ブログの更新が滞っていました、
やっと今日この10日間の出来事を
記録します、
ブログとは「日記」「備忘録」の意味があるのですが
私にとって気持ちの整理がこのブログに書き残すことで
出来るならと気力を振り絞って記します、
< それは、20日(水)の午後7時より始まった、
息子の上司から、所在確認の連絡が入り、内容を聞くと
昨日19日(火)、いきなり退職を申し出る、上司はびっくりして
当日の定時後、夕食を共にしながら留意に勤めるが、
本人によると、両親にも了解を得て、大学の先生にも
今後のことを相談していると、かなり退職の意思が強いと
感じられたそうです、(正月休暇で帰省している時には疲れているようだが
そんなに深刻な状態には見えなかったし相談も無かった)
翌日20日(水)会社に出勤せず、無断欠勤となる、上司が
昼ごろ寮に連絡し、寮長に部屋の確認をしてもらうが不在、
そして実家への連絡となった、
実家に帰っていないので上司が手がかりを得るため、
再度寮に連絡し、部屋での手がかりを
調べてもらう、テーブルの上に会社の就業規則の裏に書置きを
見つける、
「人は悪くない
ただ、環境・時期に自分の精神が
敗けただけ
○ ○ ○ ○ (名前)
いまは恐ろしいくらい落ち着いています。
やっと解放される。
家族の皆様申し訳ありません。」
文面の内容に驚き、実家に連絡がはいる、
直ぐに、夫婦にて警察に走る、午後9時過ぎ
○○警察 生活安全課に家出人捜索を依頼する、
捜索の内容を聞くが今の所、事件性が無いので、
もし不審者等の職務質問などで接触がなければ難しいのが
現状と説明される、
その夜はなすすべもなく自宅に、
翌日21日(木)朝9時に息子の勤務先を訪れる、
直の上司、総務の責任者、担当役員に面会、現時点での
会社で判っていることを聞き、それから寮に、
息子の部屋を見る、布団は敷いたままで衣類も
散らかっている、覚悟を決めて身辺を整理した様子は
うかがえなかった、手がかりになりそうな物を探す、
着て出た服装と靴は推測で判明するが、残されたものから
これと言って行き先等が判るものはなく、
唯一、情報源として残されているノートパソコンを作動させるが、パスワードでブロック
され、中身は読めなかった、
手がかりが無いまま、探しようが無い、会社の方から会社所轄の
警察に案内され、この様な場合の捜索方法を聞くが今の段階では
交友関係を当るしかないとのこと、
これといって有力な情報もなく会社を後にする、その帰り
届けた○○警察により、息子の書き置きを見せ、
再度、重点捜索を願い出る、
自宅にて待機中、午後9時過ぎ会社より連絡で、
息子のPCの一部が空けることが出来たと、
失踪前の直前に検索したサイトが判った
① 退職手続き
② 資格
③ 自殺
④ レンタカー会社 の順で検索
書き置きだけでは、もしかしたら気分転換にブラリと旅にでも
出ていたら良いのだけどと、考えていたのだが、まさか事は深刻な方向に向かっていると感じ、午後10時に直ぐ再度警察に出向き、実情を訴え
緊急性のある捜索を願い出る、
携帯の発信電波より位置確認が出来ると聞いていたので
その方法もお願いするも、この方法は依頼が一回きりしか
頼めないと言われ、現在息子の携帯は電源が入っていない
ので、かなり大まかな場所しか特定できず、もし今
最後のカードを切ってしまえば、たとえ向こうからかかってきたときに
再度探索は出来ないですがそれでもいいですか、と言われ
最後の手段だとの言葉が重たく
お願いできなかった、
(この携帯位置確認の作業は、あくまでも携帯会社の本来の業務でなくサービスで
協力する、との姿勢)
明けて、22日(金)
ネットで息子が見ていた、レンタカー会社2社の寮に近い営業所を訪れる、
事情を説明し、該当の貸し出しがあったか調べてもらおうとするが
何処の会社も、回答は現在「個人情報保護法」の縛りがあり
たとえ、このような状況で親であっても、直接回答することは
出来ないの一点張り、個人的にお願いしても駄目なようなので
警察に連絡するも、事件での情報提供依頼でない場合の依頼様式が
無く、そちらでお願いしてもらうしか仕方ないとの返事、
もしかして、銀行のATMで引き出しをしていればと立ち回り場所が判るかと、
息子の口座のある銀行に連絡、
ここでも「個人情報保護法」の壁がありしかるべき手続きを
をしないと直ぐには回答できないとのこと、
その後、勤め先の親会社の方が、別ルートとより警察に
口ぞえを頂きレンタカー会社の使用記録を探してもらえたのですが
該当者は出てきませんでした、
そして、最後のカードと思って取っておいた、携帯による位置探査
をお願いしました、しかし、息子の携帯より出している電波が
微力な為、結果は「所在不明」との回答でした、
結局、私達が考えれること出来ることは八方手を尽くしたのですが
息子に近づくことは出来ませんでした。
後は残された家族それぞれが必死に携帯で息子をコールするも
空しく「電源が入っていない状態です」が聞こえるだけでした、
23日(土)
午前9時半、 自宅に△△警察の刑事課より連絡が入りました、
心の中では、最悪の場合のことも覚悟を決めていましたが、
現実になってしまいました。
警察にて変わり果てた息子と対面、
刑事さんから、発見時の状況や所持品の説明等を
まるで悪夢を見ているような状態で聞いていました、
横で家内が声にならない嗚咽をあげながら取りすがります
この世に地獄があるなら正にこの場面だと思いました、
レンタカーの中でレンタンを燃やしその結果の一酸化炭素中毒死でした、
まるで眠るような息子に何故、如何しての問いかけも出来ない自分情けなく
ただただ悲しみをこらえるだけでした、
今回の息子の悲劇で強く感じたことがあります、
まず、発作的に自殺を考えている人間に懇切丁寧にその実行方法を
解説するサイトが何のガードもなく見ることが出来ること、
(もちろん息子はこのサイトを見るまでは方法を知っていたはずがありません)
又、行方不明者の身内(両親であっても)でも、
「個人情報保護法」の名の元に重要情報を教えてくれない
ワラをもスガル身内にとってこんな悔しいことはありません
確かに保護が必要な情報もあるでしょう、しかし今回のような
事案には、もっとフレキシブルに対処して欲しかったし
するべきだと思います、
亡骸をつれて帰り、通夜・告別式とゆっくり悲しみに浸ることも出来ず
怒涛のような日が過ぎ、やっとこのような記録を記して
気持ちの整理をしたいと思う自分がいます、
昨年11月に94歳の父を見送り、3カ月後に
最愛の息子にこのように先立たれるとは・・・・・
希望の会社に入社し1年弱、寮生活であまりゆっくりと会う
機会が無かったのですがそろそろ社会人の先輩として
酒でも飲み交わしながら話したいなーと思っていた矢先でした、
残念です・・・・
しかし家族で決めました、息子を責めることはやめよう、
“25年と10カ月本当に楽しい思い出を残してくれて
ありがとう“と言って見送ります。
最愛の自慢の息子を亡くした、父親 >
長文最後までお読みいただきありがとうございました。
やっと今日この10日間の出来事を
記録します、
ブログとは「日記」「備忘録」の意味があるのですが
私にとって気持ちの整理がこのブログに書き残すことで
出来るならと気力を振り絞って記します、
< それは、20日(水)の午後7時より始まった、
息子の上司から、所在確認の連絡が入り、内容を聞くと
昨日19日(火)、いきなり退職を申し出る、上司はびっくりして
当日の定時後、夕食を共にしながら留意に勤めるが、
本人によると、両親にも了解を得て、大学の先生にも
今後のことを相談していると、かなり退職の意思が強いと
感じられたそうです、(正月休暇で帰省している時には疲れているようだが
そんなに深刻な状態には見えなかったし相談も無かった)
翌日20日(水)会社に出勤せず、無断欠勤となる、上司が
昼ごろ寮に連絡し、寮長に部屋の確認をしてもらうが不在、
そして実家への連絡となった、
実家に帰っていないので上司が手がかりを得るため、
再度寮に連絡し、部屋での手がかりを
調べてもらう、テーブルの上に会社の就業規則の裏に書置きを
見つける、
「人は悪くない
ただ、環境・時期に自分の精神が
敗けただけ
○ ○ ○ ○ (名前)
いまは恐ろしいくらい落ち着いています。
やっと解放される。
家族の皆様申し訳ありません。」
文面の内容に驚き、実家に連絡がはいる、
直ぐに、夫婦にて警察に走る、午後9時過ぎ
○○警察 生活安全課に家出人捜索を依頼する、
捜索の内容を聞くが今の所、事件性が無いので、
もし不審者等の職務質問などで接触がなければ難しいのが
現状と説明される、
その夜はなすすべもなく自宅に、
翌日21日(木)朝9時に息子の勤務先を訪れる、
直の上司、総務の責任者、担当役員に面会、現時点での
会社で判っていることを聞き、それから寮に、
息子の部屋を見る、布団は敷いたままで衣類も
散らかっている、覚悟を決めて身辺を整理した様子は
うかがえなかった、手がかりになりそうな物を探す、
着て出た服装と靴は推測で判明するが、残されたものから
これと言って行き先等が判るものはなく、
唯一、情報源として残されているノートパソコンを作動させるが、パスワードでブロック
され、中身は読めなかった、
手がかりが無いまま、探しようが無い、会社の方から会社所轄の
警察に案内され、この様な場合の捜索方法を聞くが今の段階では
交友関係を当るしかないとのこと、
これといって有力な情報もなく会社を後にする、その帰り
届けた○○警察により、息子の書き置きを見せ、
再度、重点捜索を願い出る、
自宅にて待機中、午後9時過ぎ会社より連絡で、
息子のPCの一部が空けることが出来たと、
失踪前の直前に検索したサイトが判った
① 退職手続き
② 資格
③ 自殺
④ レンタカー会社 の順で検索
書き置きだけでは、もしかしたら気分転換にブラリと旅にでも
出ていたら良いのだけどと、考えていたのだが、まさか事は深刻な方向に向かっていると感じ、午後10時に直ぐ再度警察に出向き、実情を訴え
緊急性のある捜索を願い出る、
携帯の発信電波より位置確認が出来ると聞いていたので
その方法もお願いするも、この方法は依頼が一回きりしか
頼めないと言われ、現在息子の携帯は電源が入っていない
ので、かなり大まかな場所しか特定できず、もし今
最後のカードを切ってしまえば、たとえ向こうからかかってきたときに
再度探索は出来ないですがそれでもいいですか、と言われ
最後の手段だとの言葉が重たく
お願いできなかった、
(この携帯位置確認の作業は、あくまでも携帯会社の本来の業務でなくサービスで
協力する、との姿勢)
明けて、22日(金)
ネットで息子が見ていた、レンタカー会社2社の寮に近い営業所を訪れる、
事情を説明し、該当の貸し出しがあったか調べてもらおうとするが
何処の会社も、回答は現在「個人情報保護法」の縛りがあり
たとえ、このような状況で親であっても、直接回答することは
出来ないの一点張り、個人的にお願いしても駄目なようなので
警察に連絡するも、事件での情報提供依頼でない場合の依頼様式が
無く、そちらでお願いしてもらうしか仕方ないとの返事、
もしかして、銀行のATMで引き出しをしていればと立ち回り場所が判るかと、
息子の口座のある銀行に連絡、
ここでも「個人情報保護法」の壁がありしかるべき手続きを
をしないと直ぐには回答できないとのこと、
その後、勤め先の親会社の方が、別ルートとより警察に
口ぞえを頂きレンタカー会社の使用記録を探してもらえたのですが
該当者は出てきませんでした、
そして、最後のカードと思って取っておいた、携帯による位置探査
をお願いしました、しかし、息子の携帯より出している電波が
微力な為、結果は「所在不明」との回答でした、
結局、私達が考えれること出来ることは八方手を尽くしたのですが
息子に近づくことは出来ませんでした。
後は残された家族それぞれが必死に携帯で息子をコールするも
空しく「電源が入っていない状態です」が聞こえるだけでした、
23日(土)
午前9時半、 自宅に△△警察の刑事課より連絡が入りました、
心の中では、最悪の場合のことも覚悟を決めていましたが、
現実になってしまいました。
警察にて変わり果てた息子と対面、
刑事さんから、発見時の状況や所持品の説明等を
まるで悪夢を見ているような状態で聞いていました、
横で家内が声にならない嗚咽をあげながら取りすがります
この世に地獄があるなら正にこの場面だと思いました、
レンタカーの中でレンタンを燃やしその結果の一酸化炭素中毒死でした、
まるで眠るような息子に何故、如何しての問いかけも出来ない自分情けなく
ただただ悲しみをこらえるだけでした、
今回の息子の悲劇で強く感じたことがあります、
まず、発作的に自殺を考えている人間に懇切丁寧にその実行方法を
解説するサイトが何のガードもなく見ることが出来ること、
(もちろん息子はこのサイトを見るまでは方法を知っていたはずがありません)
又、行方不明者の身内(両親であっても)でも、
「個人情報保護法」の名の元に重要情報を教えてくれない
ワラをもスガル身内にとってこんな悔しいことはありません
確かに保護が必要な情報もあるでしょう、しかし今回のような
事案には、もっとフレキシブルに対処して欲しかったし
するべきだと思います、
亡骸をつれて帰り、通夜・告別式とゆっくり悲しみに浸ることも出来ず
怒涛のような日が過ぎ、やっとこのような記録を記して
気持ちの整理をしたいと思う自分がいます、
昨年11月に94歳の父を見送り、3カ月後に
最愛の息子にこのように先立たれるとは・・・・・
希望の会社に入社し1年弱、寮生活であまりゆっくりと会う
機会が無かったのですがそろそろ社会人の先輩として
酒でも飲み交わしながら話したいなーと思っていた矢先でした、
残念です・・・・
しかし家族で決めました、息子を責めることはやめよう、
“25年と10カ月本当に楽しい思い出を残してくれて
ありがとう“と言って見送ります。
最愛の自慢の息子を亡くした、父親 >
長文最後までお読みいただきありがとうございました。
あまりにも衝撃的すぎて、信じられない出来事です。
いたたまれない事実を読ませていただいて、言葉もありません。
謹んでお悔やみ申し上げます。
なんと申し上げてよいのやら・・・言葉が見つかりません。
今はとにかく団塊さまご夫妻のことが心配です。
どうぞお身体だけはくれぐれも気をつけてお過ごしください。
最後になりましたが、
御子息さまのご冥福、謹んでお祈り申し上げます。
何で!
団塊様の落胆の深さ、どうすることも出来なかった悔しさ、四角四面にしか捉えられない人間の浅はかさで
救えたかも知れない命が逝ってしまわれた。このことに怒りを覚えます。
昨日、私が娘の結婚式で浮かれているときに
団塊さんは・・・
同じ年代の、子供を持つ身で、もし
自分に、・・と思うと。
そんな気分には、なかなかならないと思いますが、
もう少し、暖かくなりましたら、青垣のほうに
お越しください。
更新なさってませんでしたので、どうかなさったのかとは思っておりましたが・・・。
なんといっていいのかわかりません。
ご子息さまのご冥福をお祈りいたします。
おなじような年頃の息子をもつ身として どう言葉をおかけしたらよいのかわかりません
くやしいですね
ルンさま
そばんち店主さま
大名草庵店主さま
MARYAさま
夢人さま
皆様の弔意コメントありがとうございました
今だ、現実を受け止めることが出来ない状態ですが
時間のみが解決してくれると思っています、
来週には寮から荷物を引き上げ、事後処理は終わります
このブログも、続けて行きたいと考えていますので
ご交流のほどよろしくお願いいたします。
決して無理をなさらず、気の向いた時に更新してください。
きょうは少し寒さもやわらぎ、白梅がきれいでした。
どう言葉をかけていいのかわかりません…
今は家族の方々に元気になってほしいです。
御子息さまのご冥福をお祈り申し上げます。