あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

雪細き鉄橋渡る高尾行き  あきオジ

2011-01-22 20:40:29 | 日記
深大寺

手を清め 口を清めて 初詣

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獅子舞は入日の富士に手をかざす  水原秋櫻子

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昭和49年発行の
「近代俳句集」(角川書店「日本近代文学大系」)には尾崎放哉はありますが、山頭火はありません。編集の方針であろうし、だからどうこうということではありませんが、時代と共に文壇での評価も変わるのですね。「死以外には確かなものはない」それって分かりますね。いまどき文学全集が出版されているか知りませんが、かつて収録されていた作家のかなりの部分が差し替えられているのでしょうね。人の評価等あてにならないものです。信じられるのは自分だけ。そう言い切りたいですね。)

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ミラノスカラ座公演の「アイーダ」を録画しておいたので見ました。
エジプトの舞台にした物語ですが
顔を黒く塗り
奇妙な衣装を着ています。
「蝶々夫人」を見て
蝶々夫人の着物をみて噴き出してしまうように
エジプトの人が見たら
「なにこれ?」と笑いだしてしまうでしょうね。

それって、人のこと笑えないですね。

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梅と木瓜区別ができる年になり   あきオジ

2011-01-22 20:28:32 | 日記
梅と木瓜
区別がつかない男性がいる。
カタクリの花を知らない老人がいる。
それはそれでいいけど
花を追いかけるのもけっこう楽しいですよ。

経済新聞しか読まないで生きてきた人が
今更、何を楽しみにしているのだろうか。
そんなことも言いたくなりますが
それぞれの楽しみ
自分の側に引き寄せることはないでしょう。

それにしても、退職者の多くは
気分はいまだに現職

全てが手遅れに近い。
手遅れでないのに諦めがいくつくところまでいっている。

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火事を見て戻る道邊に犬居たり  内田百

道玄坂さんま出るころの夕空ぞ  久米正雄

(書家の書ほどつまらないものはない。きっと、俳人の句ほどつまらないものはない。それが事実かもしれません。やはり、美は乱調にあり。破綻こそが個性ですね。私はそう思っています。変化ではなく、脱皮ですね。)

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塀もなく雨戸もなくて冬の風  あきオジ

2011-01-22 20:18:05 | 日記
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく  放哉

仏にひまをもらつて洗濯している  放哉

(放哉が堂守になったからといって仏教に帰依したとは信じがたい私なのです。仏道は生きる方便であり、信仰をもつつもりなければ、修行もしていたとは思えません。放哉から見れば、「すがる」「たよる」というような表現されるようなことは耐えられないことだったと思います。でも、それはそれ、こんな表現の句もあってもいいかなと思うのです。

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今日はキルト展に出かけました。
今の時代中高年は余裕があるのですね。
溢れるように人が集まっていました。
このサイトでも紹介しますが
「朝日のように爽やかに」でも紹介しています。
そちらをご覧ください。

枝を抜け陽がさしかかるベンチかな  あきオジ

2011-01-22 06:48:39 | 日記
くろき河鬱々として都市(まち)ねむる  富澤赤黄男

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最近、少しずつ本を処分しています。
東京へ引っ越してきたときも処分しましたが
いつのまにか増えてしまいました。
今回は、人生の終わりをきれいにしようとする思いから始めましたので
大胆に処分しています。
お陰さまで、周囲の景色が明るくなり
机の上が広くなりました。
もっともっと処分を続けます。
けっこう楽しいですね。

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白牡丹山門ひらく朝となり  あきオジ

2011-01-22 06:32:24 | 日記
月夜の葦が折れとる  放哉

墓のうらに廻る  放哉

あすは元旦がくる仏とわたし  放哉

(これらの句は放哉を代表する句のような気がします。静かで状況を写しとっているだけなのに、言葉に震えが聞こえるような気がします。口にしている。その言葉のニュアンスまで表現できる人は珍しいですね。ですから放哉は頑な印象がありますが、いいなと思うのです。)

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このごろは「イタリアルネッサンス」の特集番組があるので、かじりついて見ています。
最近になって、カラバッジョ、ダ・ビンチ、ミケランジェロがゲイであり、当時はそれが裏の「当たり前」であった。
そんなことを前提にして解説されるようになりました。
以前は、「言ってはいけないこと」になっていたようです。
誰が見たって、ミケランジェロの描いた絵画に登場する女性の体が男性ですよね。
そのことを「指摘しない」ことがルールのようなものだったのですね。
そのような事実はいっぱいありますね。
というように歴史の事実は勝利者のものであり
時代感覚によって歪められるものだ。
私はいつもそのように見ています。

ちょうど、私たちが小学生の時
校庭にあった二宮金次郎のようなものです。

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梅咲けば櫻気にする慌てもの  あきオジ

2011-01-22 06:18:05 | 日記
冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす  芭蕉

(冬牡丹、千鳥、雪、そしてほとどぎす。すべてが季語。本当は何でもありなんだ。季語が重なるのは好ましくないというルールのようなものは、いつからなのでしょうかね。茶道にしても、利休の後の人が茶碗を三度回すとか、どうとか決めたのですね。本当は心が先で形式は後からついてきたようなものなのに、形式が先になる。うーん。でもそれもいいかもしれまんね。私は革新者でもなければ、推進者でもない、当たり前のおじさんなのですから。)

かさもなき我をしぐるるかこは何と 芭蕉

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私は早寝早起きの定型的なじいさんですが
同じように早起きの人がいるのですね。
朝5時ごろ起き出して更新を始めるとき
ときおり訪問者のカウンターを確かめるのですが
すでに回っているのです。
ありがたいことです。

早起きする人に悪い人はいない。
そう思っています。

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南天の実赤きこそ懐かしく  あきオジ

2011-01-22 06:08:59 | 日記
月は見えない月あかりの水まんまん  山頭火

燃えに燃ゆる火なりうつくしく  山頭火

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過剰にならず、盛りだくさんにならず、淡々と、ひらがなことばで
そんな句がいいですね。
年をとったせいでしょうか
平明な句がいいですね。

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今日は都心に出かけるつもりです。
そう思うと、気持ちがいいですね。