古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

都塚古墳・マラ石

2025年02月25日 | 実地踏査・古代史旅
都塚古墳は石舞台から5分ほど南へ走った田んぼのなかにあります。6世紀後半の築造で41m×42m方墳、「金鳥塚」とも呼ばれるそうです。ピラミッドのように階段状に石を積み上げた特殊な構造をしていて、少なくとも6段以上あるとのこと。朝鮮半島の百済の積石塚を模しているとの説があるらしい。




横穴式石室には刳り抜き式の家形石棺がそのまま残されています。この古墳は蘇我稲目の墓とする説があり、それで行っておきたいと思った次第です。




墳丘に登ると遠く生駒山まで見通せました。さっきの石舞台が蘇我馬子の墓だとすると、石舞台よりも少し古い築造であること、蘇我氏の勢力域の中でもっとも高い位置に造られていること、百済と関係がありそうなこと、などから稲目の墓だろうなと思いました。



この次はすぐ近くの「マラ石」に寄ってみました。この石が何故この場所にあるのか、子孫繁栄や農耕信仰と関係があるとか、飛鳥五大寺のひとつ、坂田寺の境界を表しているとか諸説あるようです。




これを見て思い出したのが飛鳥坐神社です。こんな石が「これでもか」というくらいに境内に溢れています。事代主命などを祀る神社に何故こんな石が奉納されるのかわかりませんが、おそらく「おんだ祭」に見られるように、五穀豊穣や子孫繁栄の御利益を願ってのことだと思います。このマラ石も当初は飛鳥坐神社に奉納する目的で作られたのだけど、何らかの理由でこの場所に据え置かれたまま今まで放置されてきた、と単純に考えておきたいと思います。



それにしてもよくできていますね。さて次は、飛鳥宮跡へ。

(つづく)

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