あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

ほろ暗き囲炉裏の光みつめおり  あきオジ

2011-08-23 06:09:09 | 日記
小金井公園の囲炉裏ですね。
温かい光が印象的でした。

・・・・・・・

旅はいつしか秋めく山に霧のかかるさへ  山頭火

うらに四五本あればつくつくぼうし  山頭火

柳ちるそこから乞ひはじめる  山頭火

もう逢へますまい木の芽のくもり  山頭火

・・・・・・

日本人に必要なのは「しみじみ」を感じる感性と語るのではなく「つぶやく」ことなのでしょうかね。
そんな感性が似合うのですね。

・・・・

紅葉散るかちんとぶつかる音残し  あきオジ

・・・・・・・・


森の中歩けば雨の音ばかり  あきオジ

2011-08-22 18:18:25 | 日記
小金井公園の広場です。
どうどうとした公園ですね。
来年も桜の季節に立ち寄りましょう。

・・・・・

辻堂に死せる人あり麦の秋  蕪村

麦秋や遊行の棺ぎ通りけり  蕪村

草いきれ人死に入ると札の立  蕪村

(先日もアップしましたが、今日は蕪村のこの句をアップしたい気分です。深い意味はありません。)

・・・・・・

「麦秋」という小津安二郎の名作がありますが
この句を読むと思いだしてしまいますね。
世代交代が始まり
地主と小作人による農業制度が崩壊するだけでなく
家父長制度も微妙に崩れていく姿を描いていますが
それとは違っていますが
蕪村の句でも
時代が流れていくことを感じますね。

・・・・・

細工なし、技法も無視したぶっきらぼう
それが自分の憧れだったのですが
怖くてできませんね。
人は自分が嫌っていると主張する
その流れに近づくのですね。
不思議ですね。

・・・・・

石灯籠倒れたままで夏終わる  あきオジ

2011-08-22 18:10:39 | 日記
小金井のビジターセンターです。
節電のために展示場が休館中です。
どこかおかしいですね。
いい子になるためには過剰になるのです。

・・・・・

倒壊した石灯籠がそのまま放置してあります。
理由があるのでしょう。

・・・・・・

道がなくなり落葉しようとしてゐる  山頭火

あるけば草の実すわれば草の実  山頭火

さて、どちらへ行かう風がふく  山頭火

へふはここまでの草鞋ぬぐ  山頭火

・・・・・・・

胸たたく撫子の花盛りなり  あきオジ

・・・・・

川柳と名づけし人の温かさ  あきオジ

2011-08-22 17:59:33 | 日記
小金井公園の農家
威風堂々とした茅葺屋根
それも時代ですね。

唐招提寺の補修復元の作業を取材したテレビ番組を見ましたが
建立までのプロセスを想像すると半端じゃありませんね。
職人の世界はいいですね。
名はなくても建物は残るのですから。

・・・・・・

ほととぎす大竹藪をもる月夜  芭蕉

時鳥啼や五尺のあやめ草  芭蕉

木がくれて茶摘も聞くやほととぎす  芭蕉

・・・・・・

芭蕉の完成度の高い句は、即興性とか破綻がないので、予定調和の退屈さがありますね。
でも、俳句の代表的人物ですから、迂闊なことを言ったら不敬罪に処せられてしまいますね。


あれもこれもいっしょくたに流れゆき  あきオジ

2011-08-22 05:58:56 | 日記
小金井公園です。
こんな風景はまだ残っていますね。

・・・・・・

稲づまや浪もてゆへる秋津しま  蕪村

いな妻や秋津しまねのかかり舟  蕪村

稲妻にこぼるる音や竹の露  蕪村

(俳句とは自然観察を摸した虚構である。そう思うのが自然ですし、そうでなくちゃ面白くありません。巧みな嘘というか、自然を自然のままに表現するためには虚構が必要なのだ。そう思うのです。芭蕉もそうですし、蕪村はそれを絵画的手法で構築した。そんな気がします。どうなのでしょうか。上記の句などその例かもしれませんが、そんな研究は素人がすることではありませんね。)

・・・・・・

最初の三年俳句に馴れるようにと自分で決めています。そろそろ一年過ぎますが、あと二年はあれこれ句を跋渉しようと思っています。それがいいかもしれません。でも、そんな予定など今日だけのことで、明日になれば、そんなことを考えていたことすら、忘れているかもしれません。

・・・・・・


恨みごと諦めになる秋の空  あきオジ

2011-08-22 05:44:38 | 日記
小金井公園です。
この看板が懐かしい方はそれなりの年ですね。

・・・・・・・

昼めし云ひに来て竹藪にわれを見透かす  放哉

皆働きに出てしまひ障子あけた儘の家  放哉

落葉へらへら顔をゆがめて笑ふ事  放哉

(この句を発見して、笑いました。屈折しながらも冗談のない放哉の句、その中で笑えるのか笑ってはいけないのか、迷う句ですね。でも、迷ったときは、、読者勝ち。それがいい。読みたいように読む。)

・・・・・・

雨ふりを気にもかけぬ男あり  あきオジ

2011-08-22 05:34:28 | 日記
小金井公園の夏です。

・・・・・・

松はみな枝垂れて南無阿弥陀仏  山頭火

(山頭火も放哉も晩年の句が「・・・らしい」句が多く、いいですね。いつか出家前の句も再評価されるかもしれませんが、今は、出家後の句がいいですね。丁寧に読めば劇的変化のあった状況を読みとるができるかもしれません。でも、そのようなことは研究者にお任せしておきましょう。)

松風に明け暮れの鐘撞いて  山頭火

(この二句は「定本 種田山頭火句集」大山澄太編の冒頭に並べられた句です。それなりに意味があるのでしょうね。)

ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる  山頭火

生死の中の雪ふりしきる  山頭火

・・・・・・・


雨音が南無阿弥陀仏とひびく夜   あきオジ

2011-08-21 15:49:59 | 日記
小金井公園の休憩所です。
写真と俳句が連動しないですね。
まだまだどちらかにあったものを結びつける程の技量はありません。

・・・・・

白露に金銀の蠅とびにけり  川崎芽舎

桔梗の露きびきびとありにけり  川崎芽舎

金剛の露ひとつぶや石の上  川崎芽舎

(芽舎。鋭角的で現代感覚にあふれた句なのでしょうが、私の野暮ったい、ちょっと間抜けな気配好みには合いません。現代俳人は技巧的で教養的に過ぎるのですね。それに宗教的な思想を盛り込めばいくらでも仲間内の評価を得られる。そんな感じなのですね。まあ、ぼちぼち馴れましょう。仲間には入れてもられないでしょうし、そのつもりもありません。また、ぼちぼち、別の表現を試みている俳人を探しましょう。金子兜太もあれこれ読みましたが、斬新ではありますが、熟していません。興味の対象からは外れますね。また、いつか興味をもてるといいですね。)

・・・・・・・

「法然上人絵伝」を見ていました。
法然という人は優秀であった人のわりには
出家者としての人生をまっとうした稀有な人なのかもしれません。

人物としても人間的で情愛あふれる人のように思われます。

・・・・・・・・

ぐうたらがパスワードなり眠り猫  あきオジ

2011-08-21 15:39:13 | 日記
小金井公園の疏水です。
繁みに見える疏水はいいですね。

・・・・・

生き残ったからだ掻いてゐる  山頭火

こほろぎに鳴かれてばかり  山頭火

どうしようもないわたしが歩いてゐる  山頭火

(山頭火の感傷的な気分と舌たらずのような言葉のリズムがいいのですね。これは放哉とは違っているように思います。山頭火は山頭火の言葉のリズムに馴れると心地良くなりますが、放哉のばあいは、油断するとつまずいてしまうような感じなのです。まだ、馴れ方が足りないのでしょうかね。)

・・・・・

「どうしようもないわたしが歩いてゐる」この句、以前、Tシャツに書き込んで使用したことがありました。若い時代もあったのですね。

積乱雲蓮の台に蜻蛉あり  あきオジ

2011-08-21 15:22:01 | 日記
小金井公園です。

・・・・・・

ひややかにのべたる皺や旅衣  飯田蛇笏

紫蘇の葉や裏ふく風の朝夕べ  飯田蛇笏

ひとり寝の身にぬくもりや秋の夜  飯田蛇笏

(飯田蛇笏も面白いかなと思って取りあげていたのですが、探すのが面倒になりました。体裁のいい漢字が先にあって、その言葉に合わせて言葉を選んでいる。そんな技巧的な作風が苦手なのです。野暮ったく、間抜けな俳句がいいですね。それが私には似合っています。)

・・・・・

「うらおもて」という表現が俳句を作る人は好きですね。紅葉であったり、着物であったりいろいろですが、ちらちらした気配が日本人の感性にあっているのでしょうかね。両方を重ねるという意味合いなのでしょうか。この言葉とその類型を利用するとけっこうかっこうになるのかもしれません。

・・・・・