昨日彼に誘われて阪急交通社主催の「天王山ハイキング」約8.5km 約4時間に参加した。季節がいいこの時期にたくさん歩いておこうと思う。
今日のコースは長岡公園(スタート)→長岡天満宮→阪急西山天王山駅→小倉神社→天王山山頂→酒解神社→旗立松展望台→宝積寺→離宮八幡宮(ゴール)
4月18日(土)
阪急長岡天神駅に降り徒歩10分、集合場所の長岡公園広場に着くと、なんとまぁ~参加者の長い行列が出来ていて続々と人々が集まって来る。「トラピックスハイキング祭り」、確かにお祭り雰囲気だ。
工程案内チラシをもらって歩き出し、先ずは「長岡天満宮」に参拝する。もみじの若葉が朝の陽の光を透し大変綺麗で、清々しいこの季節ならではの景観だ。キリシマツツジもここ3・4日もすれば真っ赤に咲き揃うことだろう。
長岡天満宮に関しては学問の神様・菅原道真公をお祀りしている神社であり、霧島つつじの名所と知るのみであったが、今日歩いて分かったのは八条ケ池も観光スポットらしい。かつて訪れた錦水亭の前に来て気づく事、〝筍のフルコース”の忘れられないお味にいつか又と思っていると、あれからもう10年以上も経っているではないか・・・今日は錦水亭の館を見て通るだけ。(笑)
(画像はクリックすると拡大する)
お天気良し、気温も高めでアスファルト舗装の道を延々と歩き続け疲れてきた時漸く阪急西山天王山駅に到着。高速道路の高架下にある駅なんてホント珍しいよな。
天王山入口の大きな看板を見ながら、ハイキング係員の方に「ここまで来るだけでもう疲れましたわ。」とこぼすと、「頑張ってください。もう少し行くと又良いことがあるかもです。」と励まされ苦笑。アスファルトの坂道が続いていたが、諦めるには少し早いかなと頑張る。
小倉神社が近くなって竹林が多くなってきた。タケノコ堀りをしている人の姿が見えて、気分転換がしたく竹藪に入りお願いしたところ写真を撮らせて下さった。トンガという道具でぐいぐいと掘り起こされた芽先の黄色い身の白いタケノコがごろりと横になった瞬間、「うわぁ~ 美味しそう!」思わず声が出た。そしてその人のいかにも満足そうな笑顔を見た。この見事な筍は毎年藁を敷き詰め土をかぶせる大変手間のかかる作業の賜物だそうだ。
小倉神社で小休憩。
「小倉神社」は延喜式内社〔平安時代、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された官社〕の1つで、ここ乙訓(おとくに)地方(京都府乙訓郡大山崎町)で最も古い由緒ある神社だそうだ。鳥居にかかる額『正一位(しょういちい)小倉大明神』がそれを物語っている。
神社の由緒説明版は難しくて全ては読み切れなかったが、「天正年間豊臣秀吉山崎合戦の節宝寺に本陣を構えし時特に當社に戦捷幸運の祈願をこめ其本懐を達したるを以て家臣片桐祐作、脇阪陣内を使者として来参千俵の寄進あり。云々」と有った。山崎合戦とは1582年明智光秀と羽柴(豊臣)秀吉の戦いで、今日これから登る天王山にその宝寺(宝積寺)があるらしい。
11時20分、拝殿の横手からいよいよ山歩きの本番が始まった。5分ほど行くと「上り阪 始まります」の貼り紙をみて心を引き締める。ゆっくり登ろうと思った。しばらくして振り返ると上りに弱い彼はもう私と同じようにハーハーしている。後ろから来る人にどんどん追い抜かれていくのは納得していても少々プレッシャーになるのかなぁ~・・・・・
次に見た「がんばれ ファイト」のメッセージに、そうだよな頑張るネ、と心の中で答える。そして12時半、休憩できそうな場所に来て皆さんと同じように私達2人も腰を下ろした。周囲の景色を楽しむ余裕はなく下ばかり向いていた首を持ち上げると木々の隙間から青空が見えた。こんな日は晴れでよかった、と改めて思った。
お弁当とおやつと暖かいコーヒーをお腹に入れると元気が出てきて再出発。太陽が差し込むこの辺りにはコバノミヤマツツジがあちこちに咲いて綺麗だった。先日三多気の真福院で見たミヤマツツジと雰囲気がちょっと違っていたなぁ~。
貼り紙メッセージ「本日最後の 上り坂です」を見て、午後1時10分天王山 山頂(標高270メートル)に到着。やれやれ、270mの割にはしんどかったなぁ~。でも嬉しかった。
壁のように大きな陶板画 「秀吉の道:『秀吉の天下人への道』 ここから始まった」 が置かれていた。〔山崎の合戦で明智光秀を破った羽柴(豊臣)秀吉には、織田信長に代わる「次の天下人」との期待が集まり、織田家の家臣の大多数も、秀吉の命令に服するようになった。云々〕と書かれている。小倉神社の由緒版で読んだ通り、秀吉の本懐が達し参千俵の寄進があって小倉神社は現在に至っているんだなぁ~・・・・・
山崎合戦で勝利した秀吉がこの山頂に築いたという山崎城跡もあった。この山城は大阪城が築かれるまで秀吉の本拠地だったそうである。
さぁ~下り道スタートである。
距離にして300m、「酒解神社」(さかとけじんじゃ)に来た。正式名は自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)と言うらしい。
創建の由緒は不詳だが、こちらも延喜式内社の1つだそうで現在は本殿の主祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)と正面の貼り紙に書かれている。人気のない淋しい古社で荒れていた。。周辺に在る、後見社、宮主社、三社宮(天照大神社・月讀社・蛭子社)、厳島社はその摂社・末社であるらしい。そして本殿横の神輿庫は鎌倉時代に造られた日本最古の高床の板倉式倉庫というもので国の重文だそうだ。
下段の写真左端が本殿正面で、2番目が本殿横と宮主社、3番目が神輿庫で、右端が三社宮。
さらに下って酒解神社鳥居の手前に、秀吉の戦いの様子を描いた合戦図の巨大な陶板画2枚 「秀吉の道:天下分け目の天王山」 「秀吉の道:頼みの諸将来たらず」が並んでいた。
源平の合戦図にしろ合戦図を見る度いつも思うのだが、一騎一騎違う表情を描く画家さんの気持ちって大変ながら楽しいのかなぁ~・・・と。
そして鳥居の外に「旗立松展望台」(はたたてまつてんぼうだい)が在り、展望台からは光秀と秀吉の古戦場を眺める事になる。東海道新幹線や名神高速道が走り、目の前は大山崎JCTなのかなぁ。いい景色が広がっていた。
旗立松というのは今は五代目だそうで小さいが、当時秀吉が自分の軍兵の士気を高める為にここにあった松の樹に軍旗を掲げたので、これを見た秀吉軍は一気に敵陣内に攻め入り勝利を収めたと言われているらしい。合戦が天王山の山中であった訳ではないが、旗立松に因んでここに「山崎合戦之地」の石碑が建てられたそうだ。
その後、「青木葉谷展望台広場」を経て午後2時20分「宝積寺」(ほうしゃくじ)に来た。小倉神社の説明版に有るあの宝寺(たからでら)である。境内は沢山の人で賑わっていた。本堂にお稚児さんのかわいい後姿が見えたのでカメラに収めたが、今日4月18日は毎年大厄除追儺式「鬼くすべ」という伝統行事が行われる日だそうである。この行事は宝積寺の開祖・僧行基が悪霊退散を祈って始めたとも言われ、724年からずっと続いているそうな。煙にいぶし出されて本堂から出てくる鬼や餅まきをする七福神の姿も見たかったなぁ~。
人ごみの中に有りながら誰の目も向かない小さな石・「秀吉 出世石」あった。出世石にしてはあまりにも小さいので訳が解らなかったが、それは秀吉が山崎合戦で宝寺に本陣を構えた時に腰を下ろした石だそうな。知っていたら私もちょっと座ってみたかったよ。(笑)
参道の石段を降りる左手に三重塔が在り、その前にある枝垂桜も風に花びらを散らしながら葉桜に変わろうとしていた。
午後3時、ゴール地の「離宮八幡宮」に着く。
平安時代末ごろに始まった荏胡麻(えごま)油の発祥地で油の製造と販売の中心「油座」として栄え、 現在は油の神様として親しまれている神社だそうだ。
すっかり疲れていたので、注意力が散漫になり案内板を読む元気が無くなっていた。すぐ近くにあったJR京都線山崎駅から早く電車に乗って帰りたかった。気もそぞろでお楽しみ抽選会のくじを引いたところ8等が当たって筍の佃煮を頂いた。少し元気が出たよ。(笑)
本日のハイキング参加者は1378名だったそうで、皆んな山歩きの楽しさ(ちょっと辛い部分もあるけれど)に加えて今日は戦国時代の歴史を再認識したのではないだろうか。私は健康に感謝の一日 、よかった よかった!
今日のコースは長岡公園(スタート)→長岡天満宮→阪急西山天王山駅→小倉神社→天王山山頂→酒解神社→旗立松展望台→宝積寺→離宮八幡宮(ゴール)
4月18日(土)
阪急長岡天神駅に降り徒歩10分、集合場所の長岡公園広場に着くと、なんとまぁ~参加者の長い行列が出来ていて続々と人々が集まって来る。「トラピックスハイキング祭り」、確かにお祭り雰囲気だ。
工程案内チラシをもらって歩き出し、先ずは「長岡天満宮」に参拝する。もみじの若葉が朝の陽の光を透し大変綺麗で、清々しいこの季節ならではの景観だ。キリシマツツジもここ3・4日もすれば真っ赤に咲き揃うことだろう。
長岡天満宮に関しては学問の神様・菅原道真公をお祀りしている神社であり、霧島つつじの名所と知るのみであったが、今日歩いて分かったのは八条ケ池も観光スポットらしい。かつて訪れた錦水亭の前に来て気づく事、〝筍のフルコース”の忘れられないお味にいつか又と思っていると、あれからもう10年以上も経っているではないか・・・今日は錦水亭の館を見て通るだけ。(笑)
(画像はクリックすると拡大する)
お天気良し、気温も高めでアスファルト舗装の道を延々と歩き続け疲れてきた時漸く阪急西山天王山駅に到着。高速道路の高架下にある駅なんてホント珍しいよな。
天王山入口の大きな看板を見ながら、ハイキング係員の方に「ここまで来るだけでもう疲れましたわ。」とこぼすと、「頑張ってください。もう少し行くと又良いことがあるかもです。」と励まされ苦笑。アスファルトの坂道が続いていたが、諦めるには少し早いかなと頑張る。
小倉神社が近くなって竹林が多くなってきた。タケノコ堀りをしている人の姿が見えて、気分転換がしたく竹藪に入りお願いしたところ写真を撮らせて下さった。トンガという道具でぐいぐいと掘り起こされた芽先の黄色い身の白いタケノコがごろりと横になった瞬間、「うわぁ~ 美味しそう!」思わず声が出た。そしてその人のいかにも満足そうな笑顔を見た。この見事な筍は毎年藁を敷き詰め土をかぶせる大変手間のかかる作業の賜物だそうだ。
小倉神社で小休憩。
「小倉神社」は延喜式内社〔平安時代、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載された官社〕の1つで、ここ乙訓(おとくに)地方(京都府乙訓郡大山崎町)で最も古い由緒ある神社だそうだ。鳥居にかかる額『正一位(しょういちい)小倉大明神』がそれを物語っている。
神社の由緒説明版は難しくて全ては読み切れなかったが、「天正年間豊臣秀吉山崎合戦の節宝寺に本陣を構えし時特に當社に戦捷幸運の祈願をこめ其本懐を達したるを以て家臣片桐祐作、脇阪陣内を使者として来参千俵の寄進あり。云々」と有った。山崎合戦とは1582年明智光秀と羽柴(豊臣)秀吉の戦いで、今日これから登る天王山にその宝寺(宝積寺)があるらしい。
11時20分、拝殿の横手からいよいよ山歩きの本番が始まった。5分ほど行くと「上り阪 始まります」の貼り紙をみて心を引き締める。ゆっくり登ろうと思った。しばらくして振り返ると上りに弱い彼はもう私と同じようにハーハーしている。後ろから来る人にどんどん追い抜かれていくのは納得していても少々プレッシャーになるのかなぁ~・・・・・
次に見た「がんばれ ファイト」のメッセージに、そうだよな頑張るネ、と心の中で答える。そして12時半、休憩できそうな場所に来て皆さんと同じように私達2人も腰を下ろした。周囲の景色を楽しむ余裕はなく下ばかり向いていた首を持ち上げると木々の隙間から青空が見えた。こんな日は晴れでよかった、と改めて思った。
お弁当とおやつと暖かいコーヒーをお腹に入れると元気が出てきて再出発。太陽が差し込むこの辺りにはコバノミヤマツツジがあちこちに咲いて綺麗だった。先日三多気の真福院で見たミヤマツツジと雰囲気がちょっと違っていたなぁ~。
貼り紙メッセージ「本日最後の 上り坂です」を見て、午後1時10分天王山 山頂(標高270メートル)に到着。やれやれ、270mの割にはしんどかったなぁ~。でも嬉しかった。
壁のように大きな陶板画 「秀吉の道:『秀吉の天下人への道』 ここから始まった」 が置かれていた。〔山崎の合戦で明智光秀を破った羽柴(豊臣)秀吉には、織田信長に代わる「次の天下人」との期待が集まり、織田家の家臣の大多数も、秀吉の命令に服するようになった。云々〕と書かれている。小倉神社の由緒版で読んだ通り、秀吉の本懐が達し参千俵の寄進があって小倉神社は現在に至っているんだなぁ~・・・・・
山崎合戦で勝利した秀吉がこの山頂に築いたという山崎城跡もあった。この山城は大阪城が築かれるまで秀吉の本拠地だったそうである。
さぁ~下り道スタートである。
距離にして300m、「酒解神社」(さかとけじんじゃ)に来た。正式名は自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)と言うらしい。
創建の由緒は不詳だが、こちらも延喜式内社の1つだそうで現在は本殿の主祭神は大山祇神(おおやまづみのかみ)と正面の貼り紙に書かれている。人気のない淋しい古社で荒れていた。。周辺に在る、後見社、宮主社、三社宮(天照大神社・月讀社・蛭子社)、厳島社はその摂社・末社であるらしい。そして本殿横の神輿庫は鎌倉時代に造られた日本最古の高床の板倉式倉庫というもので国の重文だそうだ。
下段の写真左端が本殿正面で、2番目が本殿横と宮主社、3番目が神輿庫で、右端が三社宮。
さらに下って酒解神社鳥居の手前に、秀吉の戦いの様子を描いた合戦図の巨大な陶板画2枚 「秀吉の道:天下分け目の天王山」 「秀吉の道:頼みの諸将来たらず」が並んでいた。
源平の合戦図にしろ合戦図を見る度いつも思うのだが、一騎一騎違う表情を描く画家さんの気持ちって大変ながら楽しいのかなぁ~・・・と。
そして鳥居の外に「旗立松展望台」(はたたてまつてんぼうだい)が在り、展望台からは光秀と秀吉の古戦場を眺める事になる。東海道新幹線や名神高速道が走り、目の前は大山崎JCTなのかなぁ。いい景色が広がっていた。
旗立松というのは今は五代目だそうで小さいが、当時秀吉が自分の軍兵の士気を高める為にここにあった松の樹に軍旗を掲げたので、これを見た秀吉軍は一気に敵陣内に攻め入り勝利を収めたと言われているらしい。合戦が天王山の山中であった訳ではないが、旗立松に因んでここに「山崎合戦之地」の石碑が建てられたそうだ。
その後、「青木葉谷展望台広場」を経て午後2時20分「宝積寺」(ほうしゃくじ)に来た。小倉神社の説明版に有るあの宝寺(たからでら)である。境内は沢山の人で賑わっていた。本堂にお稚児さんのかわいい後姿が見えたのでカメラに収めたが、今日4月18日は毎年大厄除追儺式「鬼くすべ」という伝統行事が行われる日だそうである。この行事は宝積寺の開祖・僧行基が悪霊退散を祈って始めたとも言われ、724年からずっと続いているそうな。煙にいぶし出されて本堂から出てくる鬼や餅まきをする七福神の姿も見たかったなぁ~。
人ごみの中に有りながら誰の目も向かない小さな石・「秀吉 出世石」あった。出世石にしてはあまりにも小さいので訳が解らなかったが、それは秀吉が山崎合戦で宝寺に本陣を構えた時に腰を下ろした石だそうな。知っていたら私もちょっと座ってみたかったよ。(笑)
参道の石段を降りる左手に三重塔が在り、その前にある枝垂桜も風に花びらを散らしながら葉桜に変わろうとしていた。
午後3時、ゴール地の「離宮八幡宮」に着く。
平安時代末ごろに始まった荏胡麻(えごま)油の発祥地で油の製造と販売の中心「油座」として栄え、 現在は油の神様として親しまれている神社だそうだ。
すっかり疲れていたので、注意力が散漫になり案内板を読む元気が無くなっていた。すぐ近くにあったJR京都線山崎駅から早く電車に乗って帰りたかった。気もそぞろでお楽しみ抽選会のくじを引いたところ8等が当たって筍の佃煮を頂いた。少し元気が出たよ。(笑)
本日のハイキング参加者は1378名だったそうで、皆んな山歩きの楽しさ(ちょっと辛い部分もあるけれど)に加えて今日は戦国時代の歴史を再認識したのではないだろうか。私は健康に感謝の一日 、よかった よかった!