2008年11月27日、28日に横浜関内ホールで行われた『近江みちのくに講座』
江竜喜之さんの講演の後に、田渕久美子さんの講演も行われました。これは彦根城博物館の野田浩子さんとの対談形式でした。
『大河ドラマ「篤姫」で描いた井伊直弼』
大河ドラマ「篤姫」脚本:田渕 久美子 さん
対談相手・彦根城博物館学芸員:野田 浩子 さん
(野田)
ひこにゃんが活躍する前は「彦根と言えば?」というと国宝の天守閣があったのと、人物で言うと井伊直弼が全国的に有名だったかと思うのですけれども、今回の大河ドラマ『篤姫』で田渕さんは篤姫の敵役的な所はあったとは思うのですけれども井伊直弼を取り上げていただきました。
井伊直弼という人物は、ドラマに描く前はどんな印象を持っておられましたか?
(田渕)
殆どの方が同じ感想をお持ちのように、“国賊”とまでは言いませんが“多くの人々の命を奪った憎むべき男の人”なのであろうと、世間の人は捉えていると思いましたが、やはり私は物を書く人間ですのでそれだけではなく、その奥にあるものをとにかく掴みたいという想いで取り組みました。
(野田)
そうですね。井伊直弼という人物はどうしても沢山の人を殺したという歴史的な名前で言いますと“安政の大獄”という事で、悪い人だという印象が殆どの人のあると思います。
あとは“桜田門外の変”で暗殺されたという事で、“死”や“殺す”という事にイメージを持たれる人物ですね。悪い政治をして殺された人物だと。
ただ日本全国ほとんどそういうイメージですが、日本の中で2ヶ所だけ良いイメージの場所があります、一つは地元彦根ですね、もう一か所は横浜です。横浜掃部山公園には井伊直弼の銅像が建っております。開港・開国が井伊直弼の150年前の条約を結んだ事で横浜の町が開けたと、横浜の方は直弼に良いイメージを持っていただいているかと思います。
ただ全国的に悪いイメージがどうして直弼に植えつけられてしまったのか?というのは、少し歴史的に深いところがあると思います。と言いますのはやはり明治維新に誰が政権を担ったかと考えますと。
(田渕)
薩長ですね。
(野田)
あの人たちが、篤姫は薩摩の出身ですが、薩摩・長州の人たちにとっては井伊直弼は敵なんです、そういう人たちが政権を握って教科書レベルまで「直弼は悪い人だ」という印象を持たせるようになったのだと思います。
鎖国や身分制度で江戸時代全体が暗いイメージを持たれていたかもしれません、ただ今回の大河ドラマで大奥を含めてこれまでとは違う江戸時代のイメージが紹介されたのではないかと思います、その辺りはいかがですか?
(田渕)
あの、そういう意味では色んな事を言われる井伊直弼ですが、演じられる俳優さんにとっては井伊直弼・坂本龍馬・田沼意次とか、あの辺りの決まり役と言うか「この役はやってみたい」という役の一つが井伊直弼だと思います。そういう意味では今回、中村梅雀さんが凄く若作りなさってクッとお演りになって下さいましたが、「本当に演り甲斐がある」と仰っていました。
俳優さんとしては演り甲斐があると言う意味においても、それだけ注目されている人物だと思います。
ただ私は今回は篤姫に関しましても、今は皆さん篤姫を知っていただいていますが、(放送前は)ほとんどの方が篤姫の事もご存じなくて、更に小松帯刀に至ってはもう「誰それ?」と名前が出ても全くお分かりにならないような人物でした。そういう方に光を当てたいという気持ちが凄くありました。
同じ意味においても井伊直弼もそうですが、様々な立場で「その方たちが何をなそうとしたか?」に光を当てたいと、同じ意味でやりまして、そういう意味では井伊直弼という人物も私にとってやり甲斐がある人物と言いましょうか、見直し甲斐が最もある人物でしたね。
(野田)
私が観ていましても江戸時代を専門にしている者としましては、例えば大奥の女性たちも色んな立場の方が居られますが、そんな一つの社会と言いますか、今で言うならキャリアウーマンがいっぱいの社会、女性の職場としての大奥という見方もできるのかな?と思ったのです。
(田渕)
そうですね。「女のドロドロした社会」と言われてきた大奥だと思うのですが、そうじゃなくて女の人たちも生き甲斐を持って働いていたんだ。仕事をちゃんとしていたんだ。と表現したくて、本寿院様だけはちょっと別ですけど(笑)本寿院様は出てくるだけで笑っちゃいますけど、あの方は別としても、稲森いずみさんがお演りになっている役どころもそうですし、本当に皆んながそれぞれの役をこなしていっているという描き方をしていますし、また凄く美しいですよね着物からセットから…
あれで予算が取られるんですよ(会場爆笑)
本当に今回は馬も出てこないし、馬のシーンなんか書くとお金が掛るのですぐにカットされるんです。“早馬が駆ける”と書くと「ここカットです」と言われて「馬が出ると予算が掛る」と言われるんです。でも今回は大奥のセットが素晴らしいのであれでほとんどの予算は取られています。
(野田)
江戸時代のああいう所も最近研究が進んできまして、この大河ドラマに合わせまして展覧会が開催されましたが、ああいう中でも新しい資料を参考に“江戸城はこういう暮らしであった”とあるいは“将軍家定公はこんな方であったんですよ”という新しい歴史の見方を紹介された事もあったと思います。
私が気になるのは将軍家定公なんですけれども、その辺りのお話をお願いします。
(田渕)
家定は堺雅人さん。私は今回の大河で「この方はこの役に」とお願いした中のTOPでとにかく「堺雅人、堺雅人、堺雅人」と叫び続けたくらい堺さんを家定に推したかったんです。
と言いますのは篤姫の時代というのは“唯唯諾諾と親に言われれば教えに従い、想いを背負って嫁に行き、自分の故郷が攻めて来ようが最後まで徳川を守る”というのは、ちょっと前の方ならば「それはそうよね」と仰ると思うのですが、今の若い人は「帰りゃいいじゃない薩摩に」と皆さん絶対思うに決まっているな。と思ったんですね。それでは若い人たちが日本を創った人たちのドラマに触れる機会が無いと思いまして、とにかく若い女性にでも分るドラマ、その為には篤姫が最後まで徳川家を守り抜くと決心する為の何かが必要だという事で、それには夫との愛情関係だと思ったのです。
それで“うつけ(ちょっとバカな殿様)と言われた方ですが、それはあくまでも表の顔で、実は裏は違ったんだ、非常に物を見通す眼があり見通せたからこそ演じていた。それを篤姫に見抜かれてしまい、そしてその愛情が高まって高まって高まった頃に亡くなっていく、そして「家族なんだ」と言われた事を心の糧にして大奥の皆んなを纏めていくという覚悟をする”という話にすれば若い人も「そうなんだ」と思ってくれると思ったんですね。
それには表の顔と裏の顔をちゃんと演じ分ける魅力的な家定という人が必要で、私にとっては目が決め手だったのですが、良いですよねあの目でグッとやられるとヒョロっとなっちゃいそうな、あの目がとても良くて、とにかくそういう思いがありまして家定公を堺さんと決めました。
でも井伊直弼も実は(家定は)うつけでは無いという事を残してらっしゃるんですよね?
(野田)
そうなんです、実はですね彦根城博物館には井伊直弼の書いた書状などを保管していて、私たちはそれを紹介しているお仕事をさせていただいているのですが、井伊直弼あるいは側近が書いた将軍家定公に関する記録があります、その中に“将軍家定はお菓子を作るのが好きだった”と実際書いてあり、カステラや饅頭を作ったというのが書いていました。そういうのが反映されてドラマでということですね。
(田渕)
いただきました。
(野田)
あるいは大老になってすぐなのですが、家定と直弼が二人だけで話をする機会があった時に、「将軍は今までうつけと聞いていたがそんな事はない、賢明な判断ができる立派な方なんだ」という風に直弼は直接会って感想を書いています。
ですので家定がうつけというのは、反直弼方の後継ぎに一橋慶喜を推した人たちが流した陰謀ではないかと私たちは思っています。「バカだから賢い人を次の将軍に」というような図式があって本人が知らない間に周りの人たちの所で“バカな家定”という像が出来上がっていたのではないか、しかし直弼は直接会ってそうじゃないんだと自分の感覚で、主君として立派な方だと考えたのではないかと思います。
あの辺りの政治的なやり取りを描かれるのは、かなり大変だったのではないでしょうか?篤姫も後継ぎ問題にかなり巻き込まれていますから。
(田渕)
はい、観ている方が混乱しないかどうかかなり気にしながら、でも「篤姫の性格描写にはこれは使えるな」と思いまして、家茂を推す家定。でも自分は父親には一橋慶喜だと言われてきている。この間に挟まった彼女の苦しみというのを、彼女の性格描写に凄く使わさせていただいたので、私としてはドラマにし易い枷でした。
(野田)
家定が後継ぎを家茂に選んだというのは確実に史実としてあります。と言いますのは家定はうつけと言われていて判断力が無かったと言われてきましたが、そうではなくやはり直弼の資料の中に、まず直弼が大老になる事を選んだのも家定なんですね。
それは歴史的なややこしい話になりますが、老中の堀田が朝廷に条約調印を求めますがダメだった、帰って来た時に将軍に「ダメでしたごめんなさい」と言った時、自分は失敗して次はどうするか?という話になり、堀田は家定に「自分は身を引いて一旦(一橋派の)福井藩主松平春嶽に大老をさせたらどうか?」と言います、すると家定は「そんな事は出来ない。大老は井伊家が就任するのが定法なので大老にするなら井伊直弼しかないんだ」とはっきりと答えたので直弼が大老になったと直弼側の記録に書かれています。
それを知らない第三者が外から見ていますといつの間にか直弼が大老に決まったという言い方をされますが、ちゃんと将軍自身の判断で決まったんだという所がありますね。
井伊家は“譜代大名筆頭”という言われ方をしますが保守の本流なのです、今で言うなら官僚と与党です。それに対して一橋派、薩摩もそうですが野党というか野党ですらないのです。本当は政治的な発言をできる立場ではなかったのです、それが幕末の中で発言力を増してきて、その一つのきっかけとして「将軍の後継ぎを自分の派閥の人にすれば発言権が増すのではないか」との中で将軍の後継ぎ争いが出てきた訳です。ですから将軍自身も二百数十年守ってきた方針を変える筈が無いんです、家康以来の考え方で幕府の方針を考えていくと次の将軍は紀州の慶福しかないのですが、その辺りが薩長の歴史観になると誤魔化されてしまってるというような所があったかもしれないですね。
(田渕)
野田さんのお話を聞いていると、本当に井伊直弼という人物はこれくらいしないといけないほどに地に落ちている方なんですね。
(野田)
一番大事な所が誤魔化されてきたと思っています(会場爆笑)
薩長の歴史観に日本国民が騙されてきていたのだと思いますね。
(田渕)
そうですか、聴き入ってしまいましたが。
(野田)
直弼をドラマの中でどの様に描かれたのかという事をお聞かせ下さい。
(田渕)
私は井伊直弼と篤姫の心が繋がる時、つまり篤姫という人物が様々体験を経て人間的に多面的で幅のある人物にしていきたいと思っていましたので、そういう事の表現の一つとして、井伊直弼という人物が自分のしている事を“役割”としてそれだけの覚悟を持ってなしたのであるという事を、彼女がちゃんと理解しているというのを表現したいと思っていました。それにはやはり最も敵方を目される人物との交流が一番人の心を打つであろうと思ったのです。
ですから井伊直弼という方は私にとっては見せ場の一つで、彼女が井伊直弼という人にさえも自分の幅を見せ交流ができるという、一番の極めつけのシーンだと、長い50話の全体の中でも篤姫と井伊直弼のシーンは私の凄く好きなシーンでもありますし特別なシーンだと思っています。
そこで出ていただく為にも、そこまでは嫌な井伊さんで居ていただくことがドラマの作り方としては一番盛り上がりますので嫌な「本当嫌!もう嫌い!!」と皆さんの声が聞こえ来るような井伊直弼を中村梅雀さんが演じて下さっているのが、福々しい顔だったのがちょっとアレですが、でもそういう意味では見せ場を作れたありがたい方ですし、私は実際そうだったと思うんですね。なかなかあれだけの事を人はできないと私は思います。
この間ドラマの中で「上に立つ人間の孤独」というのをセリフで書いたのですが、それだけの事を思いつきはしても成し遂げられる人がどれだけいるだろうか?との観点に立ってもやはり特別な人だったのではないか?と思いますね。
(野田)
そうですね、直弼の考えを資料を読む中で思う事は「大老(井伊家という家)は、将軍の決断を補佐するものだ」と思っているようです。本来将軍が国のTOPですので大きな決断をしないといけない。徳川家康や初期の将軍はしていましたがその後はそんなに大きな決断をする機会も無かったと言いう所があります。ですが幕末になり条約を結ぶかどうか以来いろんな決断を将軍がしないといけなくなりますが、TOPが決断をするには周りのブレーンがいろんなアドバイスといいますか情報を仕入れて、どの決断が良いかを考え補佐をする。それが直弼の大老としての役割だったのではないかと思うのです、直弼はあくまでも「将軍家の為に」というのが考えの根本にあったと思います。
(田渕)
ドラマが分かり易かったですよね。井伊直弼という方があの時代に居て下さり、ああいう決断をし、あくまでも徳川将軍家を。というような言い方をして生きた姿というのは、反対派の人たちを浮き彫りにし易かったですし、ドラマを作る人間の立場から言わせていただくとありがたい方でしたね。
中村梅雀さんは最後、本当に倖せそうな顔をなさって殺されていらっしゃいました(笑)駕籠に乗られて。
私は滅多に現場に行かないのですが、どうしても桜田門外の変のシーンだけは観たかったので出掛けて行きましたら全部セットって室内で撮ってるんですね。上手い監督なんですけど。見事だったし、あの撮影が終わった後の梅雀さんの倖せそうなお顔といったら無かったです。あの瞬間私は「これで井伊直弼さんも浮かばれたのではないだろうか?」と思った程でした(会場爆笑)
(野田)
今回の大河ドラマでの井伊直弼像というのは今までとかなり皆さんの印象が変わったのではないか。と彦根市民の中でも喜んでいる声を聞きました。
(田渕)
私、彦根に行くと良い事ありますかね?
(野田)
そうですね、是非とも彦根にお越しください。
(田渕)
伺いたいです、本当に。
(野田)
やはりあのお茶のシーンは印象的だったと伺います。直弼という人物は大老としての政治家という面を持っていますが、文化人としても知られておりましてお茶ですね。若い頃から文武諸芸はしているのですが最終的に行きついたのはお茶でした。武家の茶道の石州流という流派ですが自分で勉強もいたしまして古典・千利休の本なども読み一つの流派をかため最終的に『茶湯一会集』という本に纏めます。そこの最初に書いてある事が“一期一会”という言葉です。この言葉も色んなところで聴きますが井伊直弼が言い始めた言葉なのですね。「茶会というものはこの茶会も一生に一回だけのものなんだ、ですから今の茶会も心を込めておもてなしをしよう」という意味を込めておるのが一期一会というものですね。
お茶のシーンは、梅雀さんは自分で点てられたんですよね?
(田渕)
そう思います、やはり素晴らしいですあの方は。
(野田)
お茶室で二人向かい合うだけでも心が通じ合ったかと思います。
(田渕)
梅雀さんも素晴らしいですが、それを向こうに回しているあおいちゃんという女優さんは凄い娘ですよね。本当に感心します。あの若さでよくもまぁと…
(ここで大河ドラマ『篤姫』のOPが会場に流される)
(田渕)
このタイトルバックも新しいですよね、今までの大河とはちょっと違う。
宮崎さんは撮影が終わってもいつまでも篤姫が抜けないらしくて、「自分を嫌いになりそうだ」と仰ってました。「篤姫に戻りたい」と仰ってましたね。
瑛太さんもいいですね、衣装を脱ぐと全然別の人になっちゃうんです。
私の一押し役は慶喜役の平岳太さんです、平幹二郎さんと佐久間良子さんの息子さんですけど、あの方は現代ものでも素晴らしいと思います、凄く良い若者です。
(大河ドラマ『篤姫』第27話。家定が世継ぎを慶福に決めたことを篤姫に告げるシーン)
(大河ドラマ『篤姫』第32話。篤姫と直弼の茶席のシーン)
(野田)
ここに井伊直弼の心がそのまま凝縮されていたように思います、敵役というのではなく描いていただけるとしたらどういう風なイメージになりますか?
(田渕)
えっ!?(会場に笑)
敵役でないとしたら…
それは『井伊直弼』というドラマを作らないと、今は何とも申せませんが、良いシーンでしたね「誰が書いたんだ」と思いました私も(笑)
(田渕・野田)
ありがとうございました。
江竜喜之さんの講演の後に、田渕久美子さんの講演も行われました。これは彦根城博物館の野田浩子さんとの対談形式でした。
『大河ドラマ「篤姫」で描いた井伊直弼』
大河ドラマ「篤姫」脚本:田渕 久美子 さん
対談相手・彦根城博物館学芸員:野田 浩子 さん
(野田)
ひこにゃんが活躍する前は「彦根と言えば?」というと国宝の天守閣があったのと、人物で言うと井伊直弼が全国的に有名だったかと思うのですけれども、今回の大河ドラマ『篤姫』で田渕さんは篤姫の敵役的な所はあったとは思うのですけれども井伊直弼を取り上げていただきました。
井伊直弼という人物は、ドラマに描く前はどんな印象を持っておられましたか?
(田渕)
殆どの方が同じ感想をお持ちのように、“国賊”とまでは言いませんが“多くの人々の命を奪った憎むべき男の人”なのであろうと、世間の人は捉えていると思いましたが、やはり私は物を書く人間ですのでそれだけではなく、その奥にあるものをとにかく掴みたいという想いで取り組みました。
(野田)
そうですね。井伊直弼という人物はどうしても沢山の人を殺したという歴史的な名前で言いますと“安政の大獄”という事で、悪い人だという印象が殆どの人のあると思います。
あとは“桜田門外の変”で暗殺されたという事で、“死”や“殺す”という事にイメージを持たれる人物ですね。悪い政治をして殺された人物だと。
ただ日本全国ほとんどそういうイメージですが、日本の中で2ヶ所だけ良いイメージの場所があります、一つは地元彦根ですね、もう一か所は横浜です。横浜掃部山公園には井伊直弼の銅像が建っております。開港・開国が井伊直弼の150年前の条約を結んだ事で横浜の町が開けたと、横浜の方は直弼に良いイメージを持っていただいているかと思います。
ただ全国的に悪いイメージがどうして直弼に植えつけられてしまったのか?というのは、少し歴史的に深いところがあると思います。と言いますのはやはり明治維新に誰が政権を担ったかと考えますと。
(田渕)
薩長ですね。
(野田)
あの人たちが、篤姫は薩摩の出身ですが、薩摩・長州の人たちにとっては井伊直弼は敵なんです、そういう人たちが政権を握って教科書レベルまで「直弼は悪い人だ」という印象を持たせるようになったのだと思います。
鎖国や身分制度で江戸時代全体が暗いイメージを持たれていたかもしれません、ただ今回の大河ドラマで大奥を含めてこれまでとは違う江戸時代のイメージが紹介されたのではないかと思います、その辺りはいかがですか?
(田渕)
あの、そういう意味では色んな事を言われる井伊直弼ですが、演じられる俳優さんにとっては井伊直弼・坂本龍馬・田沼意次とか、あの辺りの決まり役と言うか「この役はやってみたい」という役の一つが井伊直弼だと思います。そういう意味では今回、中村梅雀さんが凄く若作りなさってクッとお演りになって下さいましたが、「本当に演り甲斐がある」と仰っていました。
俳優さんとしては演り甲斐があると言う意味においても、それだけ注目されている人物だと思います。
ただ私は今回は篤姫に関しましても、今は皆さん篤姫を知っていただいていますが、(放送前は)ほとんどの方が篤姫の事もご存じなくて、更に小松帯刀に至ってはもう「誰それ?」と名前が出ても全くお分かりにならないような人物でした。そういう方に光を当てたいという気持ちが凄くありました。
同じ意味においても井伊直弼もそうですが、様々な立場で「その方たちが何をなそうとしたか?」に光を当てたいと、同じ意味でやりまして、そういう意味では井伊直弼という人物も私にとってやり甲斐がある人物と言いましょうか、見直し甲斐が最もある人物でしたね。
(野田)
私が観ていましても江戸時代を専門にしている者としましては、例えば大奥の女性たちも色んな立場の方が居られますが、そんな一つの社会と言いますか、今で言うならキャリアウーマンがいっぱいの社会、女性の職場としての大奥という見方もできるのかな?と思ったのです。
(田渕)
そうですね。「女のドロドロした社会」と言われてきた大奥だと思うのですが、そうじゃなくて女の人たちも生き甲斐を持って働いていたんだ。仕事をちゃんとしていたんだ。と表現したくて、本寿院様だけはちょっと別ですけど(笑)本寿院様は出てくるだけで笑っちゃいますけど、あの方は別としても、稲森いずみさんがお演りになっている役どころもそうですし、本当に皆んながそれぞれの役をこなしていっているという描き方をしていますし、また凄く美しいですよね着物からセットから…
あれで予算が取られるんですよ(会場爆笑)
本当に今回は馬も出てこないし、馬のシーンなんか書くとお金が掛るのですぐにカットされるんです。“早馬が駆ける”と書くと「ここカットです」と言われて「馬が出ると予算が掛る」と言われるんです。でも今回は大奥のセットが素晴らしいのであれでほとんどの予算は取られています。
(野田)
江戸時代のああいう所も最近研究が進んできまして、この大河ドラマに合わせまして展覧会が開催されましたが、ああいう中でも新しい資料を参考に“江戸城はこういう暮らしであった”とあるいは“将軍家定公はこんな方であったんですよ”という新しい歴史の見方を紹介された事もあったと思います。
私が気になるのは将軍家定公なんですけれども、その辺りのお話をお願いします。
(田渕)
家定は堺雅人さん。私は今回の大河で「この方はこの役に」とお願いした中のTOPでとにかく「堺雅人、堺雅人、堺雅人」と叫び続けたくらい堺さんを家定に推したかったんです。
と言いますのは篤姫の時代というのは“唯唯諾諾と親に言われれば教えに従い、想いを背負って嫁に行き、自分の故郷が攻めて来ようが最後まで徳川を守る”というのは、ちょっと前の方ならば「それはそうよね」と仰ると思うのですが、今の若い人は「帰りゃいいじゃない薩摩に」と皆さん絶対思うに決まっているな。と思ったんですね。それでは若い人たちが日本を創った人たちのドラマに触れる機会が無いと思いまして、とにかく若い女性にでも分るドラマ、その為には篤姫が最後まで徳川家を守り抜くと決心する為の何かが必要だという事で、それには夫との愛情関係だと思ったのです。
それで“うつけ(ちょっとバカな殿様)と言われた方ですが、それはあくまでも表の顔で、実は裏は違ったんだ、非常に物を見通す眼があり見通せたからこそ演じていた。それを篤姫に見抜かれてしまい、そしてその愛情が高まって高まって高まった頃に亡くなっていく、そして「家族なんだ」と言われた事を心の糧にして大奥の皆んなを纏めていくという覚悟をする”という話にすれば若い人も「そうなんだ」と思ってくれると思ったんですね。
それには表の顔と裏の顔をちゃんと演じ分ける魅力的な家定という人が必要で、私にとっては目が決め手だったのですが、良いですよねあの目でグッとやられるとヒョロっとなっちゃいそうな、あの目がとても良くて、とにかくそういう思いがありまして家定公を堺さんと決めました。
でも井伊直弼も実は(家定は)うつけでは無いという事を残してらっしゃるんですよね?
(野田)
そうなんです、実はですね彦根城博物館には井伊直弼の書いた書状などを保管していて、私たちはそれを紹介しているお仕事をさせていただいているのですが、井伊直弼あるいは側近が書いた将軍家定公に関する記録があります、その中に“将軍家定はお菓子を作るのが好きだった”と実際書いてあり、カステラや饅頭を作ったというのが書いていました。そういうのが反映されてドラマでということですね。
(田渕)
いただきました。
(野田)
あるいは大老になってすぐなのですが、家定と直弼が二人だけで話をする機会があった時に、「将軍は今までうつけと聞いていたがそんな事はない、賢明な判断ができる立派な方なんだ」という風に直弼は直接会って感想を書いています。
ですので家定がうつけというのは、反直弼方の後継ぎに一橋慶喜を推した人たちが流した陰謀ではないかと私たちは思っています。「バカだから賢い人を次の将軍に」というような図式があって本人が知らない間に周りの人たちの所で“バカな家定”という像が出来上がっていたのではないか、しかし直弼は直接会ってそうじゃないんだと自分の感覚で、主君として立派な方だと考えたのではないかと思います。
あの辺りの政治的なやり取りを描かれるのは、かなり大変だったのではないでしょうか?篤姫も後継ぎ問題にかなり巻き込まれていますから。
(田渕)
はい、観ている方が混乱しないかどうかかなり気にしながら、でも「篤姫の性格描写にはこれは使えるな」と思いまして、家茂を推す家定。でも自分は父親には一橋慶喜だと言われてきている。この間に挟まった彼女の苦しみというのを、彼女の性格描写に凄く使わさせていただいたので、私としてはドラマにし易い枷でした。
(野田)
家定が後継ぎを家茂に選んだというのは確実に史実としてあります。と言いますのは家定はうつけと言われていて判断力が無かったと言われてきましたが、そうではなくやはり直弼の資料の中に、まず直弼が大老になる事を選んだのも家定なんですね。
それは歴史的なややこしい話になりますが、老中の堀田が朝廷に条約調印を求めますがダメだった、帰って来た時に将軍に「ダメでしたごめんなさい」と言った時、自分は失敗して次はどうするか?という話になり、堀田は家定に「自分は身を引いて一旦(一橋派の)福井藩主松平春嶽に大老をさせたらどうか?」と言います、すると家定は「そんな事は出来ない。大老は井伊家が就任するのが定法なので大老にするなら井伊直弼しかないんだ」とはっきりと答えたので直弼が大老になったと直弼側の記録に書かれています。
それを知らない第三者が外から見ていますといつの間にか直弼が大老に決まったという言い方をされますが、ちゃんと将軍自身の判断で決まったんだという所がありますね。
井伊家は“譜代大名筆頭”という言われ方をしますが保守の本流なのです、今で言うなら官僚と与党です。それに対して一橋派、薩摩もそうですが野党というか野党ですらないのです。本当は政治的な発言をできる立場ではなかったのです、それが幕末の中で発言力を増してきて、その一つのきっかけとして「将軍の後継ぎを自分の派閥の人にすれば発言権が増すのではないか」との中で将軍の後継ぎ争いが出てきた訳です。ですから将軍自身も二百数十年守ってきた方針を変える筈が無いんです、家康以来の考え方で幕府の方針を考えていくと次の将軍は紀州の慶福しかないのですが、その辺りが薩長の歴史観になると誤魔化されてしまってるというような所があったかもしれないですね。
(田渕)
野田さんのお話を聞いていると、本当に井伊直弼という人物はこれくらいしないといけないほどに地に落ちている方なんですね。
(野田)
一番大事な所が誤魔化されてきたと思っています(会場爆笑)
薩長の歴史観に日本国民が騙されてきていたのだと思いますね。
(田渕)
そうですか、聴き入ってしまいましたが。
(野田)
直弼をドラマの中でどの様に描かれたのかという事をお聞かせ下さい。
(田渕)
私は井伊直弼と篤姫の心が繋がる時、つまり篤姫という人物が様々体験を経て人間的に多面的で幅のある人物にしていきたいと思っていましたので、そういう事の表現の一つとして、井伊直弼という人物が自分のしている事を“役割”としてそれだけの覚悟を持ってなしたのであるという事を、彼女がちゃんと理解しているというのを表現したいと思っていました。それにはやはり最も敵方を目される人物との交流が一番人の心を打つであろうと思ったのです。
ですから井伊直弼という方は私にとっては見せ場の一つで、彼女が井伊直弼という人にさえも自分の幅を見せ交流ができるという、一番の極めつけのシーンだと、長い50話の全体の中でも篤姫と井伊直弼のシーンは私の凄く好きなシーンでもありますし特別なシーンだと思っています。
そこで出ていただく為にも、そこまでは嫌な井伊さんで居ていただくことがドラマの作り方としては一番盛り上がりますので嫌な「本当嫌!もう嫌い!!」と皆さんの声が聞こえ来るような井伊直弼を中村梅雀さんが演じて下さっているのが、福々しい顔だったのがちょっとアレですが、でもそういう意味では見せ場を作れたありがたい方ですし、私は実際そうだったと思うんですね。なかなかあれだけの事を人はできないと私は思います。
この間ドラマの中で「上に立つ人間の孤独」というのをセリフで書いたのですが、それだけの事を思いつきはしても成し遂げられる人がどれだけいるだろうか?との観点に立ってもやはり特別な人だったのではないか?と思いますね。
(野田)
そうですね、直弼の考えを資料を読む中で思う事は「大老(井伊家という家)は、将軍の決断を補佐するものだ」と思っているようです。本来将軍が国のTOPですので大きな決断をしないといけない。徳川家康や初期の将軍はしていましたがその後はそんなに大きな決断をする機会も無かったと言いう所があります。ですが幕末になり条約を結ぶかどうか以来いろんな決断を将軍がしないといけなくなりますが、TOPが決断をするには周りのブレーンがいろんなアドバイスといいますか情報を仕入れて、どの決断が良いかを考え補佐をする。それが直弼の大老としての役割だったのではないかと思うのです、直弼はあくまでも「将軍家の為に」というのが考えの根本にあったと思います。
(田渕)
ドラマが分かり易かったですよね。井伊直弼という方があの時代に居て下さり、ああいう決断をし、あくまでも徳川将軍家を。というような言い方をして生きた姿というのは、反対派の人たちを浮き彫りにし易かったですし、ドラマを作る人間の立場から言わせていただくとありがたい方でしたね。
中村梅雀さんは最後、本当に倖せそうな顔をなさって殺されていらっしゃいました(笑)駕籠に乗られて。
私は滅多に現場に行かないのですが、どうしても桜田門外の変のシーンだけは観たかったので出掛けて行きましたら全部セットって室内で撮ってるんですね。上手い監督なんですけど。見事だったし、あの撮影が終わった後の梅雀さんの倖せそうなお顔といったら無かったです。あの瞬間私は「これで井伊直弼さんも浮かばれたのではないだろうか?」と思った程でした(会場爆笑)
(野田)
今回の大河ドラマでの井伊直弼像というのは今までとかなり皆さんの印象が変わったのではないか。と彦根市民の中でも喜んでいる声を聞きました。
(田渕)
私、彦根に行くと良い事ありますかね?
(野田)
そうですね、是非とも彦根にお越しください。
(田渕)
伺いたいです、本当に。
(野田)
やはりあのお茶のシーンは印象的だったと伺います。直弼という人物は大老としての政治家という面を持っていますが、文化人としても知られておりましてお茶ですね。若い頃から文武諸芸はしているのですが最終的に行きついたのはお茶でした。武家の茶道の石州流という流派ですが自分で勉強もいたしまして古典・千利休の本なども読み一つの流派をかため最終的に『茶湯一会集』という本に纏めます。そこの最初に書いてある事が“一期一会”という言葉です。この言葉も色んなところで聴きますが井伊直弼が言い始めた言葉なのですね。「茶会というものはこの茶会も一生に一回だけのものなんだ、ですから今の茶会も心を込めておもてなしをしよう」という意味を込めておるのが一期一会というものですね。
お茶のシーンは、梅雀さんは自分で点てられたんですよね?
(田渕)
そう思います、やはり素晴らしいですあの方は。
(野田)
お茶室で二人向かい合うだけでも心が通じ合ったかと思います。
(田渕)
梅雀さんも素晴らしいですが、それを向こうに回しているあおいちゃんという女優さんは凄い娘ですよね。本当に感心します。あの若さでよくもまぁと…
(ここで大河ドラマ『篤姫』のOPが会場に流される)
(田渕)
このタイトルバックも新しいですよね、今までの大河とはちょっと違う。
宮崎さんは撮影が終わってもいつまでも篤姫が抜けないらしくて、「自分を嫌いになりそうだ」と仰ってました。「篤姫に戻りたい」と仰ってましたね。
瑛太さんもいいですね、衣装を脱ぐと全然別の人になっちゃうんです。
私の一押し役は慶喜役の平岳太さんです、平幹二郎さんと佐久間良子さんの息子さんですけど、あの方は現代ものでも素晴らしいと思います、凄く良い若者です。
(大河ドラマ『篤姫』第27話。家定が世継ぎを慶福に決めたことを篤姫に告げるシーン)
(大河ドラマ『篤姫』第32話。篤姫と直弼の茶席のシーン)
(野田)
ここに井伊直弼の心がそのまま凝縮されていたように思います、敵役というのではなく描いていただけるとしたらどういう風なイメージになりますか?
(田渕)
えっ!?(会場に笑)
敵役でないとしたら…
それは『井伊直弼』というドラマを作らないと、今は何とも申せませんが、良いシーンでしたね「誰が書いたんだ」と思いました私も(笑)
(田渕・野田)
ありがとうございました。