11月22日(日)
数年来の願い叶って、奈良市に在る興福院(こんぶいん)の拝観に出かけた。
11月21日(土)~23日(月)の3日間「秘宝・秘仏特別開帳」で拝観可能を知った(『祈りの回廊』)。
約20年ぶりの特別拝観の機会に恵まれたわけで、どれほど沢山の人が喜んだことだろう。
ご本尊阿弥陀三尊像(重文)や茶人小堀遠州(1579_1647)、久保長闇堂(ちょうあんどう1571_1640)らに依る客殿(重文)と庭それに徳川家ゆかりの霊廟建築などが公開されていた。
本堂正面へ真っ直ぐに伸びる長い石段の下で撮った写真は私のお気に入りになりそう。
途中、慈眼寺の柿の木を見たくて立ち寄った。高さ12mもある巨木、樹齢3・4百年なのに未だ未だ勢いが有り、奈良市の指定文化財に指定されているとか。
以前に見た時は柿の季節ではなかったので、今ならひょっとして沢山の柿の実が見れるかと期待していたのだが、鳥の為に残された1つだけだった。思うに、たった1つの残り柿には鈴生り以上の風情があるかもだよな・・・・・
(画像はクリックすると拡大する)
興福院の長い参道の両側の木は紅葉し、遅咲きの朝顔・赤い実を付けた南天・黄色く色づいたカリンetc.今まさに秋景色であった。参拝者の皆さんもゆっくり楽しみながら歩いていられた。
四脚門の大門をくぐり更に中門をくぐって振り返ると真っ赤な紅葉がとても綺麗だった。
客殿の檜皮葺の屋根に感動、受付や廊下・縁側のあちこちに飾られた秋草の見事な生け花、堂内や境内の設えは情趣に溢れ、聞きしに勝るものであった。
実物の展示はなかったが徳川五代将軍・徳川綱吉公が愛妾に年始・中元・年末などの祝儀を贈る際、贈り物の上に掛けられていたという豪華な刺繍袱紗(ふくさ)の写真が展示されていた。客殿奥の間は写真撮影が許されていた。
回廊の中程で一旦境内に降りて御霊屋の外観を拝見し、回廊を更に進んで本堂へ。静かで厳かな雰囲気に包まれながら天平の木心乾漆像阿弥陀三尊像(重文)を拝んだ。身が引き締まった。
天平仏像の特徴と言われる豊かな肉付きの三尊(左脇侍は日光菩薩像、右脇侍は月光菩薩像)、私は中尊像阿弥陀様(89cm)の説法印・下品中生(げぼんちゅうしょう)の印相を観たかった。
ネット「観仏リスト01(興福院)_ 観仏日々帖_FC2」ページの素晴らしいお写真に魅かれここにコピーさせていただいた。ありがとうございました。
九品(くほん)印は親指と他の一指で丸を作る手の所作で決まり、「上品(じょうぼん)」は親指 と人指し指、「中品(ちゅうぼん)」は親指と中指、「下品(げぼん)」は親指と薬指で丸を作 り、「上生(じょうしょう)」は瞑想時のスタイルで膝の上で手を組み、「中生(ちゅうしょう)」は両手を胸の所まで挙げ、「下生(げしょう)」は右手が胸、左手は坐像の場合は膝の上に置き立像の場合はだらりと下げて掌を前方に向けるそうである。
ココは法蓮町だが、創建当初は平城京右京四条二坊、現在の近鉄尼ヶ辻駅のすぐ東に在って、聖武天皇の御学問所であったとか。
その後衰退していたところ、筒井順慶の一族から尼寺として再興され、豊臣秀吉や徳川家の寄進を受けて今日に至っているそうである。
1642年(江戸の寛永19年)に再建、本堂の屋根は中間で流れが変わる段差が有って、錣葺(しころぶき)と言うらしい。初めて知ったのだが、シンプルでとても素敵だよな。それに今パンフで分かったのだが、本堂の扁額は小堀遠州の揮毫だそうで、見落としたのが少々残念・・・・・
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11月21日(土)~23日(月)の3日間「秘宝・秘仏特別開帳」で拝観可能を知った(『祈りの回廊』)。
約20年ぶりの特別拝観の機会に恵まれたわけで、どれほど沢山の人が喜んだことだろう。
ご本尊阿弥陀三尊像(重文)や茶人小堀遠州(1579_1647)、久保長闇堂(ちょうあんどう1571_1640)らに依る客殿(重文)と庭それに徳川家ゆかりの霊廟建築などが公開されていた。
本堂正面へ真っ直ぐに伸びる長い石段の下で撮った写真は私のお気に入りになりそう。
途中、慈眼寺の柿の木を見たくて立ち寄った。高さ12mもある巨木、樹齢3・4百年なのに未だ未だ勢いが有り、奈良市の指定文化財に指定されているとか。
以前に見た時は柿の季節ではなかったので、今ならひょっとして沢山の柿の実が見れるかと期待していたのだが、鳥の為に残された1つだけだった。思うに、たった1つの残り柿には鈴生り以上の風情があるかもだよな・・・・・
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興福院の長い参道の両側の木は紅葉し、遅咲きの朝顔・赤い実を付けた南天・黄色く色づいたカリンetc.今まさに秋景色であった。参拝者の皆さんもゆっくり楽しみながら歩いていられた。
四脚門の大門をくぐり更に中門をくぐって振り返ると真っ赤な紅葉がとても綺麗だった。
客殿の檜皮葺の屋根に感動、受付や廊下・縁側のあちこちに飾られた秋草の見事な生け花、堂内や境内の設えは情趣に溢れ、聞きしに勝るものであった。
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実物の展示はなかったが徳川五代将軍・徳川綱吉公が愛妾に年始・中元・年末などの祝儀を贈る際、贈り物の上に掛けられていたという豪華な刺繍袱紗(ふくさ)の写真が展示されていた。客殿奥の間は写真撮影が許されていた。
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回廊の中程で一旦境内に降りて御霊屋の外観を拝見し、回廊を更に進んで本堂へ。静かで厳かな雰囲気に包まれながら天平の木心乾漆像阿弥陀三尊像(重文)を拝んだ。身が引き締まった。
天平仏像の特徴と言われる豊かな肉付きの三尊(左脇侍は日光菩薩像、右脇侍は月光菩薩像)、私は中尊像阿弥陀様(89cm)の説法印・下品中生(げぼんちゅうしょう)の印相を観たかった。
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九品(くほん)印は親指と他の一指で丸を作る手の所作で決まり、「上品(じょうぼん)」は親指 と人指し指、「中品(ちゅうぼん)」は親指と中指、「下品(げぼん)」は親指と薬指で丸を作 り、「上生(じょうしょう)」は瞑想時のスタイルで膝の上で手を組み、「中生(ちゅうしょう)」は両手を胸の所まで挙げ、「下生(げしょう)」は右手が胸、左手は坐像の場合は膝の上に置き立像の場合はだらりと下げて掌を前方に向けるそうである。
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その後衰退していたところ、筒井順慶の一族から尼寺として再興され、豊臣秀吉や徳川家の寄進を受けて今日に至っているそうである。
1642年(江戸の寛永19年)に再建、本堂の屋根は中間で流れが変わる段差が有って、錣葺(しころぶき)と言うらしい。初めて知ったのだが、シンプルでとても素敵だよな。それに今パンフで分かったのだが、本堂の扁額は小堀遠州の揮毫だそうで、見落としたのが少々残念・・・・・