あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

菜の花を前景として塔が見え  あきオジ

2011-01-05 15:38:19 | 日記
隅田川のえん堤で咲いていた菜の花です。
もう、そんな季節を間違えて咲く花があってもおかしくない季節ですね。
どこかで福寿草が咲いたとかいう話題がありました。

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赤玉の木の実も降や露時雨  一茶

秋里は見えなくなりて秋の風  一茶

(旅立というタイトルがついています。一茶が江戸に立った時の状況を句にしたのでしょうか。でも、晩年に近いころの句です。でも、信州の厳しい秋風を感じるようで思いが深くなりますね。)

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今日もまた雪降り積もる夜になり  あきオジ

2011-01-05 15:31:11 | 日記
東京博物館の正月飾りです。
難しいことを考えず
楽しめる才覚が欲しいですね。
どこかで何かの説明をつけたい悪い癖が直りません。

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紅梅に積りし雪は染りけり  永井龍男

北はまだ雪であらうぞ春のかり  江左尚白

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早く櫻の季節が来ないか
それだけを毎日楽しみにしています。

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豪雪の国から届く年賀状  あきオジ

2011-01-05 15:20:54 | 日記
水に浮く柄杓の上の春の雪  高浜虚子

地階の灯春の雪ふる樹のもとに  中村汀女 

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少し幅を広げて取りあげようと思います。
俳句の世界では雪は体裁のいい降り方をするのですね。
でも、現実の生活は闘いですね。

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イタリアの異端画家「カラバッジョ」を取りあげた番組がありました。
興味のある画家なので見ていました。
うるんだ官能的な眼つきをしているのが気になります。
健康とはいえない肌の色も気になります。
でも、そんなモデルを選んだことも含め、カラバッジョの生涯は謎です。
そんなことに目を向けられるのも、正月だけですね。

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襟元を飾るごとき白牡丹  あきオジ

2011-01-05 06:41:36 | 日記
きっと、俳句も芭蕉のように命がけで作るとなると大変だし
山頭火や放哉のように自分の人生を写すものとして作るのも大変だなと思います。
短歌と違い文字数が少ない制限があるので
「はしたない自分を表現しなければならない」状況は回避ですますから
そこそこ安全な表現形式だと思いますが、その気になるのは大変でしょうね。

その気にならないことが私のスタイルです。

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ふたたびわたらない橋のながいながい風  山頭火

落葉ふきまくる風のよろよろあるく  山頭火

(山頭火のこのような句に出会うとほっとしますね。俳句も説明の要素がないと、読む人が困ってしまいます。でも、山頭火は子規と違って、器用にこなすことができない俳人だったために、かえって、実像が見えてくるような気がします。その辺りのことは分かりませんし、深く追わないようにしています。)

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傲慢な赤きまま咲く牡丹かな  あきオジ

2011-01-05 06:31:45 | 日記
北国や家に雪なきお正月  一茶

春立つや二軒つなぎの片住居  一茶

(遺産分割が終り、弟と住居を区切り生活していた一茶の句ですね。一茶は良寛とは違って、現実をしたたかに生きてきた人ですから、その世俗性が魅力になっていますね。これで物欲もなく、諦めのポーズばかりだったら、陳腐な句しか作れなかったでしょうね。)

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もう朝は「クラシック倶楽部」を放映しています。
会社も始まったし、完全に正月ムードは消えましたね。
後は、学校が始まるのを待つばかりですね。

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新しき年もおねだり阿弥陀様  あきオジ

2011-01-05 06:11:38 | 日記
このごろは正月は東京博物館と神代植物公園です。
静かだし、ほっとした気分になれます。

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やつぱり一人がよろしい雑草

やつぱり一人はさみしい枯草  山頭火

(この対句がなんともいいですね。ときおり、取り上げます。こんな俳句の構造を新しい表現形式として活用したらよいのではないでしょうかね。)

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「天国と地獄」を見て
黒沢明監督解毒作用をしないと
呼吸困難になると思いましたね。
のめり込むと、引き返せないのですね。
ですから「赤ひげ」を見ると
これで「終わったな」と感じるのです。
「赤ひげ」以降、黒沢映画はそれなりの作品ばかりです。
「七人の侍」から「赤ひげ」までが情熱が溢れて
抑えきれない時期の映画のような気がします。

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素人にとって俳句の難しさと「嫌気をさす」のは助詞の使い方でしょうね。
ベテランになれば古文の文法に馴れているのでしょうが
初心者は助詞の使い方で意味合いがまるで違ってしまうこともあるし
俳句そのものの品格にも影響しますからね。

でも、私はそんなことを意に介さないようにしています。
そんなことをしているとこじんまりした、萎縮したものになりそうだからです。
いやでも、体裁よく収める方向に進んでしまうでしょう。

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