麗澤大学の生涯学習講座「日本の神社、日本の神々」を受講してきました。担当の岩澤先生は昨年のセカンドアカデミー(株)主催の公開講座「Japanリベラルアーツ入門~神話と芸能~」以来となります。全5回の講座で参加可能なのが2回しかないのは残念なのですが、先生のお話は大変示唆に富む濃い内容なので是非とも聴きたいと思っていました。期待した通り、今回も様々な気づきがありました。
今回のお題は「伊勢神宮・創建の謎に迫る:前編」。まずは「神(カミ)」のお話。前回も教えてもらったキリスト教の「God」との違い。そして「御生れ(みあれ)」。神様は海から、そして川を通ってやってくる。そういえば日本書紀には、大巳貴神(大国主神)が出雲の国造りを終えた後、ともに国を治める者がいようか、と言ったときに神々しい光が海を照らしながらやって来た、というくだりがある。古事記にも同様の記述がある。この神は大巳貴神の幸魂・奇魂であった。記紀神話は大国主の国造りから葦原中つ国平定(国譲り)を経て天孫降臨へ。
天空の自然現象そのものが神(天つ神)であり、神は天から山へ、そしてふもとの樹木へと降りてくる。そのあと、木から離れて川の流れに潜る。海や川を通って水をくぐり抜けてやってくるので「蛇体」とも考えられたとのこと。そして、筑紫申真氏の「アマテラスの誕生」からの引用を用いて「カミのすみかは海(あま)から天(あま)へ」と説かれる。
3年前に古代史実地踏査ツアーで岡田さんや佐々木さんと熊野に行ったときに事前学習で読んだ「ヤマト王権幻視行 熊野・大和・伊勢」。詳細は忘れたが、古代日本人の神との関係は、もともとの水平思考に垂直思考が加わった、という主旨のことが書いてあったのを思い出した。同じ話だ。もう一度読んでみよう。「アマテラスの誕生」も早速アマゾンで注文した。それと、海や川を通って水をくぐり抜けてやってくる神がしばしば蛇と考えられたのは何故だろうか。蛇信仰や龍蛇信仰を勉強しよう。
宮崎県の西都原考古博物館で見た隼人の楯にはS字のような文様が描かれている。岡山の吉備古代文化財センターで見た百間川原尾島遺跡から出た彩文土器に描かれた文様はこれと酷似している。私はいずれも水の流れや潮が渦巻く様を表していると考えるのだが、龍や蛇を表しているという考えが一般的のようだ。私はさらに想像をたくましくして、吉備の楯築遺跡で見た弧帯文石に刻まれた文様や特殊器台に刻まれた文様も水の流れや渦巻く潮をデフォルメしたものではないかと考える。このことから隼人族も吉備一族も海洋族であったと考えるのである。
隼人の楯。
百間川原尾島遺跡出土の彩文土器。
楯築遺跡の弧帯文石。
特殊器台。
講義が終わった後、先生に挨拶をしようとタイミングを見ていると先生がわざわざ席まで来てくれた。少し立ち話をさせていただいたが、そこでも気づきがあり、阿曇族と住吉大神を勉強しようと思った。そして何よりも、数か月前から思い始めていたこと、吉備ツアーで佐々木さんのアイデアに刺激を受けてその思いがさらに強まっていた矢先、先生の講義がそれを決定づけた。それは、自分の仮説をゼロベースで見直そうということ。これまで自分の仮説に基づいて古代日本、すなわち大和政権の成立過程を考えてきたが、様々なところで「?」を感じながらある意味強引に進めてきた。岡田さんや佐々木さんとの実地踏査やディスカッション、岩澤先生のお話も含めて、学びの幅と深さが増してきたこのタイミングで考え直そうと思った。
そして、私たちの実地踏査ツアーに岩澤先生にも参加していただけたらどんなに充実ツアーになるだろうか、と想像しながら帰路についた。
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