彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:関鉄之介斬首(5月11日)

2012年05月11日 | 何の日?
文久2年(1862)5月11日、桜田門外の変で水戸浪士の現場指揮を執った関鉄之介が処刑されました。享年39歳。

桜田門外の変の実行犯は18人とされています、そして関鉄之介はこの中で16番目の死者となります。残る二人は江戸時代を生き抜いて明治まで生き延びますので、実質的には桜田門外の変実行犯の最後の犠牲者となるのです(被害者側の彦根藩ではこののちに関係者の静粛が行われます)。


桜田門外で水戸浪士が井伊直弼を討ったことが水戸藩に知れ渡ると、直弼の政敵だった徳川斉昭は、浪士たちを褒めるどころか、犯人捕縛を藩士に命じました。
たとえ個人的には敵を討った功労者であっても、公とすると幕府の最高責任者を暗殺した政治犯でしかないのですから、公人の斉昭の立場では当然の命令だったのです。

こうして、各地で匿われていた実行犯たちは捕えられ処刑されたり、捕まる前に自害するなどしてどんどん数を減らしていったのでした。
関鉄之介は水戸での協力者を頼り、あちらこちらを移動していたのですが、水戸藩内では行き場を失ったので飛び地である越後に移動したのです。
そして文久元年10月23日に湯沢温泉で潜伏中に水戸藩士に捕えられたのでした。

水戸藩士に捕えられても、浪人という立場で政治犯である以上は取り調べは幕府が行うことになり、小伝馬町で斬首されたのです。
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