10月19日に他界した親父は私に似て記録魔だった。
全国各地を旅した写真も、生まれて間もない頃から死の直前までの自分の写真も、スナップ写真も、愛猫の写真も、すべて場所ごと年度ごとにアルバムに整理されていた。
そのアルバムの数は数十冊に及ぶ。
愛車の給油と走行記録が克明に記載された手帳は10数年分が残されていた。
その親父は死ぬ前日まで日記をつけていた。
5年分の日記が1冊にまとまった、博文館から出ている「5年連用日記」である。↓
このブログでは、親父の腫瘍マーカーの数値や、私の親父に対するエールを掲載し続けてきた。
親父が他界して、それも終わる。
しかし、親父が一人で日々を生き抜いた事実は残っている。
たった一人で頑張っていた親父。
死の直前まで、自分を客観的に見続けていた親父。
多くの人に愛されていた親父。
その親父の3年間の日々がこの日記には詰まっている。
不謹慎との誹(そし)りを受けようと、生前、親父に何の孝行もしてやれなかった私にできることは、親父が生きた痕跡を、親父が頑張っていた証(あかし)を、「日記の公開」という形で世に残すことだと思う。
ブログにデータとして残しておけば、今は幼い私のこどもたちも、いつの日か、祖父の生き様を手に取って読んでくれるだろう。
日記は当然ながら1月1日が起点になっているが、ブログでの公開は10月20日分から始めようと思う。
これから毎日、3年前、2年前、1年前の同じ日に親父が書き残した日記を公開する。
1年後の10月19日。親父の一周忌で「親父の日記の公開」が完結する、という運びである。
1年間かけて親父の日記を公開する作業を続けることが、私なりの供養だ。
親父。
もし、日記の公開に反対だったり、そんなことされたら恥ずかしくて成仏できん、ということなら、遠慮なくそう言ってくれい。
四十九日法要前なんだから、まだ、この世のどこかにいるんだろ?