彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『新収蔵の資料』 青木秀好写真

2008年12月06日 | 博物館展示
まずは、管理人宅のPC不良によりしばらく更新があまりできなかったことをお詫びいたします。

さて2008年12月6日に彦根城博物館ではテーマ展『新収蔵の資料』にちなんだギャラリートークが行われました。
今回は平成13年から今までの間に彦根城博物館に新たに収蔵された資料が展示されています。

本来なら一度にご紹介するのですが、今回は面白い資料も多くいくつかを分けてご紹介します。

まず1つ目は「青木秀好写真」
(以降、管理人の感想)
これは2008年11月11日に中日新聞で紹介され、一部の歴史ファンから注目された写真です。
この青木秀好という人物は、幕末の彦根藩士で銃隊の小隊長だった人物でした。
人物としては彦根藩藩士の一人というだけなのですが問題は見つかった写真です。

彦根藩が鳥羽伏見の戦いでいち早く官軍に味方して、東北まで官軍として旧幕府軍と戦ったことはあまり知られていませんが、その理由の一つとしては戊辰戦争に関わる軍編成の資料の中に彦根藩士の装備に関した資料が一切現れていないことも考えらえます。

今までは「資料が無い」とも思われていたのですが、青木秀好の写真が日の目を見るようになり新たな期待も生まれたのです。


写真を見ると、江戸幕府では外様の地位にあった大名家で官軍にいた隊が装備するような雰囲気の洋装で、しかし他の藩は左腕に付けていた合印を右腕に付けています。
帽子はシルクハットに似ているように思うのですが、手元の資料にはこの帽子で戦いの加わった他藩の隊の記載が見つからず、洋装に合わせたのか、それとも戊辰戦争で使用したのかが謎です。
胴乱は写真を見る限りでは当時もっとも使われた「米式胴乱」ではないでしょうか?胴乱とは弾薬携帯用の鞄の事で、銃隊の小隊長ならば必須アイテムだったように思われます。

手には日本刀を持っていますが、下緒(刀が落ちないように鞘元に巻いた紐)がしっかりあることから背負った物ではなく腰に差していたと考えた方が良いと思います。


維新前夜を知る事ができる珍しい資料ですよ。
コメント
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