぜひともやってみたいという熱意があればこそ、その人の才能や知識が十分に生きてくる。何をなすべきかが次々と考えが浮かんでくる。最近の研究によれば、人間の一生で脳は、ほんの10%も使われていないのだという。だとすれば、その限りない潜在能力を引き出すのもまた、熱意である。
だから、もし望んでいることがうまくいかないのならば、ひるがえって、ほんとうの熱意を、自分が持っているのかを考えてみる必要がある。
はたして、自分の熱意が本物であるかどうか。成功と失敗の分岐点は、そこに尽きるのだとさえ言っていいと思う。仕事を成功させたい、発展させたいという燃えるような情熱があれば、おのずと成功の知恵が見つかるものである。
困難に直面したとき、私は次のような松下の言葉を思い出す。
「世間は誰ひとりとして、きみの成功を邪魔したりせんよ。やれないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、つねに心しておく必要があるな」
松下は能力を、あまり重視していなかった、と言っていいかもしれない。それほどに、人材を起用するときは能力よりもむしろ、その人に熱意があるかどうか、体にみなぎるほどの正しい熱意があるかどうかを、判断の基準にしていた。能力というのは、誰でもそう差があるものではない、という考え方であった。
「人を起用するときに、能力はだいたい60点ぐらいもあれば十分やね。あとはその人の情熱でいくらでも伸びる。しかし、能力はあるけれども熱意が不十分だということになれば、そういう人をいくら起用してもだめやったな。
熱意があれば必ず事業は成功する。けど、尋常一様な熱意ではあかんで。きっとこの事業を発展させようという、体ごとの、正しい熱意でないとな」