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壱岐島へー2

2017-04-07 | 日記
  ㋃5日(水)
午前7時30分、ホテルの送迎バスで出発。唐津城を見ながら唐津東港(佐賀県)へ向かう。『エメラルドからつ』に乗って壱岐・印通寺港(長崎県)まで1時間45分のクルーズで玄界灘を渡るのである。
玄界灘と聞けば荒波と魚が美味しいと言う事ぐらいしか知らなかった私だが、改めて地図を見ると、壱岐島の向こうに対馬があってその向こうに大韓民国が近い。
玄界灘は対馬海流が流れ込み大陸からの風が吹き込むので、荒海であると同時に豊かな漁場だという。それに壱岐島には古代から大陸から米が伝わっていたので水稲耕作が発達していて、豊魚豊作地域であるという。

        (画像はクリックすると拡大する)

印通寺港からは島のガイドさん同伴バスで島内の観光となった。番号付きの地図があったのでコピーして投稿しておこう。
先ず最初の見学は国の特別史跡➐『原の辻遺跡』(はるのつじいせき)で、ココは平安時代の環濠集落であったそうな。壱岐島は「魏志倭人伝」に「一支国」(いきこく)として登場する国で、遺跡は一支国の王都であったそうだ。
復元された竪穴式住居や高床式住居を覗き込んで見て回っていると「使節団の倉」というのがあった。大陸との交流で滞在する使節団の長らが携えてきた物を収める為の倉らしい。(この遺跡からの出土品は大陸系の物が多く、すべて壱岐市立一支国博物館に所蔵されているとの事。)
            

次は➌八幡半島先端の『左京鼻』の観光。玄界灘に面して切り立った海蝕崖が1kmも続いていて、海面から観音柱と呼ばれる束状になった玄武岩の折柱(おればしら)が突き出ている。柱の先端が海鵜のフンで白くなっているので、柱を入れて好きな部分を四角で囲むとまるで絵具で描いた一枚の絵になりそうだ。(笑)
左京竜神が祀られた断崖ギリギリの所に在る小さい祠と際立つ赤い鳥居が非常に印象に残る。景色に夢中になって足を滑らせると玄界灘に真っ逆さま、皆んな慎重に歩いていたね。

        

少し離れて、八幡浦にある➍『はらほげ地蔵』、コレは赤い胸掛けを付けた6体の石地蔵さまで、お腹が丸くえぐられているのでこう呼ばれているそうである。満潮時には胸まで海中に浸かるというので想像してみた。。。。。(遭難した海女さんの冥福を祈る為とか鯨の供養慰霊の為などと言われているらしい。) 
        

午後からは島の西側、黒崎半島の観光スポット➋『猿岩』と『黒崎砲台跡』に行った。
『猿岩』も海蝕崖の一部で45mの玄武岩がまるで巨大なお猿の横顔にそっくりだった。駐車場に降りた全員が「おぉぉぉぉ!お猿だ お猿だ アッハッハッハッ」と口々に歓声を挙げたので、ガイドさんが「そんなに喜んでいただけて大変嬉しいです!」と言われて皆んな更に大笑いした!
角度を変えて見ると、ただの岩、お猿さんは何処やらへ?恐るべし! 自然の造形芸術。
            

黒崎砲台は昭和3年から6年かけて完成したという戦争時代の遺跡である。口径41cmの2連砲の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1トン、最大射程距離約35kmで、破壊力と射程距離は東洋一を誇っていたという。対馬海峡防備の為、航行する艦船を攻撃する目的で設置された大日本帝国陸軍の要塞だったそうだ。普段は地下に在って必要な時に地上に上がってくる仕掛けになっていたらしい。スゴイ物を見て戦争の恐ろしさを感じずにはいられなかったが、一発も実弾を発射する事がなかったと聞いてホッとした。

道路に面した洞窟の様な入り口には、大きな砲弾の模型が2つ置かれていた。立ち入り禁止位置まで入ってみると向こうに灯りが見えた。先ほど小山の上で見た砲台の穴の底が少し見えた。

        

午後2時半➋を後にして再び玄界灘を渡ってホテルに帰る。夕食は6時45分。
今日は日本の歴史を知った貴重な観光だった。。。。。  お疲れ様。





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