あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

梅咲けば鶯啼いて寝正月  あきオジ

2011-01-28 17:59:35 | 日記
昭和記念公園の寒桜です。
梅と桜
私にはその区別ができません。
そろそろしっかり思えなくてはいけませんね。

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紅梅の落花燃らむ馬の糞  蕪村

泣に来て花に隠るる思ひかな  蕪村

(蕪村は中国文学に精通しているのですね。ですから、漢詩について精通していないと暗喩が理解できませんね。ちょっと、私のような教養のない者には及ばないですね。残念ですが、まあ、いいか。)

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浮雲のゆくへも知らず寒牡丹 あきオジ

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芭蕉追う旅に憧れし芯蝋梅  あきオジ

2011-01-28 17:44:02 | 日記
下手なイラストですが
芭蕉です。
ちょっとアップしながらイラストつきの俳句もアップしてみたいですね。

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風流のはじめや奥の田植うた  芭蕉

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也  芭蕉

(中国の猿は手長猿を想起しており、泣き声も鹿のように物悲しいという話を聴きました。芭蕉の猿も、日本猿とは違っているのかもしれません。私たちはときとして勘違いして感動しているのです。)

冬の日ニシンのうろこも色消えて  あきオジ

2011-01-28 06:45:24 | 日記
死ぬる夜の雪ふりつもる  山頭火

越えてゆき山また山は冬の山  山頭火

(「山あれば山を観る、雨の日は雨を聴く、春夏秋冬、あしたもよりし、ゆふべもよろし」山頭火。この詩、山頭火の代表作だと思うのですが、どうなのでしょうか。良寛のようでいて、そうではないのでしょうかね。山頭火は諦めよりも、言い聞かせ、そして未練の人だったのですね。それ以上に進まない。それが魅力の俳人。そんな気がします。)

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原節子主演の「めし」、高峰秀子主演の「浮雲」を観ました。
高峰秀子も亡くなりました。
追っかけすべき女優さんがいなくなりました。

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寒桜床の間におきし亭主あり あきオジ

2011-01-28 06:26:44 | 日記
昭和記念公園の寒桜です。

盆栽にしたてられており、見事です。
こんなところにも亭主の心配りがあるのですね。

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入れものが無い両手でうけとる  放哉

(放哉の代表作と言われますが、放哉全体を読んでから改めて読むと「なるほど」と思うのですが、そうでなかったら「なにこれ」で終わってしまいますね。短詩ともいえる自由律俳句にはそのような宿命的な問題が内在していますね。素人の私にはだからどうだという考えもありませんし、主張もありません。でも季語となるような風物が見えない時代であるし、過剰に自分を表現しても足りない時代ですので、そこで新しい形が生まれて来るのではないかと思います。珍しい、これは面白い感覚だという程度ではおさまらないでしょうね。絵手紙のような絵俳句とかフォト575と言われるスタイルの方が可能性があるように思えます。俳句は教養人の伝統芸能という生き続けかたをするのでしょうね。)

芭蕉行く芦野あたり今日も雪  あきオジ

2011-01-28 06:16:10 | 日記
昭和記念公園の石段ですね。
日本庭園に限らず昭和記念公園には飛び石や階段など多様なスタイルがあります。
いま、それを探して写真にしています。
でも、それらしく写せるようになるかは、これからです。

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田一枚植て立去る柳かな  芭蕉

(「道のべに清水流るる柳かげ、しばしとてこそ立ちどまりつれ」西行 を偲んで立ち寄った有名な句ですね。そんなことを想像しながら、芦野周辺の風景を思い浮かべています。今はどうなっているのでしょうか。懐かしいですね。そして、芭蕉を追いたいですね。)

雪の峰幾つ崩れて月の山  芭蕉