WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

北条氏の他氏排斥過程ではない

2022年08月17日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 589◎
Joao Gilberto
Amorosa
 『鎌倉殿の13人』に関する話題である。ドラマでは、頼朝が死に、いよいよ有力御家人間の血生臭い勢力争いが始まった。すでに、梶原景時が排斥され、阿野全成が誅殺され、先週は比企能員が滅ぼされた。幕府内紛の主な事件をまとめておくと、次の通りである。
1999 源頼朝の死
1200 梶原景時が滅ぼされる
1203 阿野全成が誅殺される
1203 比企能員が滅ぼされる
1203 源頼家が幽閉される(翌年死亡)
1205 畠山重忠が滅ぼされる
1205 北条時政が幽閉される
1213 和田合戦(和田義盛が滅ぼされる)
1219 源実朝が暗殺される
 高校の授業では、これらを「北条氏の他氏排斥過程」として一括して取り上げることが多い。しかし、本当はそれは間違っている。それは北条氏が権力を握ることを前提として、そこから遡及した見方だ。実際の歴史の「現場」では、どっちに転ぶかわからなかったはずだ。例えば、「比企能員の乱」というが、実際には、その時点での幕府内での勢力は比企氏の方が優勢だったはずであり、その状況をひっくり返すために北条時政がクーデターを起こしたというのが本当のところだろう。一歩間違えば失敗に終わったかも知れなかったのだ。だから、この事件は《乱》などではない。それは最終的には北条氏が権力を握るのが正しかったのだとする『吾妻鏡』的な見方だ。
 鎌倉時代史の中心史料『吾妻鏡』は、北条氏の正当性を主張するために編纂されたものだ。それぞれの事件は、京都側の史料などを参照しつつ、注意深く分析されなければならない。その意味では、ドラマで「比企能員の乱」がクーデターとして描かれていたことは注目されてよい。
 今週は、いよいよ頼家の幽閉かも知れない。血生臭い抗争はまだまだ続く。

 今日の一枚は、ジョアン・ジルベルトの1977年作品『イマージュの部屋』である。Apple Musicで今日初めて聴いた。きっかけは、kindleの読み放題でたまたま読んでいた鈴木良雄『人生が変わる55のジャズ名盤入門』の54位に取り上げられていたからだ。友人たちが取り上げた55の作品にジャズベーシストの鈴木良雄がコメントを付すといった趣向の本である。この作品について、鈴木氏はあまり興味はないようであるが、ジョアン・ジルベルトが日本でのコンサートの時、疲れてステージ上で寝てしまって、その間客がずっと静かに待っていて、目が覚めたらまた歌いだしたらしい、という話が載っていた。静かな歌だったから、それも演出だと思ったのかもしれないと書かれていた。本当だろうか。
 暑い夏に、クーラーの効いた部屋で、庭を眺めながら聴くのには悪くない作品である。異なる状況では、やや退屈かもしれない。

頼朝の死と吾妻鏡の沈黙

2022年08月16日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 588◎
Michael Franks
Dragonfly Summer
 『鎌倉殿の13人』では、源頼朝の死について、相模川の橋の供養の帰り道に落馬したシーンが描かれた。それ以前から体調が悪そうだったので、何かの病の結果、落馬したという描き方だったと思う。
 頼朝の死は、建久10(1199)年1月13日のことらしいが、その実像は詳しくはわからない。鎌倉幕府の歴史を記した『吾妻鏡』は、建久7(1196)年から建久10(1199)年まで、すなわち頼朝が死亡する前の約3年分の記事が欠落しているからだ。『吾妻鏡』が頼朝の死について記すのは、それから13年後の建暦13(1212)年2月のことだ。重臣らが将軍実朝に橋の修理について答申した記事にちょっとだけ出てくる。三浦義村が提案した相模川の橋の修理について、北条義時・大江広元・三善善信らが話し合い、かつてこの橋の落成供養の帰り道に頼朝様が落馬して程なく死んでおり、縁起が悪いから作り直す必要はないのではないかと答申したという記事である。挿話として出てくるだけなのだ。
 鎌倉幕府の正史ともいえる『吾妻鏡』に、鎌倉幕府の創設者である源頼朝の死が記されていないことは奇妙だ。しかも、13年後の記事に落馬というおよそ征夷大将軍らしからぬ死に方が記されているのだ。陰謀論が提起される所以である。『吾妻鏡』は頼朝の死に触れたくなかったように見える。さらに、「落馬」を象徴的な言葉としてとらえることもできるわけだ。
 ただ、建久10(1999)年に頼朝が死亡したことは事実のようだ。『尊卑分脈』 や慈円の『愚管抄』あるいは京都の公家の日記(古記録)などが記しているからだ。これらの中には、頼朝の病が「飲水の病」(糖尿病)だとするものもあり、それが原因で落馬したのかも知れない。陰謀論めいたことは記されてはいない。
 『吾妻鏡』に頼朝死亡前の3年分の記事がないことについては、すでに石井進氏の名著『鎌倉幕府』(中央公論社)が、破棄等による隠蔽ではなく、はじめから書かれなかったのではないかと推測しているが、『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する坂井孝一氏も『源氏将軍断絶』(PHP新書)の中で同じ立場を取り、その理由を頼朝晩年のいくつかの失政や、将軍後継問題など北条氏に不都合な事実を隠蔽すために、『吾妻鏡』は記事自体の作成を行わないことを選択したのではないかと仮説を提示している。『吾妻鏡』は北条氏の正当性を主張するために編纂された史書なのである。

 今日の一枚は、1993年作品『ドラゴンフライ・サマー』である時々、学生時代にはまっていたマイケル・フランクスを聴きたくなる。いつだって期待を裏切らないジャージーでソフト&メローなサウンドがいい。暑苦しい夏に、熱いハードロックを聴いた青春時代が夢のようである。もう直接的な刺激で心の汗をかきたいとは思わない。そんな体力もない。静かに、しかし確実にじわじわと心に沁みてくるようなサウンドが好ましい。それぞれの曲はもちろん悪くないが、特定の曲を何度もリピートすることはない。何というか、アルバム全体の雰囲気を感じている気がする。いつもソフト&メローであるが、予定調和的なところがない。それが、マイケル・フランクスのいいところだ。
 

IgA腎症と私⑯

2022年08月16日 | IgA腎症と私
「寛解」した!
 開放腎生検のための最初の入院から約1年、昨日の通院で担当医師から「これ以上悪化することはない。寛解です。」といわれた。
 うれしい。というのは、はっきり言ってちょっとビビっていからだ。6月の通院ではeGFR 37.89(CRE 1.52)、同じく6月の職員検診ではeGFR 36.1(CRE 1.59)と数値の悪化が続いており、また血圧も最近高いことが多かったのだ。
 昨日の通院では、eGFRが42.12(CRE 1.38)だった。尿蛋白はなし、これまで+1が続きなかなか無くならなかった尿潜血もやっと消えた。一方、長期間ステロイド剤を服用したことによる血糖値の上昇も、6月からステロイド服用を止めたことでかなり落ち着いてきているとのことだった。もちろん冷静に考えれば、腎機能は100点満点中42点であり、いわば赤点すれすれである。しかし、何とかこの数値を維持し、透析をまぬがれたい。
 医師からは、今回の通院で終わりにしてかかりつけ医に戻るか、もう一回だけ通院して終わりにするか問われたが、念のため10月にもう一度だけ通院することにした。

 なお、バリウムを飲む職員胃検診で開放腎生検を行ったことを告げると、一年以内に開腹手術をしたものはできないといわれ、担当医に確認してくるよう指示されたが、これについても問題ないとのことだった。

被災地の海水浴場

2022年08月08日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 587◎
Walter Rodrigues,Jr
My Favorite Hymns,Vol. 1
 先日、気仙沼市のお伊勢浜海水浴場が東日本大震災以来12年ぶりに海開きをしたというニュースに接した。お伊勢浜海水浴場は 私の家のすぐそばにある海水浴場だ。本当は、昨年海開きをするはずだったが、コロナ禍でできなかったのだ。今日は休みが取れたので、郵便局に行くついでに立ち寄ってみた。
 平日の、朝の9時過ぎだったのでほとんど海水浴客はいなかった。ついでに、車で5分程度の大谷海水浴場にも行ってみた。
 やはり、平日の朝ということでほとんど海水浴客はいなかった。ちょっと前の土曜日曜は、暑さもあって多少賑わったようだが、大震災前の様相には遠く及ばず「密」でさえなかったようだ。
 もちろん、コロナ禍であることは大きいだろうが、少子化のため子どもずれのファミリーが減ったこと、若者たちが暑く潮風のベタベタしたレジャーをこのまなくなったことなども理由としてあげられるだろう。何より、今の若者たちは、海がある気仙沼に住んでいながら、その成長過程において海水浴を経験してこなかった世代なのだ。もちろん、仕方のないことだ。震災以来、気仙沼の海水浴場はずっと巨大な工事現場の様相を呈していたのだから。
 我々は、海水浴をはじめとする海での活動で、いろいろな冒険をし、失敗し、学び、教えられた。それらは強固な経験や思い出となって、その後の人生を規定する一つとなったようにも思う。海水浴を知らない世代が、新しい気仙沼の街を変えてゆくことになるのだろう。

 今日の一枚は、ウォルター・ロドリゲス・ジュニアの2010年作品、『My Favorite Hymns,Vol.1』である。ウォルター・ロドリゲス・ジュニアは、先日記したように(→こちら)、昨年の入院中に知り、エレガットに興味をもって再びギターを弾きはじめるきっかけとなったギタリストの一人である。この作品も歌心溢れる演奏全開であるが、よりジャージーな演奏が展開され、私的には思わず笑みが零れてしまう。
 今日は暑いが、幸い海風がある。エアコンをかけず、窓を全開にしてちょっとベタついた涼しい風を感じながら、スマホをYAMAHAのサウンドバーにつないで、apple Musicで聴いている。ウォルター・ロドリゲス・ジュニアのギターの響きが涼しい潮風と溶け合い、何ともいえない穏やかな時間を作り上げてくれる。
 

エアロスミスのTシャツを買った!

2022年07月31日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 586◎
Aerosmith
Live! Bootleg
 エアロスミスのロゴマーク入りのTシャツを買った。綿製の安っぽいTシャツだ。エアロスミスは高校生の頃、よく聴いていたのだ。2週間程前、気仙沼市のイオンで見つけた。買おうかなとも思ったが、いい年をしてエアロスミスのTシャツを買うという行為が気恥しく、また綿製のやや厚手のものにもかかわらず、1700円という値札が付いていたため、ちょっと高いなと思い、スルーした。一昨日、妻と東北歴博(→こちら)に行った帰りに石巻市のイオンに立ち寄ったところ、同じものと思われるTシャツを発見。地元から遠い石巻で、しかも1000円に値下がりしていたこともあって、ついに購入。ちょっとした禁忌を犯したような気分だ。
 エアロスミスは、初期において何度かロゴマークを変更しており、このTシャツのロゴマークは現在のもののようだ。私見によれば、1978年の『LIVE ! BOOTLEG』に刻印されたのが最初ではなかろうか。という訳で、このTシャツを着て、この暑い日に暑苦しいエアロスミスを聴いている。

 今日の一枚は、エアロスミスの1978年作品、『ライブ・ブートレック』である。高校生の頃、ラジオやロック雑誌で宣伝していた。欲しかったが、2枚組ということもあり、その時は断念せざるを得なかった。また、ブリテッシュ・ロックかぶれの高校生の私にとって、アメリカの能天気なバンドを聴くのはちょっとした秘密めいた行為だった。特に、グランドファンクとエアロスミスについては、友達にいったら馬鹿にされるんじゃないかと思ったものだ。LPを買うことはなおさらのことだったと思う。したがって、このアルバムについては、少し後にFMでエアチェックしたテープで聴くことになった。
 エアロスミスの何枚かのCDは、大人になってから購入したが、このアルバムのことはすっかり忘れていた。今日は、Apple music のハイレゾロスレスで聴いている。iPadから外付けDACを通してステレオ装置で聴いている。録音状態もあるのだろう。それ程音がいいとは感じない。
 到底いい演奏とは言えない気がするが、LIVEの高揚感は伝わってくる。スピード感が生かされた演奏もあるが、鈍臭い演奏も目立つ。もちろんたまにはLIVEも悪くないが、どちらかというとエアロはスタジオ録音盤が好きた。サウンドが緻密に練られている気がする。LIVEとスタジオ盤ではサウンドの水準がかなり違う。LIVEで不必要な動きを繰り返し、演奏も薄っぺらい感じがするジョー・ペリーというギタリストに私は懐疑的だ。本当のところはよくわからないが、バークリー音楽院を卒業したブラッド・ウィットフォード というもう一人のギタリストが、エアロのスタジオ録音を支えてしたのかもしれない。
 

欲望の昭和

2022年07月30日 | 今日の一枚(W-X)
◎今日の一枚 585◎
Walter Rodrigues jr.
Close To You

 昨日は、妻と一緒に、東北歴史博物館で開催中の特別展『欲望の昭和』を見学してきた。
 「欲望の実現としての消費」をキーワードに、戦後史を「豊かな人並みの暮らし」の実現から、「自分らしさ」や「自分にとっての豊かさの実現」への変化としてとらえた展示会は、なかなか興味深いものだった。何より、自分が生きてきた時代のモノやコトがたくさん展示されていて、楽しかった。
 自分か生きてきた時代のモノやコトを振り返ることで、現在立っている地点が鮮明になり、勇気のようなものを感じることができた。遠い過去を学問的な視座から展示したものももちろん興味深いが、身近な過去を確認することで人々に勇気を与え、心を穏やかにすることも博物館の重要な機能だろう。このような展示はしばしばやってもらいたいとも思った。
夏季特別展『欲望の昭和~戦後日本と若者たち』
令和4年7/16(土)~9/11(日)
東北歴史博物館(宮城県多賀城市)

 今日の一枚は、ブラジル出身のギタリスト、ウォルター・ロドリゲス・ジュニアの2019年作品『クロス・トゥ・ユー』である。このギタリストを知ったのは、昨年の入院中のことだった。退屈しのぎに You Tube を見ていて巡り合った。ガットギターの音色が美しいと思った。You Tube で見るウォルター・ロドリゲス・ジュニアは、実に楽しそうに音楽を奏でる。ゴダン(godin)のエレガットの音色が美しく響く。退院後、エレガットを購入してソロギターを始めたが、そのきっかけになった一人である。
  2019年作品のこのアルバムは、有名なポップス曲を集めたもので、大変親しみやすい。一曲の演奏時間が短いことで曲のエッセンスが凝縮され、冗長にならずに透明で美しい響きを楽しむことができる。ギターをいたわり慈しむように奏でられる、優しい音色が素晴らしい。暑苦しい夏には、最適の一枚である。
Isn't She Lovely
Can't Help Falling in love
Fly Me to The Moon
Besame Mucho
What a Wonderful World
(They Long to Be) Close to you
You Are the Sunshine of My Life
Don't Know Why
They Can't Take That Away from Me
Over the Rainbow
How Deep is Your Love

増殖するきゅうり

2022年07月24日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 584◎
板橋文夫
 数年前から家庭菜園をやっている。畳にすればわずか3~4畳程度の広さだ。全くの素人なので、見よう見まねや思い付き、思い込みでやっている。そんな私が植えたのにそれなりに育ってくれて収穫できるのがうれしい。今年は、畑にはオクラ・ピーマン・パプリカ・しし唐・唐辛子・きゅうり・かぼちゃ・ナス・トマトを植え、プランターではトマトとナスを育てている。他に、数年前に植えたアスパラガスとミョウガは毎年その時期になると収穫できる。
 
 今はきゅうりの収穫期だ。毎日、1~2本収穫できる。ところがである。近隣のお年寄りたちが次々にきゅうりを持ってきてくれるのである。素人の手習いで畑を運営している私を見かねてか、こうした方がいい、ああした方がいいと助言・指導に来てくれるのである。それ自体は苦ではない。助言されて、なるほどと合点がいくことも多々ある。困っているのは、そのたびに大量のきゅうりを持ってきてくれることだ。近くに住む母親も自分の畑で採れたきゅうりを持ってきてくれることもあって、私の家のキッチンはきゅうりでいっぱいである。そして、私の頭の中は、これらのきゅうりをどう料理しどう処分するかでいつぱいである。

 今日の一枚は、板橋文夫の1976年作品『涛』である。アップルミュージックのハイレゾロスレスで聴いている。ちょっと前に電源付きのライトニングケーブル用コネクタを購入し、iPadから外付けDACにつないで聴いている。音がいい。音の鮮度がいいのがはっきりわかる。誰てもわかるレベルで音が違う。
 板橋文夫の作品については、これまでに数作、このブログで取り上げた。その際も記したことであるが(→こちら)、もう20年ほど前に気仙沼市本吉町の「はまなすホール」で見たライブが忘れられない。板橋の作品を聴くと、いつもあの時の情景が甦ってくる。


カラマなカッター

2022年06月26日 | 今日の一枚(G-H)
◎今日の一枚 583◎
Harry Allen
I Can See Forever
 しばらくぶりの更新である。
 仕事が忙しすぎて暇がなかったのだ。あまりに忙しくて心の余裕がなく、授業中に胸が苦しくなったほどである。ブラックとはこのようなことをいうのであろうか。忙しさはもう少し続きそうだが、それでも抱えている任務のうち2つがとりあえず一区切りついた。この間、Bリーグでは宇都宮ブレックスか優勝して比江島選手がMVPを取り、『鎌倉殿の13人』では曽我兄弟の反逆が失敗し、源範頼が幽閉され、今日は頼朝が死んだ。石川で大きな地震が起こったと思っていたら、今日は熊本で大きな地震があったようだ。私事では、ステロイド(ブレトニン)の服用が終わった。

 今日の日曜日はしばらくぶりの完全オフである。これまで忙しかったせいだろうか、朝から妙にハイだった。5時に起き、iPadのリマインダーに懸案だった今日やるべきことをメモし、次々に片づけていった。6時から家の周りの草刈りをし、玄関の花を植え替え、床屋に行き、ホームセンターで園芸・農業用品をいくつか購入し、家庭菜園の畑の草取りをし、いくつかの作物の苗を植え、トマトとナスのプランターの土を増量して芽かきをし、アスパラガス畑に腐葉土を入れた。ちょっとだけ高校バスケの東北大会をBASKET LIVEで見た以外は、30度を超える炎天下の中ほとんど野外で活動した。
 おかげて、日に焼けてしまった。夕方には海水浴に行った時のようなあのぐったりした疲れを感じた。けれども、多少の達成感があって気分はいい。心地よい疲れだ。ビールも美味い。

 草刈りといえば、数週間前に「カラマなカッター」というグッズを購入した。草刈り機を使ったことのある人はお分かりのことと思うが、丈の長い草を切ると、草刈り機に絡まって刃の回転が止まってしまうのてある。「カラマなカッター」は刃の上にもう一枚上向きの刃を付けることで絡まる草を切る装置である。これが大正解だった。すごい。草が絡んで刃の回転が止まることがほとんどなくなった。快適である。まさに、「カラマなカッター」である。たった数百円で、草刈りのイライラがほとんどなくなった。時間があったら、また草刈りをしようと思うほどだ。

 今日の一枚は、アリー・アレンの2002年録音作品『アイ・キャン・シー・フォーエヴァー』である。このブログでも一度取り上げたことのある作品だ(→こちら)。暑い夏には、ボサノバかビーチ・ボーイズが聴きたくなる。無意識の文化的強制だろうか。ボサノバのLPやCDはたくさん持っているが、暑い夏にとりあえず利きたいと頭に思い浮かぶのは数枚のみだ。アリー・アレンのこの作品は間違いなくその一つである。リアルタイムで購入し、かなり聴き込んだ。今でも熱い真夏日には必ず思い浮かぶ。流麗なプレイと、哀しみを湛えたそのテイストが、火照った身体と心を癒してくれる。クールダウンした後も、じっと耳を傾けてしまうのはやはり、音楽の力なのだろう。

かつおの《たたき》

2022年06月06日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 582◎
Niels Lan Doky
River Of Time

 気仙沼港にもかつおが上がった。今年は魚影が薄いとのことで、豊漁とはいかないかもしれないとのことだ。スーパーのかつおはまだ高い。とはいえ、かつお好きの私は、ここ数日、毎日かつおを食べている。今日は、お隣岩手県大船渡港産のかつおが比較的安く手に入ったので、かつおの《たたき》を作ってみた。私の実家では《たたき》といっていたが、いわゆるタタキではない。全国的には《なめろう》というのかもむしれない。この辺のところは昨年も記事に記したところだ(→こちら)。生もタタキももちろん美味いが、私はこの食べ方が一番好きだ。今日のかつおの《たたき》は、美味かった。自画自賛である。一応、備忘録のつもりで、作り方を記しておきたい。
①玉ねぎをみじん切りに刻んておく。今日は中ぐらいのを丸ごと1つ使ってみた。これが良かった気がする。
②ミョウガをみじん切りに刻んでおく。今日はミョウガを2つ使った。風味がよい。3つ使用しても良いと思った。今日はスーパーで購入したが、この次は庭の花壇のものを使おうと思う。
③かつお(4分の1身)を細かく切る。今日は、はじめに縦に包丁を入れて長く切り、それから横に切ってサイコロ状にした。
④かつおの上にショウガ・味噌・玉ねぎ・ミョウガをのせる。いつもはすりおろしたショウガを使うが、今日はスーパーのサービス薬味を5つのせた。サービス品でも結構美味かった。味噌は小さいスプーンでやや大盛2つ分入れた。
⑤④をひたすら包丁でたたいて細かく刻む。細かさはお好みなのだろうが、私は結構細かく刻む。玉ねぎを刻んだ時に出る汁が、いい感じの味付けになるのだと思う。ときどき、混ぜ合わせる。特に、みそやショウガが全体にいきわたるように。
⑥大皿に盛りつけて出来上がりである。食べるときは小皿に取るが、しょうゆや味ぽんなど好みのものをかけて食べる。近年の私は、かつおには味ぽんマイルドと決めている。《たたきむ》のみならずタタキも生もである。これが美味い。

 今日の一枚は、ニルス・ランドーキーの2020年作品、『River Of Time』である。ニルスを、というよりトリオ・モンマルトルをよく聴いたのは、15~20年程前だったかもしれない。最近はご無沙汰だった。そういえば、最近のニルスはどうなってるのかと思い、apple Music で探して聴いてみた。
 いい意味でも悪い意味でもキザなピアノを弾くやつだが、私は基本的に好きなのだ。きれい系のやや構成的な感のあるピアノだが、決して予定調和的ではない。良質のアドリブ演奏が展開されるからだ。テーマを美しく奏で、流麗なアドリブ演奏に突入する。構成的と思ってしまうのは、アドリブが流麗すぎるからだろう。

SDGs唐桑半島トレッキングワークス

2022年06月06日 | 今日の一枚(M-N)
◎今日の一枚 581◎
New York Trio
Always
 昨日の日曜日、「SDGs唐桑半島トレッキング・ワークス」というイベントに家族で参加した。宮城オルレ唐桑コースとみちのく潮風トレイルの一部を歩きながらちょっとだけごみ拾いをし、フィニッシュ後はお弁当と海鮮浜焼きをごちそうになるという趣向だった。途中、たい焼きならぬサンマ焼きをいただいたり、フィニッシュ地点の中井小学校からスタート地点の半造レストハウス前までバスで送迎してもらったりして、参加費1000円は安いと思った。
 歩きながら、ニッコウキスゲという高山植物に出会った。高山植物だが、海風が冷たいのでここにも咲いているのだという。なかなか品のある可愛い花だと思った。歩行距離は5キロ弱だったので、トレッキングとしては不完全燃焼だが、病み上がりの身体のリハビリにはちょうどいい。また、たまには大勢で同じコースを歩くのも悪くない。スタート直後は団子状態でちょっと密な感じだったが、しだいにばらけていい感じで歩くことができた。
 こんなイベントがあったら、また参加してみたい。

 今日の一枚は、ビル・チャーラップ率いるNew York Trioの2008年作品"always" である。こういう古き良きアメリカの青春を想起させるジャケットは大好きである。ジャケ買いしていまう。New York Trioをよく聴いたのは、10年程前だった気がする。熱狂的に好きだったわけではなかったが、何となくいい感じだなと思ってCDを買ってしまう感じで、気づいたら結構な枚数を所有していた。最近、何かの作業をしながら聴くことが多い。いい気分で仕事ができる。
 ビル・チャーラップは、もちろんいいピアニストだと思う。New York Trioの時は、ジェイ・レオンハートの端正なベースに包まれて特に好きだ。奇をてらわず、過度の自己主張をしなくても、きちんと存在感を示すことのできるベーシストだと思う。

つつじ満開の徳仙丈山2022

2022年05月14日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 580◎
Bill Charlap Trio
'S Wonderful
 昨日の雨が上がったので、家族で午後から徳仙丈山に登った。徳仙丈山は、私が住む気仙沼市のつつじの名所である。山麓・中腹は満開で、本当に美しい光景を目にすることができた。GWに一度登ったおかげで、今回は胸が苦しくなったりすることなく、スムーズに登ることができた。家族の様子を見る心の余裕もあり、帰りは脇道にも入るなどプチ冒険しながら下山した。

 第一展望台から見たつつじが原と、つつじ街道の様子である。

 山頂付近はつぼみが目立つものの、すでに咲いているものも多かった。来週あたりには、山頂も満開になるかもしれない。天気が良ければ、昨年同様、急登を含む気仙沼口~本吉口の縦断トレッキングに挑戦したいと思った。

  山頂からの眺めはやはり素晴らしい。旧式のi phoneで撮影した写真では小さくしか見えないが、気仙沼湾横断橋や気仙沼大島大橋が大きくはっきりと見えた。山頂の、徳仙丈の神様にお参りして下山した。

 今日の一枚は、ビル・チャーラップ・トリオの2002年作品、'S Wonderfulである。『スウィング・ジャーナル』誌がこのアルバムの宣伝攻勢を行っていたのが昨日のことのようだが、もう20年も前のことだということに改めて驚く。いつもながらの、ビル・チャーラップの寛いだ感じのピアノが好ましい。このピアニストの高音のタッチが好きだ。美しいオルゴールのようだ。

徳仙丈なう2022①

2022年05月04日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 579◎
Bill Evans
You Must Believe In Spring

 思い立って、つつじの名所、徳仙丈に登った。今、山頂である。
 昨年入院してからすっかり体力が落ちてしまった。退院して以降、冬だということもあり、トレッキングはサボっていた。もうそろそろトレーニングを開始しようと思い立ち、軽めのコースということで登って来たのである。
 予想通り、まだつつじは咲いておらず、山麓、中腹のツツジはこんな感じだ。後2週間程度で咲く感じだろうか。


 第一展望台からの「つつじが原」の眺めは、こんな感じである。最盛期にはつつじの絨毯となる。
 
 
 山頂からの眺め(上:本吉側と下:気仙沼側)である。太平洋と気仙沼湾が見える。

 やはり、ブランクは大きく、途中、胸が痛くなったりしたが、休み休み登り、何とか山頂まで辿り着いた。ハードなコースにチャレンジするためには、もう少しトレーニングが必要のようだ。今、山頂付近に横になって休みながらこの記事を書いている。
 さて、下山するか。(14:30)

 帰宅した。追記したい。下山は、膝と太ももに負担がかかり、ちょっとしんどかった。明日、傷みだすかもしれない。市街地から気仙沼側登山口までのアクセス道が整備され、昨年に比べてずっと行きやすくなった。最盛期ないにもかかわらず、駐車場には車が10台程度止まっていた。

 今日の一枚は、ビル・エヴァンスの『ユー・マスト・ビリーブ・イン・スプリング』である。録音は1977年、リリースはエヴァンスの死の翌年1981年である。エヴァンスの作品の内、五指、あるいは三指に入るほど好きな作品である。山歩きをしている間、なぜだか無性にJazzが聴きたかった。Bluetoothスピーカーを持参しなかったのを悔やんだほどだ。
 帰宅してこのアルバムを聴いている。なぜエヴァンスの、このような《暗い》作品を選んだのか、自分でもよくわからない。帰りの車の中で、このアルバムを聴きたいと、頭に浮かんだのである。たった一人の山歩きの中で、いい年をして内省的になったからかもしれない。

古いアコースティックギター

2022年05月04日 | 今日の一枚(A-B)
◎今日の一枚 578◎
Live Adventures of 
Mike Bloomfield & Al Kooper
 古いアコースティック・ギターがある。アコースティック・ギターというよりフォーク・ギターという感じかもしれない。最近のアコギと比べると、ちょっと大型のようだ。おそらくヤマハのFGシリーズだと思うが、ラベルがないので型番はわからない。高価なものではない。恐らくは当時2万円程度のものではなかったかと思う。高校生の頃、「天国への階段」を演奏するために買ったのだ。その後、弾くのはエレキギターばかりだったので、大人になり、酔っぱらったときにたまに手にするぐらいだった。最近、ダイナミック・ギター(→こちら)やエレガット(→こちら)などアコースティックギターを弾くことが多くなり、このフォーク・ギターにも手を入れてみようと思った。ただ、スチール弦のギターにはそんなに興味はない。新しいものを購入しようという気はおきない。
 とりあえず、ピンとサドルを交換してみた。ピンを真鍮製のものに交換し、サドルーを牛骨のものにした。牛骨サドルは紙やすりで削ってフィットさせたが、実際に弦を張ってみると、ちょっと弦高が高い気がする。まあいい。この次に弦を交換するときに調整しよう。音は凄く響くようになった。ただ。、ちょっと響きすぎである。サスティンが長すぎて、不自然に感じる。音もキラキラしている。私が最近ナイロン弦のギターに興味を感じるのは、柔らかな音色とともに、今にも消え入りそうな響きにあるのだ。
 とはいえ、せっかく手を入れたのだ。たまには手に取って弾いてみようと思う。
 今日の一枚は、アル・クーパー&マイク・ブルームフィールドの1969年作品、『フィルモアの軌跡』である。いいギターだ。ああ、最高だ。興奮している。過剰なディストーションをかけず、原音に近いトーンで奏でられるブルースフレージングに魅了される。
 恥ずかしながら、このマイク・ブルームフィールドというギタリストをこれまで聴いたことがなかった。最近アル・クーパーを聴き(→こちら)、彼の他の作品をapple music で聴いているうちに出会ったのだ。渋谷洋一『ロック~ベスト・アルバム・セレクション』によると、このアルバムは、『クリームの素晴しき世界』とともに、60年代のインプロビゼーション主体のブルースロックの記念碑的作品、なのだそうだ。知らなかった。私はクリームももちろん好きだが、このアルバムを聴いてこっちの方に共感を感じている。渋谷陽一の評価は過大なものではないと思う。
 もっと若い頃に聴いていたらどうだっただろうか。マイク・ブルームフィールドというギタリストに熱中しただろうか。そうなったような気もするが、今の年代だからこのシブいギタリストを正当に評価できるという気もする。

さようならK先生

2022年05月01日 | 今日の一枚(U-V)
◎今日の一枚 577◎
上田知華+KARYOBIN
上田知華+KARYOBIN[3]
 上田知華さんの訃報に接した数日前、かつて同僚だったK先生が亡くなった。退職して10年程である。早すぎる死だ。先月、末期のすい臓がんが発見されたが、延命治療を望まず、自宅で療養していたとのことだった。
 彼とは2校で同僚となり、教科は違うが学ぶことの多い先生だった。退職して数年間はいくつかの学校の非常勤講師を務めた。底辺校の国語の授業での作文指導を楽しそうに語っていた。その後は、中国人など海外から来た生徒の学習支援のために、無料の学習塾を運営したりしていたようだ。
 私が30代前半の頃、赴任したばかりの進学校で彼のクラスの副担任を務めた。卒業式後の最後のHRに驚愕した。生徒が自ら企画運営し、それぞれの生徒が挙手して次々に発言していった。生徒たちは、自分の思いを吐露し、人前では言いにくい自分の醜い部分について話す生徒も多かった。HRは長時間に及んだが、担任のK先生はほとんどしゃべらず、笑顔で話を聴いていた。ずっとだ。すごいクラスだと思った。自分にこのようなクラスが作れるだろうかと自問自答した。
 彼の死を知ったのはやはり元同僚の先輩教師からの電話だったが、火葬・葬儀は近親者のみで済まされており、その日に「お別れ」のみ行われるという。供物・香典も固辞するとのことだった。「お別れ」に行くと、彼の置手紙をもらった。「お別れ」に来てくれた人への手紙だった。死と向かい合い、それを受け入れながら書かれた、いい文章だった。彼らしいと思った。

 今日の一枚は、上田知華+KARYOBINの1980年作品、『上田知華+KARYOBIN[3]』である。apple music でしばらくぶりに聴いている。前作よりソフィスティケートされた作品であり、完成度も高い。ヒットした④パープルモンスーンはもちろんいい曲だ。女性が自分を解放して自己表現し、元気になりはじめた、80年代初頭の雰囲気をよく表しているように見える。けれども、私は②ベンチウォーマーを聴きたいと思う。この時代の、内気な女性の内面の葛藤をよく表しており、共感を禁じ得ない。

 同時期に、同じすい臓がんで亡くなったからだろうか。何の関係もないはずの上田知華とK先生とがダブってイメージされてしまう。
 さようなら、K先生。
 
 

上田知華さんの訃報に接した

2022年05月01日 | 今日の一枚(U-V)
◎今日の一枚 576◎
上田知華+karyobin
上田知華+karyobin[2]
 上田知華さんの訃報に接した。昨年9月にすい臓がんで亡くなっていたとのことだ。64歳だったらしい。
 上田知華をフォローしてきたわけではない。彼女の作品を聴き続けてきたわけでもない。70年代末か80年代の初頭、巷間で流れる上田知華+karyobinというグループの斬新な編成が何となく気になり、三軒茶屋の貸しレコード屋で作品を借りた。悪くない、と思った。その時、ダビングしたカセットテープを今でも持っている。持っているのは『上田知華+karyobin[2]と『上田知華+karyobin[3]のみだが、結構聴いたと思う。apple musicにあったので、しばらくぶりに聴いている。悪くない。

 今日の一枚は、上田知華+karyobinの1979年作品、『上田知華+karyobin[2]』である。ずっと以前に記したことだが(→こちら)、このアルバムの中の②サンセットという曲が好きだ。学生時代に、図書館の第二閲覧室の窓から眺めた、夕暮れのキャンパスの風景が甦ってくるようだ。
 15年程前に書いたその記事には、こんな文章があった。
 上田知華+KARYOBINは、ピアノ+弦楽四重奏というめずらしい編成でポップスを演奏したグループで'78年夏にデビューしている。上田知華+KARYOBIN[2]というアルバムについては、データがないのではっきりしたことはわからないが、状況から1979年の作品ではないかと推察される。全体的に素人っぽさが感じられ、楽曲や歌詞、サウンドには破綻も多いが、既成のポップスに対して新しい何かを持ち込もうとする清新な気概は感じられる。また、素人っぽいだけに、70年代末の内気で控えめな、あるいはおきゃんでいたずらっぽい女の子の心象風景がリアルに表現されているようにも思う。 
 ちょっと評論家めいた嫌な書き方だが、今日聴いて大体同じような感想をもった。