古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

飛鳥宮跡

2025年02月26日 | 実地踏査・古代史旅
飛鳥の中心地へ戻ってきました。飛鳥宮跡と呼ばれる場所は6世紀末から7世紀後半までの間に設けられた複数の宮殿の遺構です。ただ、この場所は昔は「伝飛鳥板葺宮」という名称で、皇極天皇が設けた「飛鳥板葺宮」の遺構とされていました。しかし、その後に調査が進展して宮殿遺構が重複して存在していることがわかり「飛鳥宮跡」と名称を変更しています。




現在わかっている宮としては、舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板葺宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮の4つです。中学の歴史研究会で来た時の記憶では、写真などでよく見る石敷き遺構のある部分だけかと思っていましたが、今回来てみて「こんなにも広い空間だったのか」と驚きました。

内郭の東南の隅から西側を見た様子、つまり内郭の南一帯です。



内郭の北東隅にやってきました。



例の石敷きの遺構です。この上に飛鳥板葺宮があると思っていましたが、この真ん中からは井戸が見つかっています。



石敷き遺構の西隣りに建物がありました。建物越しに内郭の南側を望みます。(余計なものが写っていますが無視してください)



内郭の北端から北側を望みます。右に香具山、真ん中に耳成山、そして左側が甘樫丘です。


ここに立っていると、激動の飛鳥時代、この場所を中心に日本が動いていた、まさにこの場所で蘇我入鹿が討たれたとは想像できないくらい、のどかな田園風景に癒されます。さて、次は酒船石です。

(つづく)

------------------------------------------
↓↓↓↓↓↓↓ 電子出版しました!










コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 都塚古墳・マラ石 | トップ | 酒船石遺跡 »

コメントを投稿

実地踏査・古代史旅」カテゴリの最新記事