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伊勢神宮125社めぐりーその6(最終回)

2012-03-16 | 日記
「伊勢神宮125社めぐり」もいよいよ最終回となった。
昨日の事天気は良く、ただ強い風が少々応える「磯部・鳥羽・二見14社めぐり」であった。

先ず、伊雑宮(いざわのみや)に隣接する神田(しんでん)の見学から始まった。
毎年6月24日にはお田植え祭りが行われる神田だそうだ。樹皮つきの丸太で造られた黒木の鳥居の向こうには広い田んぼが広がっていた。解る人には解る1650平方メートルとか。ちなみに日本三大御田植祭は国の重要無形文化財で、この三重県志摩市の伊雑宮の他に千葉県香取市の香取神宮そして大阪市の住吉大社の御田植神事のことだそうだ。

磯部町にある皇大神宮(内宮)別宮の伊雑宮は天照大御神の遥宮(とおのみや)で、「磯部(いそべ)の大神宮さん」とも呼ばれる立派なお社であった。漁師や海人さんたちはここで授与された「磯守(海幸木守)」を身につけて海に入られるそうである。
社務所の傍に、根元が膨らんだまるで巾着のような形に見える面白い楠・「キンチャク楠」があった。触るとお金が貯まるかな?とおまじないを試す人が数人居たよ。勿論私も木を傷めないようにそっとネ。それから特別美味しい“うなぎ”が食べたくなったらこの辺にある昔からのお店が叶えてくれるとの情報も得た。
             (画像はクリックすると拡大する)

伊雑宮の所菅社である佐美長神社(さみながじんじゃ)と佐美長御前神社四社(さみながみまえじんじゃ)、その静かで広い境内は落ち着いて参拝できるいい雰囲気の神社であった。
                        

正午、パールロード沿いの鳥羽展望台「食国蔵王」で昼食となった。
展望台からは、青い太平洋が空の青とつながる雄大な景色を見ることが出来た。
お箸袋に“海もごちそう”とあった。このさりげない一言、私はとても気に入った!確かに穏やかな海を見ながらの食事はゆったりした気分になって食事を楽しく美味しくさせるよなぁ・・・

それから裏面には「セーマン ドーマン」について簡単な説明が書かれていた。海人さんのお守りの話なのでメモしておこう。「セーマン」というのは一筆書きの星形の印で「ドーマン」というのは格子状の印で共に海の安全を祈願する魔除けの“おまじない”だそうだ。一筆書きは元の場所へ戻るので海人さんが無事に帰って来れますようにとの祈りが込められているらしい。
これらの名前は平安時代の陰陽師安倍晴明や蘆屋道満からきているそうである。へぇ~。。。。。
志摩地方(伊勢市・志摩市)のしめ縄の中央の木札「蘇民将来子孫家門」の実物を見せていただいた時に裏面に書いてあった不思議な印に疑問を持っていたのだが、これで解決した。
   
           

上段右端の写真は私達のツアーバス。バスは志摩市から鳥羽市に来た。
伊勢神宮125社のなかで、鳥羽市に鎮座する唯一の赤崎神社(あかさきじんじゃへの参拝である。毎年6月22日に赤崎祭あかさきまつりが行われて、近鉄志摩線中之郷駅に続く沿道には露店が並び、浴衣姿の老若男女で大変賑わうそうである。そして、この日この赤崎神社の入り口では宮域で採取された杉の小枝が売られ、人々は七難即滅を願って家の玄関に吊るすそうである。これも蘇民信仰の一つと言われている。

あれぇ~ 観光案内人さんの横の人、カッコイイ法被着ているね。
これは来年(2013年)の式年遷宮に参加できる資格を得た一般市民が着る法被だそうで、今回特別に着てみてみたい人に着させて下さったのである。なかなか良いですよね!
             

バスは伊勢市に戻り、二見町にある粟皇子神社(あわみこじんじゃの参拝。
海辺の「ホテル海の蝶」の裏手にあり、白い砂浜を見て波の音を聞きながら歩いた。景色はすばらしかった。

今回ツアーのおまけ!で県指定文化財である松下地区の氏神様・蘇民の森 松下社の参拝もさせてもらった。天然記念物に指定されている驚きの大クスがあった。樹齢2000年とも言われ主幹の下部は枯れガランとした空洞になっているにも関わらず、立派な枝幹が育ち堂々たる風格のある見事な楠であった。恐れ多い生命力を感じた・・・・・
本殿の横ある絵馬堂はすっかり寂れていた。氏神様なのにどうしてかな・・・
下段右端が蘇民社で写真中央奥の小さい祠が蘇民将来をお祭りする蘇民祠である。
        

ところで、今日の関所は260段の石段を登らなければならない皇大神宮摂社神前神社(こうざきじんじゃだ、と観光案内人さんから聞いていた。覚悟はできていたが、確かにしんどかった。全員頑張って登れて万歳!
ご同座に皇大神宮の末社が2つ許母利神社(こもりじんじゃ荒前神社(あらさきじんじゃがあった。
100mの山の上、眼下の伊勢湾を見ることが出来るかな?とお社の周りを一周したが、木々が生い茂っていて見えなかったよ。

この後、皇大神宮摂社江神社(えじんじゃ堅田神社(かただじんじゃの参拝を済ませた。

そして神宮御料の御塩・堅塩(かたしお・焼き固めた塩)が奉製されるところ・伊勢神宮の製塩施設の見学となった。
皇大神宮所管社御塩殿神社(みしおじんじゃの境内に入ると左側にあるのが社殿。右側にある茅葺の大きな建物は御塩殿(みしおでん。板垣内向かって右奥に小さな御塩御倉(みしおのみくらがある。
神殿の裏手海辺近くに生垣で囲まれた域内に御塩汲入所(みしおくみいれしょ御塩焼所(みしおやきしょがある。そして少し離れて二見町西、五十鈴川河口の右岸に御塩浜(みしおはまがあるのである。
          
       御塩殿神社         御塩殿                          御塩焼所             

     心が引き締まるような静けさ、神々しい雰囲気が漂っていた。
     御塩汲入所       歌碑    

順序を追えば、毎年7月下旬の土用の頃満潮時に五十鈴川水門から塩田・御塩浜」に海水を引き入れて、炎暑の天日で水を蒸発させ塩分20%位に濃縮させた塩水・鹹水(かんすいを作る。それを壺に入れて「御塩汲入所」に運び保管し、「御塩焼所」にて鉄釜で煮込み荒塩を作る。その荒塩を「御塩御倉」に保管し「御塩殿」で三角形の土器に詰めて焼き固めて仕上げるという作業行程を踏んで堅塩が出来上がるわけだ。
それにしても塩分2%のものを20%に濃縮すのは大変な作業だろう。あの絹織物や麻織物を織るのと同様これも地域住民の奉仕だそうだ。。。。。

御塩を御塩殿神社から神宮まで運ぶ道を御塩道(みしおみちと言うそうであるが、傍に「方丈記」の作者として知る鎌倉時代の鴨長明の歌碑があった。この神聖な雰囲気に感動して詠んだのであろう「二見潟 神さびたてる 御塩殿 幾千代みちぬ 松かげにして」と。


最後に御塩浜の写真を足しておこう。
            

このツアーは本当によかった。楽しかった。勉強になった。これも担当の観光案内人さんと添乗員の皆さん次第であったはず。ありがとうございました。  
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