朝夕涼しくなってホッとできる日がある一方、雨が降っているようなそうでないようなお天気続きで、出かける時は空を見上げるより庭のスイレン鉢を観て確かめているここ数日。
新聞で知ったのだが、橿原市城殿町に在る本薬師寺跡周辺の休耕田に咲くホテイアオイが9月中頃まで見頃だそうだ。城殿町は「きどのちょう」と読むらしい。
9月1日(火)
ぶらりと出かけてきた。
勿論花を見たかったのだが、本薬師寺(もとやくしじ)跡というのも気になっていた。
近鉄線畝傍御陵前駅で降りて、駅員さんに「ホテイアオイを観たくて来たのですけれど」と言うと、畑までの手作り地図を即下さった。わずか10分程で到着。薄紫の花が田んぼ一面広範囲に咲いている。見事に綺麗な景色で壮観であった。
毎年メダカの産卵用に水槽に浮かべて花をも楽しんでいるホテイアオイが、水田に浮かんでいるのではなく植えられているのにビックリした。へぇ~。植えてるんだ・・・・・
幾つも連なる田んぼに植えられているので、畦道を曲がりくねって廻っていくと色んな景色が楽しめた。隣接のレンコン畑には枯れたハスの実が夏の終わりを告げ、これまた絵になっていた。
(画像はクリックすると拡大する)
「本薬師寺」というのは藤原京の薬師寺であり、白鳳時代の特別史跡となっている。天武天皇の時代(680年)に発願され持統天皇に引き継がれ文武天皇の時代(698年)に完成したらしい。都が平城京に遷った(710年)とき西ノ京に移されたというのである。
(解かるような解らないような白鳳時代とは645年の大化の改新から平城遷都までの文化の分野でいう時代区分だそうで、飛鳥時代では飛鳥寺や法隆寺、白鳳時代では薬師寺、天平時代では奈良の大仏様、という解説を読んで私の気持ちは落ち着いた。)
金堂跡には白鳳山醫王院が建てられていて、本薬師寺の礎石がたくさん並んでいた。生け垣で囲まれた東塔跡に残る大きな円い心礎を見るとワクワク感が過ぎった。下段右端の写真は西塔跡の土壇から撮った写真であるが、金堂の在った所と東塔・西塔の跡を案内板に書かれている伽藍配置復元図と照らし合わせながら、同時に西ノ京の薬師寺の伽藍配置をも思い浮かべ、自分なりに納得して一瞬白鳳時代にタイムスリップした感覚になれたよ。(笑)
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また道路沿いに置かれていた万葉碑には大伴旅人の歌「忘れ草 我が紐に付く 香久山の 古りにし里を 忘れむがため」が刻まれていた。(わすれ草を自分の紐につける。香久山のあたりのあの懐かしい故郷をひとときでも忘れるために)
はてな?旅人とはどんな人だったけな?と思っていると、傍に居られた3・4人グループの中で「先生」と呼ばれている方が教えて下さった。大伴旅人は奈良時代の歌人であり政治家でもあって、晩年に大宰府に左遷されたそうだ。要するに、この地に住んでいた大伴旅人が大宰府に赴任する際に詠んだ歌のようである。
再び田んぼに気が向いた。ホテイアオイに交じって咲いている黄色い可愛い花はヒレタゴボウ、線香花火のような草はカヤツリソウと言うらしい。クワイの花も見た。更に稲穂が実る水田の泥の上では小さいオタマジャクシがいっぱい いっぱい泳いでいた。足が生えているのも居た。長い触覚を動かしてゆっくり移動していくジャンボな丸い貝も居た。クルクル回りながら泳いでいる丸い虫も居た。まるで不思議な別世界の動画を見ているようで、私はホテイアオイどころではない面白さに吸い込まれて、しゃがみ込んでしばし夢中の時間を過ごした。
水草の葉や茎、それに水路のコンクリート壁等あちこちで目を引く異様な赤い粒々の塊が、ホタルのエサになるタニシの卵だと長靴姿の方が教えて下さった。綺麗なような気持ち悪いような・・・タニシの卵と聞けば、孵化するのを観てみたくなった私。その方が私の好奇心に応えて、葉っぱを一枚採って下さったので持ち帰ったよ。いやぁ~ 我ながらあきれるけれどネ。(笑)
家に帰るとそれを見た彼に「捨てなさい。」と言われたけれど「折角だから。」と。。。。。
記憶にあるタニシを想像していたが、あのジャンボな丸い貝の名前は一体何かを知りたくなってネットを開いてみると、どうやらスクミリンゴガイという名のジャンボタニシで、ピンクの粒々はその卵のようだ。タニシにはいろいろ種類があるのが解った。何時ごろ生まれるのかなぁ~。
最後に大和三山、西の方角には畝傍山、東の方には香久山(全体像ではなかったが)、そして北の方には耳成山を確認できたのも嬉しかった。
ホテイアオイ観賞の〝お出かけ”がとんでもない色んな事に遭遇して、ワクワク、ドキドキして少し疲れたけれど楽しかったなぁ~。
新聞で知ったのだが、橿原市城殿町に在る本薬師寺跡周辺の休耕田に咲くホテイアオイが9月中頃まで見頃だそうだ。城殿町は「きどのちょう」と読むらしい。
9月1日(火)
ぶらりと出かけてきた。
勿論花を見たかったのだが、本薬師寺(もとやくしじ)跡というのも気になっていた。
近鉄線畝傍御陵前駅で降りて、駅員さんに「ホテイアオイを観たくて来たのですけれど」と言うと、畑までの手作り地図を即下さった。わずか10分程で到着。薄紫の花が田んぼ一面広範囲に咲いている。見事に綺麗な景色で壮観であった。
毎年メダカの産卵用に水槽に浮かべて花をも楽しんでいるホテイアオイが、水田に浮かんでいるのではなく植えられているのにビックリした。へぇ~。植えてるんだ・・・・・
幾つも連なる田んぼに植えられているので、畦道を曲がりくねって廻っていくと色んな景色が楽しめた。隣接のレンコン畑には枯れたハスの実が夏の終わりを告げ、これまた絵になっていた。
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「本薬師寺」というのは藤原京の薬師寺であり、白鳳時代の特別史跡となっている。天武天皇の時代(680年)に発願され持統天皇に引き継がれ文武天皇の時代(698年)に完成したらしい。都が平城京に遷った(710年)とき西ノ京に移されたというのである。
(解かるような解らないような白鳳時代とは645年の大化の改新から平城遷都までの文化の分野でいう時代区分だそうで、飛鳥時代では飛鳥寺や法隆寺、白鳳時代では薬師寺、天平時代では奈良の大仏様、という解説を読んで私の気持ちは落ち着いた。)
金堂跡には白鳳山醫王院が建てられていて、本薬師寺の礎石がたくさん並んでいた。生け垣で囲まれた東塔跡に残る大きな円い心礎を見るとワクワク感が過ぎった。下段右端の写真は西塔跡の土壇から撮った写真であるが、金堂の在った所と東塔・西塔の跡を案内板に書かれている伽藍配置復元図と照らし合わせながら、同時に西ノ京の薬師寺の伽藍配置をも思い浮かべ、自分なりに納得して一瞬白鳳時代にタイムスリップした感覚になれたよ。(笑)
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はてな?旅人とはどんな人だったけな?と思っていると、傍に居られた3・4人グループの中で「先生」と呼ばれている方が教えて下さった。大伴旅人は奈良時代の歌人であり政治家でもあって、晩年に大宰府に左遷されたそうだ。要するに、この地に住んでいた大伴旅人が大宰府に赴任する際に詠んだ歌のようである。
再び田んぼに気が向いた。ホテイアオイに交じって咲いている黄色い可愛い花はヒレタゴボウ、線香花火のような草はカヤツリソウと言うらしい。クワイの花も見た。更に稲穂が実る水田の泥の上では小さいオタマジャクシがいっぱい いっぱい泳いでいた。足が生えているのも居た。長い触覚を動かしてゆっくり移動していくジャンボな丸い貝も居た。クルクル回りながら泳いでいる丸い虫も居た。まるで不思議な別世界の動画を見ているようで、私はホテイアオイどころではない面白さに吸い込まれて、しゃがみ込んでしばし夢中の時間を過ごした。
水草の葉や茎、それに水路のコンクリート壁等あちこちで目を引く異様な赤い粒々の塊が、ホタルのエサになるタニシの卵だと長靴姿の方が教えて下さった。綺麗なような気持ち悪いような・・・タニシの卵と聞けば、孵化するのを観てみたくなった私。その方が私の好奇心に応えて、葉っぱを一枚採って下さったので持ち帰ったよ。いやぁ~ 我ながらあきれるけれどネ。(笑)
家に帰るとそれを見た彼に「捨てなさい。」と言われたけれど「折角だから。」と。。。。。
記憶にあるタニシを想像していたが、あのジャンボな丸い貝の名前は一体何かを知りたくなってネットを開いてみると、どうやらスクミリンゴガイという名のジャンボタニシで、ピンクの粒々はその卵のようだ。タニシにはいろいろ種類があるのが解った。何時ごろ生まれるのかなぁ~。
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最後に大和三山、西の方角には畝傍山、東の方には香久山(全体像ではなかったが)、そして北の方には耳成山を確認できたのも嬉しかった。
ホテイアオイ観賞の〝お出かけ”がとんでもない色んな事に遭遇して、ワクワク、ドキドキして少し疲れたけれど楽しかったなぁ~。