2019年9月14日~15日、思い立って久しぶりの車中泊ツアーに出かけました。行き先は琵琶湖。当初は四国へ渡って室戸岬まで走ろうかと考えていたのですが、前夜、東京からの帰省で自宅に着いたのが22時を過ぎていたために準備ができなかったこともあり、手近なところで済ませようという気持ちが働いて、以前から企画していた一泊コースの琵琶湖一周ということになりました。いつも通り、奥さんとワンコと一緒です。
ということで当日の朝に準備をしたために出発は12時を少し回った時間となりました。そして、今回は全く時間を気にせずに行き当たりばったりで行こうと決めたので、高速道路も使わずに全て一般道を使うことにしました。しかし、これは少し失敗だったようです。よくよく考えれば世の中は3連休です。あちらでもこちらでも渋滞に巻き込まれてしまい、琵琶湖に到達するのに3時間を要してしまいました。
琵琶湖を西から時計回りに一周しようと考えていたので琵琶湖にたどり着いたら、大津市の皇子山古墳、近江大津宮跡、高穴穂神社(高穴穂宮跡)、日吉大社などを訪ねたいと思っていたのですが、さすがに3時を過ぎてしまったので、このなかから一カ所、高穴穂神社を選択しました。
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ここは第12代景行天皇が晩年に纒向日代宮から遷都した志賀高穴穂宮があったところとされています。景行天皇のあと、第13代成務天皇、第14代仲哀天皇の三代にわたって宮が営まれました。
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神社の祭神は景行天皇で成務天皇も合祀されているとのこと、そして相殿神として住吉神(上筒男神・中筒男神・下筒男神)と事代主神が祀られています。
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左手奥に見える白のミニバン、これが私の車です。
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神社の裏は「穴太の森」という小さな森になっています。森を横切るように小さな溝があり、比叡山から流れ出したきれいな水が勢いよく流れていました。森を抜けると石碑が建っていました。
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この森でワンコのリードをはずしてあげました。3時間も車に乗っていたためか、嬉しそうに走りまわりました。
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石碑の前は小さな公園になっていて、あやしげなおじさんが入ってきました。あとで奥さんに聞くと、日本書紀と書かれた本を片手にうろうろしていたとのこと、ひとりで神社や遺跡を訪ねるときの私のような人だということですね。
比叡山の東麓にあるこの地は穴太ノ里(あのうのさと)と呼ばれ、安土桃山時代に石垣施工を担った石工の集団である穴太衆の故郷でもあります。穴太衆は古墳築造などを担っていた石工の末裔とされていますが、古墳の築造には葺石、石槨、石棺など石材加工と積石の技術は欠かせないものです。穴太衆の積石の技術は穴太積みと呼ばれ、近江地方の城郭や寺院に多く見られるそうです。神社の横に穴太積みの石垣が復元されていました。
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果たして本当にここに高穴穂宮があったのかどうか。「ご自由に持ち帰り下さい」として置いてあった由緒書きによると、景行天皇が崩御したあと、次の成務天皇が先帝の偉徳を追頌して御尊霊を祠るために穴穂宮廷内の一隅に設けた天徳前王社が高穴穂神社の発祥であり、それは今から約1,860年前のこととしています。なんと、伊勢、三輪に次ぐわが国最古の神社であるとも書いています。
大津市北部の近江神宮から日吉大社付近にかけての山麓地域には1,000基を超えるといわれる古墳が群集しているそうです。高穴穂神社の裏手を少し上がったところにも穴太野添古墳群があります。6世紀前半から7世紀初めのものとされているので、高穴穂宮とは関係ないのかもしれませんが、この宮の建設、運営に関わった豪族や皇族たちの後裔集団の墓域であったのかもわかりません。
さて、高穴穂神社はこれくらいにして、次は堅田にある浮御堂へ向かいました。
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