「私のカタカムナ」(静風社)を書いたときよりも、
進んでいます。
はじめに両手ひ人差し指で始めたカタカムナ。
ミスマルノタマってどんなものだろうと考えながら解いていきました。
意識によってできるものが異なることに気づきました。
ループが出現し、潜在意識とハイヤーセルフの大切さを学びました。
データ消去の重要性を認識し、進みましたね。
究極のデータにまでたどり着いての
新たな実践が始まりました。
しかしながら、どんなに言葉で伝えても
個々の育ってきた環境によって、意識が異なります。
これはどうしようもないものなのかもしれません。
言葉でどんなに説明しても分かたないものはありのです。
説明しなくても、
常に神々とともにあると思って生かされていると思う人と、
神々を知らずに生きてきた人との差を埋めることは、
それほど簡単にできません。
ここまで言わないといけないのかんなと思う情けなさが、
こみ上げてきます。
人は、これほどまでに堕ちた存在になってしまったのかと思うと、残念です。
かくいう私も、その一人なのですが。
オ・ホノポノも単に言うだけでは、難しいものです。
ブルーウィーターも飲むだけで消えるとはいかないようです。
意識を培う方法を学ばないと、難しいでしょうね。