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平城京左京三条二坊宮跡庭園

2020-12-03 | 日記
  12月3日(水)
えっ?何何??「 平城京左京三条二坊宮跡庭園」と言う名の特別史跡・特別名勝が奈良県に在ったの!?
こちらの庭園は昭和50年に行われた発掘調査によって発見され、復元工事・改修工事が成され、今年(令和2年)6月に完成公開となったようである。
通りでこのような庭園が在ったのに驚いたのも当然なんだよな。(笑)

〇京△条◇坊と言えば奈良時代にタイムスリップして、一条から九条の付く地名が浮かんで来る。
奈良は京都の様に北から南へ順番に並んでいるわけではないが、羅城門から朱雀門まで続いた朱雀大路(南北約3.7km、路面幅約70m)を説明する時に利用するのがこの簡単な絵地図である。そうか この辺が左京三条二坊なのかと、今改めて・・・・

近鉄線新大宮駅から徒歩10分と言われても私の足では20分、バス停の目の前に庭園の入口があった。沢山の枯葉が一度にサラサラサラと音を立てて舞い落ちてきた。
園には落ち葉掃除をされている人以外誰も居なかった。

      (画像はクリックすると拡大する)

平城宮の離宮または皇族等の邸宅(宮)であった可能性もあり「宮跡庭園」(みやあとていえん)と名付けられたそうである。東院庭園とは雰囲気が少々違って、園池の形はS字状に太く大きく屈曲し、大小様々な沢山の石組で囲まれ、水の流れに勢いがあった。
園の北側大宮通りの向かい側はミ・ナーラ等のビルが建ち並んでいるので景観はちょっとガッカリだが、三方は植樹と板塀で囲まれ朱色の復元建物が1つと地面に井戸跡や3つの建物跡が表示されていた。
スリッパに履き替え建物の中に上ると、庭全体を見下ろせた。  

            

特に私の目を引いたのは池の北端にある2つの柱穴の間を通る、木で造った管・木樋(もくひ)である。(笑)
水はこの管を通り池に入れられていた様で、長さ5m程見学できるようになっていた。
それと もう1つ、水生植物を育てる木製枡(ます)が池の中に置かれていた事、今はレプリカのプランターでその位置を示していた。古代の人も観葉植物を楽しんでいたんだよな。

        

時代は変わっていく、人々の生活も変わっていく、今の私達の時代が300・400年後にはどんな形で伝えられるんだろう・・・
ベンチに腰掛け持参の温かいお茶を飲みながらそんな事を考えた。