「シルバーウイーク」と呼ばれるこの度の大型連休?・・・改めてカレンダーを見ると、9月20日(日曜日)、21日(敬老の日)、22日(国民の休日)、23日(秋分の日)となっている。ところで22日の国民の休日とは?・・・年中休日の私にとってはどうでも良い事なのだが、近年色んな名前の休日が出来てきたようで、一応再確認しておこう。コトバンクに依ると、祝日に挟まれた平日が休日になったのは1985年12月27日、祝日法が改正されてかららしい。そう言えば5月のゴールデンウイークの5月4日もそうだけど、「国民の休日」は祝日ではない。それにしても来年「シルバーウイーク」は無いんだよな。
7月に発表された芥川賞2015の2作品『火花』と『スクラップ・アンド・ビルド』を遅ればせながら読み終えたところで、カルチャーマガジン『ならら』に目を通していると幕末の名工・「丹波の佐吉」の名が目に留まった。以前にもどこかで読んだ記憶が蘇り、佐吉が手掛けたという狛犬を急に見たくなった。幸い秋晴れ予想の連休中に行動しようと思い、先ずは生駒郡斑鳩町にあるという「素戔嗚(スサノオ)神社」と「阿波(アワ)神社」と「神岳(カミオカ)神社」に出かけてきた。
9月21日(月)
早起きしたので午前8時45分、JR法隆寺駅に着いた。瓦屋根の時計台が在って文字盤の中央に十二支が書かれている珍しい時計を見た。
十二支は時間や方角にも使われ、よく耳にするのが子の刻(午前0時)とか丑三つ時(午前2時)、そして丑寅の方角(北東)は鬼門として生活に馴染んでいる。ちょっと面白いので確かめてみた。
子…0時(23時~1時)丑…2時(1時~3時)、艮(丑寅)…3時、寅…4時(3時~5時)、卯…6時(5時~7時)、辰…8時(7時~9時)、巽(辰巳)…9時~~~~~坤(未申)…15時、~~~~~乾(戌亥)…21時、亥…22時という事で、ややこしくて私の頭は変になってきた。(笑)
歩き出して15分、興留東地元の人に尋ねながら「素戔嗚神社」に来た。
でも狛犬は本殿と共に瑞垣の中だったので間近に見る事叶わず、仕方なく諦める。
(画像はクリックすると拡大する)
そこから東方へ5分程歩くと地名は阿波になり、「阿波神社」が在った。
石の鳥居をくぐるとオープンになっている境内に、やや小ぶりの狛犬一対がキリリとした姿で神殿をお守りしていた。村の人達の手作りであろう紅白の前掛けは色あせていたが、何枚も掛けられている。きっと村の人達から愛され信頼されているのだろう。そして綺麗に掃き清められている境内、この神社は村の人達の信仰が篤いに違いない。
私は佐吉の作品を間近に観れるのが嬉しく、先ずは神殿のお詣りを済ませ、持参のコーヒを飲んで一服してから、おもむろに狛犬の傍に寄り、前姿・横姿・後姿・斜姿を見つめながらゆっくりぐるぐる回ったよ。(笑)
すると発見!阿像の足元台座に刻まれた〔作師 照信&花押〕を見て更に嬉しくなった。平らな頭部の下に横一列に奥深く彫り込まれた目にはなんとも表現し難い鋭さと親しみが感じられて、じっと見つめていたい不思議な気持ちになった。。。。。頭部から肩にかけての巻き毛、それに引き締まった胴体の造りと細やかな堀り込み、尾尻の華やかさに魅せられた。時代を物語る苔の衣でより素敵に見えた。自然の光の中で見る佐吉の狛犬はこれらの写真よりももっともっと素敵な狛犬だったよ。
次に行きたい「神岳神社」は神南の桜の名所・三室山に在るという。さて、R25号線の王寺駅行バスの最寄りの乗り場は何処か?と尋ねた方が大変親切な方で、ついでだからと法隆寺バス停まで乗せて下さった。母娘3人様に心から感謝、ありがとうございました。
「三室山下」バス停で降りて5分余り歩くと、三室山の階段下に来た。
神岳神社は山の中腹に在って、拝殿の前には太い“しめ縄″で飾られた狛犬が目の前の山道を行きかう人達に神域を告げていた。その姿は一目で佐吉の狛犬だと解った。しめ縄を締めた姿はより勇ましく格好良かった。阿波神社の狛犬よりも少し大きいと思う。そして吽像の方に〔作師 照信&花押〕の刻印を確認すると、やっぱり・・・と何かしら安堵感を覚えた私はもう佐吉のファンになっていたようだ。(笑)
山裾を流れる竜田川では釣りを楽しむ人やおにぎり弁当を開いている老夫婦など、秋晴れの連休を楽しむ人の姿があった。
遠路厭わずひとりバスを乗り継いで来たけれど、ついに佐吉の狛犬に会えたし、人様のご親切にも心が温められた幸せなシルバーウイークの一日であった。
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追記 9月22日(火)
今日も秋晴れのいい天気。折角なので磯城郡三宅町伴堂の「杵築(キツキ)神社」にも居るという「佐吉の狛犬」に会いに行ってきた。
「丹波の佐吉」の本名は村上照信。文化13年(1816年)但馬国竹田に生まれ、幼くして両親と死別し、偶然竹田に来ていた丹波国大新屋村の石工・難波金兵衛に引き取られたそうだ。身に付けた石彫技術は特に優れていたという。
幕末には神社に狛犬や燈籠を寄付するのが流行り、大店の商人達が盛んに行なったそうで、佐吉は彼らに呼ばれ近畿一円渡り石工としてあちこちで活躍し、その作品は奈良に一番多く残っているそうだ。彼は妻帯せず、子もなく、病気になったある日のこと、ふらりと出て行ったまま戻らず、彼の最期は誰も知らない謎だそうだ。
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伴堂の杵築神社は境内も広く落ち着いた感じのする静かな神社であった。
佐吉の狛犬は想像以上に大きく、広い境内に勇壮な姿で座していた。銘は吽像の台座の下の台に縦書きで「大阪住 石工佐吉」と彫られていた。そして安政六年四月の刻印もあった。1859年、彼の43歳の作品だ。
ついでながら、同町屏風の「杵築神社」の狛犬の写真もちょこっと撮らせてもらったよ(上段右2つ)。勿論雰囲気は全く別物で、台座に関して観てみると佐吉の方は枠入り足付きだが、こちらは普通の六面体であった。
すっかり佐吉の狛犬ファンになってしまった私はこれからも機会ある度にあちこち訪ねてみようと思う。。。。。。。
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追記 9月24日(木)
大和郡山市西町の良福寺境内にある「蛭子神社」(ひるこじんじゃ)の「佐吉の狛犬」を訪ねる。銘の刻印を見つける事はできなかったが、狛犬の体形は佐吉のものだったし、台座も間違いなく佐吉の形式だった。申年の掘り込みがあったので、計算してみると1860年(万延元年)かも知れない。伴堂や下永(1859年)に近いこの辺で活躍していたと考えるとネ・・・・・
狭い境内の隅にイチョウの木が在ってお土産をもらって帰ったよ。ありがとう。
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追記 11月17日(火)
橿原神宮御本殿 特別拝観の帰り、すぐ近くに在る「久米御縣神社」(くめみあがたじんじゃ)の「佐吉の狛犬」をを訪ねた。間違いなく銘の刻印と安政二年十一月の刻印を読む。
彼が言った。「この狛犬、少し首をかしげているなぁ~。」私「えっ?・・・・・・」あまりよくは分からなかったけれど、見る人の背の高さが微妙な傾きを発見するようである。
数えてみると八つの神社《このページに記載の神社以外に 9/23→川西町下永の「八幡神社」、9/30→「宇陀水分神社」 》の狛犬を見てきた事になるが、手作りならではの味に人間味を覚える。首を傾げた狛犬には佐吉のどのような想いが込められているのだろう。。。。。。。。。。。
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又何処かで佐吉の狛犬に出会えたらいいのになぁ~。
7月に発表された芥川賞2015の2作品『火花』と『スクラップ・アンド・ビルド』を遅ればせながら読み終えたところで、カルチャーマガジン『ならら』に目を通していると幕末の名工・「丹波の佐吉」の名が目に留まった。以前にもどこかで読んだ記憶が蘇り、佐吉が手掛けたという狛犬を急に見たくなった。幸い秋晴れ予想の連休中に行動しようと思い、先ずは生駒郡斑鳩町にあるという「素戔嗚(スサノオ)神社」と「阿波(アワ)神社」と「神岳(カミオカ)神社」に出かけてきた。
9月21日(月)
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十二支は時間や方角にも使われ、よく耳にするのが子の刻(午前0時)とか丑三つ時(午前2時)、そして丑寅の方角(北東)は鬼門として生活に馴染んでいる。ちょっと面白いので確かめてみた。
子…0時(23時~1時)丑…2時(1時~3時)、艮(丑寅)…3時、寅…4時(3時~5時)、卯…6時(5時~7時)、辰…8時(7時~9時)、巽(辰巳)…9時~~~~~坤(未申)…15時、~~~~~乾(戌亥)…21時、亥…22時という事で、ややこしくて私の頭は変になってきた。(笑)
歩き出して15分、興留東地元の人に尋ねながら「素戔嗚神社」に来た。
でも狛犬は本殿と共に瑞垣の中だったので間近に見る事叶わず、仕方なく諦める。
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石の鳥居をくぐるとオープンになっている境内に、やや小ぶりの狛犬一対がキリリとした姿で神殿をお守りしていた。村の人達の手作りであろう紅白の前掛けは色あせていたが、何枚も掛けられている。きっと村の人達から愛され信頼されているのだろう。そして綺麗に掃き清められている境内、この神社は村の人達の信仰が篤いに違いない。
私は佐吉の作品を間近に観れるのが嬉しく、先ずは神殿のお詣りを済ませ、持参のコーヒを飲んで一服してから、おもむろに狛犬の傍に寄り、前姿・横姿・後姿・斜姿を見つめながらゆっくりぐるぐる回ったよ。(笑)
すると発見!阿像の足元台座に刻まれた〔作師 照信&花押〕を見て更に嬉しくなった。平らな頭部の下に横一列に奥深く彫り込まれた目にはなんとも表現し難い鋭さと親しみが感じられて、じっと見つめていたい不思議な気持ちになった。。。。。頭部から肩にかけての巻き毛、それに引き締まった胴体の造りと細やかな堀り込み、尾尻の華やかさに魅せられた。時代を物語る苔の衣でより素敵に見えた。自然の光の中で見る佐吉の狛犬はこれらの写真よりももっともっと素敵な狛犬だったよ。
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次に行きたい「神岳神社」は神南の桜の名所・三室山に在るという。さて、R25号線の王寺駅行バスの最寄りの乗り場は何処か?と尋ねた方が大変親切な方で、ついでだからと法隆寺バス停まで乗せて下さった。母娘3人様に心から感謝、ありがとうございました。
「三室山下」バス停で降りて5分余り歩くと、三室山の階段下に来た。
神岳神社は山の中腹に在って、拝殿の前には太い“しめ縄″で飾られた狛犬が目の前の山道を行きかう人達に神域を告げていた。その姿は一目で佐吉の狛犬だと解った。しめ縄を締めた姿はより勇ましく格好良かった。阿波神社の狛犬よりも少し大きいと思う。そして吽像の方に〔作師 照信&花押〕の刻印を確認すると、やっぱり・・・と何かしら安堵感を覚えた私はもう佐吉のファンになっていたようだ。(笑)
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山裾を流れる竜田川では釣りを楽しむ人やおにぎり弁当を開いている老夫婦など、秋晴れの連休を楽しむ人の姿があった。
遠路厭わずひとりバスを乗り継いで来たけれど、ついに佐吉の狛犬に会えたし、人様のご親切にも心が温められた幸せなシルバーウイークの一日であった。
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追記 9月22日(火)
今日も秋晴れのいい天気。折角なので磯城郡三宅町伴堂の「杵築(キツキ)神社」にも居るという「佐吉の狛犬」に会いに行ってきた。
「丹波の佐吉」の本名は村上照信。文化13年(1816年)但馬国竹田に生まれ、幼くして両親と死別し、偶然竹田に来ていた丹波国大新屋村の石工・難波金兵衛に引き取られたそうだ。身に付けた石彫技術は特に優れていたという。
幕末には神社に狛犬や燈籠を寄付するのが流行り、大店の商人達が盛んに行なったそうで、佐吉は彼らに呼ばれ近畿一円渡り石工としてあちこちで活躍し、その作品は奈良に一番多く残っているそうだ。彼は妻帯せず、子もなく、病気になったある日のこと、ふらりと出て行ったまま戻らず、彼の最期は誰も知らない謎だそうだ。
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伴堂の杵築神社は境内も広く落ち着いた感じのする静かな神社であった。
佐吉の狛犬は想像以上に大きく、広い境内に勇壮な姿で座していた。銘は吽像の台座の下の台に縦書きで「大阪住 石工佐吉」と彫られていた。そして安政六年四月の刻印もあった。1859年、彼の43歳の作品だ。
ついでながら、同町屏風の「杵築神社」の狛犬の写真もちょこっと撮らせてもらったよ(上段右2つ)。勿論雰囲気は全く別物で、台座に関して観てみると佐吉の方は枠入り足付きだが、こちらは普通の六面体であった。
すっかり佐吉の狛犬ファンになってしまった私はこれからも機会ある度にあちこち訪ねてみようと思う。。。。。。。
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追記 9月24日(木)
大和郡山市西町の良福寺境内にある「蛭子神社」(ひるこじんじゃ)の「佐吉の狛犬」を訪ねる。銘の刻印を見つける事はできなかったが、狛犬の体形は佐吉のものだったし、台座も間違いなく佐吉の形式だった。申年の掘り込みがあったので、計算してみると1860年(万延元年)かも知れない。伴堂や下永(1859年)に近いこの辺で活躍していたと考えるとネ・・・・・
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狭い境内の隅にイチョウの木が在ってお土産をもらって帰ったよ。ありがとう。
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追記 11月17日(火)
橿原神宮御本殿 特別拝観の帰り、すぐ近くに在る「久米御縣神社」(くめみあがたじんじゃ)の「佐吉の狛犬」をを訪ねた。間違いなく銘の刻印と安政二年十一月の刻印を読む。
彼が言った。「この狛犬、少し首をかしげているなぁ~。」私「えっ?・・・・・・」あまりよくは分からなかったけれど、見る人の背の高さが微妙な傾きを発見するようである。
数えてみると八つの神社《このページに記載の神社以外に 9/23→川西町下永の「八幡神社」、9/30→「宇陀水分神社」 》の狛犬を見てきた事になるが、手作りならではの味に人間味を覚える。首を傾げた狛犬には佐吉のどのような想いが込められているのだろう。。。。。。。。。。。
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又何処かで佐吉の狛犬に出会えたらいいのになぁ~。