今日は赤坂に行ってきました。
早く出たにもかかわらず、暑い。
1時間も歩いていると、熱中症になりかけるほどです。
以前、和歌山で根来 ( ねごろ ) 忍者、根来寺の僧兵のことは、調べていましたが、
ここのところ、忍者への知識も思いもなく、欠落してしまっていました。
データがあったことがわかり、改めて認識していなかった世界に
お詫びと感謝に伺いました。
赤坂にある鈴振稲荷神社。
本能寺の変にまつわえう神社らしく、家康が伊賀越えの際に伊賀の山中を彷徨っていた時、鈴の音が聞こえた。観音堂の堂主の山名孝倫はは厨子の中より三個の鈴を取り出して家康に献じるとともに、付近の住民を集めて家康の道案内と警護をしたという。その後伊賀者が家康に召し抱えられて四谷の地に住む時、彼らは祠を建立し、さきの鈴を神鈴とし、鈴降稲荷神社として祀ったそうです。
元々四谷仲殿町にあり、仲殿町・伊賀町一帯(両町併せて、おおよそ現在の新宿区若葉1丁目。かつて伊賀者が住んだ)が氏子であった。
元々四谷仲殿町にあり、仲殿町・伊賀町一帯(両町併せて、おおよそ現在の新宿区若葉1丁目。かつて伊賀者が住んだ)が氏子であった。
上知(土地が御用地として召し上げ)となった際には現在の赤坂一ツ木に替地を支給され遷座している。赤坂一ツ木の一部は当時伊賀者の所領であったと言われているので、伊賀者の鎮守社だったようです。
四谷仲殿町(新宿区若葉1丁目東部)は、かつて服部半蔵と共に伊賀者を率いた服部仲の下屋敷があったそうです。
忍者のことは、全く私の意識からは抜け落ちていました。
どんな思いで役割を果たさなければ、一族の存続がなかったのか、
その思いを考えると、胸が痛みます。
データを小喬できるかどうかはわかりませんが、
日枝神社の神様にも己の意識の低さをお詫びに行きました。
気づける事に感謝です。
私の中で、こだわっていたものが消えました。
自分ではないものの存在が明らかになり、感謝です。
お盆に参拝できることは、幸せです。