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落伍者になって。

2015-05-06 | 日記
今日は連休最後の日、お天気快晴、奈良の最高気温26度。残念な日記を書く事になった。奈良県ウォーキング協会主催の「幻の大仏鉄道」に参加したのだが。。。。。。。。。。。。。
トンネル跡や隧道(ずいどう)や橋台etc.鉄道の廃線跡をたどりたかった思いが実らなかった無念さを、せめて「大仏駅」跡だけでも見れた事で気持ちを慰めたい。

  5月6日(水
関西本線JR奈良駅に降りたのは40年ぶりかなぁ~・・・・・
高架化されたホームに降りエスカレータで地上に下りて、記憶に残っているある方形の屋根と相輪のある旧の駅舎の前に来た。それにしてもすっかり綺麗に広くなり、さすが世界中の人達を迎えるにふさわしい駅になっていた。2003年に高架工事が始まったというから、私の時代遅れもスゴイよなぁ~
参加人数は360人以上と聞く。会員でない者は500円の参加費を払って案内資料をもらう。そして概要説明があって全員で準備体操をしていざ出発。
          (画像はクリックすると拡大する)

佐保川沿いを進んで行くと「大仏鉄道記念公園」に来た。折角なので、パンフ説明の一部を引用させてもらって「大仏鉄道」を心に描いておこう。

                    わずか9年の〝幻〟         

        今から100年以上前、「大仏鉄道」がはしっていました。大仏鉄道とは、当時の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」の
        加茂と奈良を結ぶ、わずか9.9kmの路線の愛称です。明治31年4月の開業後、終着駅の「大仏駅」は東大寺大仏殿の最
        寄り駅として、大いに賑わいました。翌年5月、同社は大仏駅から奈良駅へ線路を延長。奈良駅への乗り入れを果たすと、
        観光の拠点は、大仏駅から奈良駅へと次第に移っていきました。
        そして明治40年8月、加茂駅から木津駅を経て奈良駅へと至る平坦なルートが開通すると、急坂の難所を抱える大仏鉄道
        は休止となり、同年11月に廃線。わずか9年の歴史に幕を下ろしました。


この公園を後にして、佐保小学校の前を通る。ここは法蓮町、有名な尼寺・興福院(こんぶいん)の門前を右折する時に写真を一枚撮る。お寺の客殿は重文で本堂と大門は県の指定文化財らしく、拝観には予約が必要。私には未だその機会を得ていない心惹かれるお寺である。鉄道の遺構に直接には関係ないが、鉄道がこのお寺横近くを通っていたらしい。下段写真左から二番目、見せて下さった絵地図の右端に列車が走っている。ちょっと感動!
それから県道44号線バス道を通り「鴻ノ池」を見て右折。ここで私の気持ちは決まった。暑さと歩くスピードに不安を感じ、止める勇気も必要だと思ったのである。ボランティアの方に名前を言って「離脱します。」「そうですか残念ですね。でもここで良かったです。京都に入るとバスは通っていませんしネ。」帰りを心配して下さったが、未だ余力はあったのでバスに乗らずゆっくり歩いて、「やすらぎの道」を通り近鉄奈良駅に向かった。

             
踏破出来なかった「大仏鉄道」ウォーキングは、彼が撮ってきた写真を見せてもらって幕は下りた。(笑)
     
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