治承元年(1177)年6月1日、平家追討の密談が行われました。
平清盛の全盛時代、「平氏でなければ人では無い」とまで言われていました。
そんな強大な独裁者が登場すると、当然それに反発する人々が現れます。
その反発者達は、法勝寺執行・俊寛の山荘がある京都東山鹿ヶ谷の山荘で行われました。主宰は平宗盛に右大将の位を取られた大納言・藤原成親。
参加者は俊寛、検非違使・平康頼、院の御倉預・西光、摂津源氏・多田行綱…
そして、後白河法皇の姿もあったのです。
会は、進んでいきますが具体的に平氏を倒す案は出ず、悪く言えば負け犬の遠吠、良く表現するなら被害者がお互いの傷を嘗めあっているだけでした(良く表現されてないなぁ…)
法皇の供として場に居た浄憲は、この事が清盛の耳に入って法皇に危害が及ぶ事を恐れ、早く場から法皇を連れて去りたかったのです。
それを成親に伝えると、成親は怒って立ち上がりました。するとその勢いで法皇の前に置かれた瓶子(へいじ)が倒れたのです。
これを見た参加者は不吉な気持ちになり沈んでいきました。
すると成親は「なんと、瓶子(=平氏)が倒れたぞ!」と叫んだのです。
これを聞いた法皇は大喜びして、成親の後に続く言葉を促しました。
すると「瓶子が多すぎて酔ってしまった」という言葉の後に西光が「それはならん、そんな瓶子の首など刎ねてしまえ!」と叫び瓶子のくびれた部分を折ったのでした。
これを見た他の参加者も、次々と瓶子の首を折って大笑いしたのです。
当人達はこんな事ですっきりするんだから、所詮小者の集まり。
信念のない小者の僻みだっただけなんでしょうが、行綱が西八条邸の清盛を訪ねて密告したのです。
清盛は参加者を捕縛しました。
西光は清盛の前に引き出され、清盛は「これがワシに歯向かって平氏を滅ぼそうと企んだ奴のなれの果てか」と言うと、履物を履いたまま西光の顔を踏みつけたのです。
凄いですね清盛! 新しい趣味でしょうか?
この後、清盛と西光の子どものような口喧嘩が続いた挙句、大人げなく切れた清盛は西光の口を裂いて処刑したのです。
藤原成親は首謀者でありながら清盛の嫡男・重盛の妻の兄という立場でもあったので自分の身は安全だと安心しきっていました(この時点で陰謀の失敗は目に見えてるやん・汗)
そして清盛に呼ばれて西八条邸に向かい、まんまと捕縛されたのです(…信じられないでしょうが史実です、歴史に名を残すアホですね)。西光の自白があるため罪は確定しますが、重盛の手前流罪となったのです。
しかし、清盛に成親を助ける意志はなく、毒酒を飲ませますが死なず、鉄の刺股を並べた崖に突き落とされました。
成親の息子・成経、平康頼、俊寛は鬼界ヶ島に流罪になります。
3年過ぎた頃、成経と康頼は許されて都に戻りますが、一番都に帰りたがった俊寛は島に残されそのまま亡くなったのです。
平清盛の全盛時代、「平氏でなければ人では無い」とまで言われていました。
そんな強大な独裁者が登場すると、当然それに反発する人々が現れます。
その反発者達は、法勝寺執行・俊寛の山荘がある京都東山鹿ヶ谷の山荘で行われました。主宰は平宗盛に右大将の位を取られた大納言・藤原成親。
参加者は俊寛、検非違使・平康頼、院の御倉預・西光、摂津源氏・多田行綱…
そして、後白河法皇の姿もあったのです。
会は、進んでいきますが具体的に平氏を倒す案は出ず、悪く言えば負け犬の遠吠、良く表現するなら被害者がお互いの傷を嘗めあっているだけでした(良く表現されてないなぁ…)
法皇の供として場に居た浄憲は、この事が清盛の耳に入って法皇に危害が及ぶ事を恐れ、早く場から法皇を連れて去りたかったのです。
それを成親に伝えると、成親は怒って立ち上がりました。するとその勢いで法皇の前に置かれた瓶子(へいじ)が倒れたのです。
これを見た参加者は不吉な気持ちになり沈んでいきました。
すると成親は「なんと、瓶子(=平氏)が倒れたぞ!」と叫んだのです。
これを聞いた法皇は大喜びして、成親の後に続く言葉を促しました。
すると「瓶子が多すぎて酔ってしまった」という言葉の後に西光が「それはならん、そんな瓶子の首など刎ねてしまえ!」と叫び瓶子のくびれた部分を折ったのでした。
これを見た他の参加者も、次々と瓶子の首を折って大笑いしたのです。
当人達はこんな事ですっきりするんだから、所詮小者の集まり。
信念のない小者の僻みだっただけなんでしょうが、行綱が西八条邸の清盛を訪ねて密告したのです。
清盛は参加者を捕縛しました。
西光は清盛の前に引き出され、清盛は「これがワシに歯向かって平氏を滅ぼそうと企んだ奴のなれの果てか」と言うと、履物を履いたまま西光の顔を踏みつけたのです。
凄いですね清盛! 新しい趣味でしょうか?
この後、清盛と西光の子どものような口喧嘩が続いた挙句、大人げなく切れた清盛は西光の口を裂いて処刑したのです。
藤原成親は首謀者でありながら清盛の嫡男・重盛の妻の兄という立場でもあったので自分の身は安全だと安心しきっていました(この時点で陰謀の失敗は目に見えてるやん・汗)
そして清盛に呼ばれて西八条邸に向かい、まんまと捕縛されたのです(…信じられないでしょうが史実です、歴史に名を残すアホですね)。西光の自白があるため罪は確定しますが、重盛の手前流罪となったのです。
しかし、清盛に成親を助ける意志はなく、毒酒を飲ませますが死なず、鉄の刺股を並べた崖に突き落とされました。
成親の息子・成経、平康頼、俊寛は鬼界ヶ島に流罪になります。
3年過ぎた頃、成経と康頼は許されて都に戻りますが、一番都に帰りたがった俊寛は島に残されそのまま亡くなったのです。