2021年11月20日(土)大分トリニータのJ2降格が決まりました。
今季ずっと低迷を続けてきたトリニータ。
腹もくくっていたし、覚悟もありました。
さらに私自身今回を入れると降格も4回目となります。
自分の中では淡々と冷静にその時を迎えるものだと思っていました。
しかし試合が終わり、降格が決まった瞬間にうなだれる選手に向かって頭の上で大きく拍手をする仲間のサポの姿を見て胸が苦しくなり、さらに選手の涙、知り合いのサポの涙に堪えることはできませんでした。
何回経験しても決して慣れることはない、それが自分の愛するクラブの降格なんだと改めて思い知りました。
とはいえ4回経験するのと初めてではその心の痛み具合はまったくの別物です。
片野坂監督になってからのトリサポにとって、初めての降格。
なかには何も手につかず、かといってじっとしていると自然に涙が出てきて、自分で自分を持て余している、そんなサポさんもいるかもしれません。
でも大丈夫です。
心配いりません。
あなた一人ではありません。
みんな一緒です。
みんな悲しく辛いのです。
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私が最初に降格を経験したのは2009年10月24日です。
京都サンガ戦で西京極に参戦した嫁が携帯に出ません。
試合はとっくに終わっているはずです。
私はその日は仕事で行けず、嫁は1人でツアーバスで京都へ行きました。
しばらくしてメールがきました。
「悔しくて涙が止まらん」
初めての1人アウェー参戦、初めてのJ2降格を経験しスタジアムで泣いている姿を想像して涙が止まらなくなりました。
返信しました
「今日だけは泣こう。 泣くだけ泣こう。
そして、このくやしさを忘れないようにしよう」
さらに悲劇はこれだけではなく約12億円の債務超過が発覚して経営危機が訪れ大量の主力選手が大分を離れていきました。
選手が大分から去っていく寂しさと債務超過からトリニータがなくなるかもしれないという不安。
今考えてもぞっとする日々でした。
シャムスカ監督の5季目でした。
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2回目の降格は2013年10月5日C大阪戦で敗れ6試合を残してのJ2降格でした。
2012年に入れ替え戦で京都、千葉に勝ちJ1に上がったもののその壁は厚くホーム戦での勝利は「0」でした。
あまりの力の差を感じ、さらにまだ6試合残している状況では悲しんでいる時間はありませんでした。
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そして3回目はJ2降格から2年後の2015年12月7日。
J3町田との入れ替え戦で敗れ降格しました。
J3に落ちるという現実を受け入れられずに呆然としていたのを今でも覚えています。
ただ試合後に挨拶に来たトッキー(土岐田選手)とマグ(増田選手)の涙に感動したのは忘れられません。
トリニータをJ3に落としたのは自分達だという辛さがあった中での挨拶は来にくかったと思います。
それでも挨拶に来てくれた2人には感謝しかありませんでした。
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今回初めての降格を経験したトリサポの方に言いたいことは一つ。
J1からJ2の降格はまだ良い、ということ。
今は悔しくて、なかなか自分の中でも受け止めきれないものがあるかもしれませんが、それでもJ2です。
またいつかJ1に上がる事を心の糧として選手と一緒に頑張れば良い事です。
でもJ3は少し違います(その当時)
まず第一にTV放送がありませんでした。
今はDAZNで見れますがその当時はスカパー。
スカパーではJ3は放送していませんでした。
放送されない以上、スポンサーが撤退しても仕方がないと思っていましたし、観客数も激減するだろうし相手のサポーターもドームには来ないだろう、と。
(アウェーからのサポーターは本当にわずかでした)
当然、観客動員数が減り、スポンサーが減り、赤字になり、最後にはクラブ自体がなくなるのではないか。
生活の中心であったトリニータがなくなるのではないかという恐怖で寝れないくらいでした。
でも大分サポはトリニータを見捨てませんでした。
2016年 J3 開幕戦
「9,189人」・・それまでのJ3の観客動員数を更新したのです。
さらのこの年、11,065人を動員し、J3の記録をさらに塗り替えるという快挙。
改めてトリサポの熱さを感じました。
そして1年でJ2に昇格。
「トリニータのサポさんは強い」
と言われます。
4回目、鹿島と対戦し降格した日のTwitterはクラブへの温かいコメント、ポジティブな言葉であふれかえりました。
もしかしたら降格の戦犯探しでも、と少しでも思った自分を恥じました。
この温かさがトリサポなんだよなぁ。
J1だろうがJ2だろうが、どこにいてもトリニータはトリニータです。
対戦相手が変わるだけ。
私にとって何も変わりません。
来季も生活の中心はトリニータ。
基軸がブレないからなにもブレません。
大分にJクラブがある。
そしてそのチームを応援できる。
雨でも風でも台風でもドームの屋根に守られて快適な環境でトリニータの試合が観れる。
そこに行けばトリニータの仲間が待っている。
これ以上のモノを望むのは贅沢だと思っています。
大分に来てくれた監督、選手、スタッフ。
そして大分を支えてくれるスポンサー様とサポーター!
それらすべてがトリニータです!!
トリニータがあるだけで幸せです。
リーグ戦、残り2試合と天皇杯。
勝つぞ~!!
「トリニータ大好きだ~!」
今季ずっと低迷を続けてきたトリニータ。
腹もくくっていたし、覚悟もありました。
さらに私自身今回を入れると降格も4回目となります。
自分の中では淡々と冷静にその時を迎えるものだと思っていました。
しかし試合が終わり、降格が決まった瞬間にうなだれる選手に向かって頭の上で大きく拍手をする仲間のサポの姿を見て胸が苦しくなり、さらに選手の涙、知り合いのサポの涙に堪えることはできませんでした。
何回経験しても決して慣れることはない、それが自分の愛するクラブの降格なんだと改めて思い知りました。
とはいえ4回経験するのと初めてではその心の痛み具合はまったくの別物です。
片野坂監督になってからのトリサポにとって、初めての降格。
なかには何も手につかず、かといってじっとしていると自然に涙が出てきて、自分で自分を持て余している、そんなサポさんもいるかもしれません。
でも大丈夫です。
心配いりません。
あなた一人ではありません。
みんな一緒です。
みんな悲しく辛いのです。
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私が最初に降格を経験したのは2009年10月24日です。
京都サンガ戦で西京極に参戦した嫁が携帯に出ません。
試合はとっくに終わっているはずです。
私はその日は仕事で行けず、嫁は1人でツアーバスで京都へ行きました。
しばらくしてメールがきました。
「悔しくて涙が止まらん」
初めての1人アウェー参戦、初めてのJ2降格を経験しスタジアムで泣いている姿を想像して涙が止まらなくなりました。
返信しました
「今日だけは泣こう。 泣くだけ泣こう。
そして、このくやしさを忘れないようにしよう」
さらに悲劇はこれだけではなく約12億円の債務超過が発覚して経営危機が訪れ大量の主力選手が大分を離れていきました。
選手が大分から去っていく寂しさと債務超過からトリニータがなくなるかもしれないという不安。
今考えてもぞっとする日々でした。
シャムスカ監督の5季目でした。
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2回目の降格は2013年10月5日C大阪戦で敗れ6試合を残してのJ2降格でした。
2012年に入れ替え戦で京都、千葉に勝ちJ1に上がったもののその壁は厚くホーム戦での勝利は「0」でした。
あまりの力の差を感じ、さらにまだ6試合残している状況では悲しんでいる時間はありませんでした。
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そして3回目はJ2降格から2年後の2015年12月7日。
J3町田との入れ替え戦で敗れ降格しました。
J3に落ちるという現実を受け入れられずに呆然としていたのを今でも覚えています。
ただ試合後に挨拶に来たトッキー(土岐田選手)とマグ(増田選手)の涙に感動したのは忘れられません。
トリニータをJ3に落としたのは自分達だという辛さがあった中での挨拶は来にくかったと思います。
それでも挨拶に来てくれた2人には感謝しかありませんでした。
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今回初めての降格を経験したトリサポの方に言いたいことは一つ。
J1からJ2の降格はまだ良い、ということ。
今は悔しくて、なかなか自分の中でも受け止めきれないものがあるかもしれませんが、それでもJ2です。
またいつかJ1に上がる事を心の糧として選手と一緒に頑張れば良い事です。
でもJ3は少し違います(その当時)
まず第一にTV放送がありませんでした。
今はDAZNで見れますがその当時はスカパー。
スカパーではJ3は放送していませんでした。
放送されない以上、スポンサーが撤退しても仕方がないと思っていましたし、観客数も激減するだろうし相手のサポーターもドームには来ないだろう、と。
(アウェーからのサポーターは本当にわずかでした)
当然、観客動員数が減り、スポンサーが減り、赤字になり、最後にはクラブ自体がなくなるのではないか。
生活の中心であったトリニータがなくなるのではないかという恐怖で寝れないくらいでした。
でも大分サポはトリニータを見捨てませんでした。
2016年 J3 開幕戦
「9,189人」・・それまでのJ3の観客動員数を更新したのです。
さらのこの年、11,065人を動員し、J3の記録をさらに塗り替えるという快挙。
改めてトリサポの熱さを感じました。
そして1年でJ2に昇格。
「トリニータのサポさんは強い」
と言われます。
4回目、鹿島と対戦し降格した日のTwitterはクラブへの温かいコメント、ポジティブな言葉であふれかえりました。
もしかしたら降格の戦犯探しでも、と少しでも思った自分を恥じました。
この温かさがトリサポなんだよなぁ。
J1だろうがJ2だろうが、どこにいてもトリニータはトリニータです。
対戦相手が変わるだけ。
私にとって何も変わりません。
来季も生活の中心はトリニータ。
基軸がブレないからなにもブレません。
大分にJクラブがある。
そしてそのチームを応援できる。
雨でも風でも台風でもドームの屋根に守られて快適な環境でトリニータの試合が観れる。
そこに行けばトリニータの仲間が待っている。
これ以上のモノを望むのは贅沢だと思っています。
大分に来てくれた監督、選手、スタッフ。
そして大分を支えてくれるスポンサー様とサポーター!
それらすべてがトリニータです!!
トリニータがあるだけで幸せです。
リーグ戦、残り2試合と天皇杯。
勝つぞ~!!
「トリニータ大好きだ~!」