コメント
迦陵頻伽
(
maybe
)
2012-12-23 10:21:07
等白の龍図・利休像より見たかったです。
調べたら、妙心寺や東福寺の三門にもあるとか
なにせ迦陵頻伽→病弱な可愛い歌姫ですからね(by聖伝、漫画です)
この写真
(
2級のほう
)
2012-12-23 10:26:35
本文に無いので一応補足です。この写真は勅使門の内側から撮っているので、このように特別拝観でないと撮ることが不可能です。その上、よくみると正面右の扉が二つ開いています。これは、我々の拝観のために全開にしてくれていたのを片付けている途中に撮っているからなのですが、普段は拝観謝絶で常時閉じているという扉が開いているのはすごいことです。
amadeusさまが、「よく考えてみて。門の内側で撮れるなんて、こんなチャンス二度とないよ。」といって門の写真を撮られていましたが、その言葉に操られるかのように会員一同撮影大会になったのには笑ってしまいました。私も、その一人ですが。ハンメルンの笛吹きの話を思い出しました(^o^)
拝観ならぬ
(
京極堂
)
2012-12-23 10:34:20
観戦中です!京都の暮れの風物詩、高校駅伝を暴れん坊を連れ出し、紫明付近で今や遅しと待っています(笑)!
羨ましい!
(
くろ
)
2012-12-23 10:50:57
数日前から索引に金毛閣があがっているのは知っていたので、とても気になっていたのですが。
やはりこういうことだったのですね。
しかし、色々と道はあるものですね。
先月の黒書院拝観を教えていただいて以来、今はお腹一杯な気分になり、上洛していないのですが、さすがに金毛閣は行ってみたいと思いますねえ。
凄いですね
(
albero
)
2012-12-23 11:43:06
「蛇の道は蛇」とは言いますがamdeuse会恐るべしですね。
次回の募集のときは逃さないようにします。
話題は変わりますが1月2日か3日に家族で上洛しようかという話が持ち上がっています。
紅葉の時期に比べ込み具合などはすさまじいのでしょうか?
正月に行ったことがないので想像もつきません。
まだどこに行くのかも全く決まっていません。
行くのなら車でということになりますが、正月ならではというおすすめのコースがあればご紹介ください。
2級のほうさま
(
amadeus
)
2012-12-23 13:17:31
>「門の内側で撮れるなんて、こんなチャンス二度とないよ。」
正確には、
「金毛閣の正面からの写真が撮れるのは、この機会をおいて他にはないよ」
ですね。
大抵の金毛閣の写真は、植え込みを避けた左斜め前からですからね。
くろさま、alberoさま
(
amadeus
)
2012-12-23 13:20:45
アマデウス会員は、”拝観に貪欲”ですからね。
多分”レアでない”ものを紹介しても、スルーされると思います(笑)。
また当会にご興味があれば、次回応募してください。
少なくとも4月には、第2回のアマデウス会 夕食会を予定しております。
alberoさま
(
amadeus
)
2012-12-23 14:05:15
そうそう、
お正月の件のお返事ですが、
2時間待ってください(笑)。
記念写真
(
tumuji
)
2012-12-23 14:52:57
このショットで門の上で手を振る自分を撮って欲しかった。
こちらは、雪が舞っています。
(
An.
)
2012-12-23 19:30:09
明日はホワイトクリスマスになるでしょうか?
サンタさんも、寒い中、大変です。
今日は、若き高校生たちが都大路を駆け抜ける”全国高校駅伝”でしたね。
上洛が叶わなかったこの数年間は、欠かすことなくTV観戦していましたが、
本日は、どうしてもはずせぬ用事があり、
何年振りかで、観戦できませんでした。
南禅寺別荘群のBS番組は、録画予約して出掛けましたので、
夜、観るのを愉しみにしています。
An.さま
(
amadeus
)
2012-12-23 21:38:17
>南禅寺別荘群のBS番組
僕も用事をしながらですが、見ました。
僕は珍しい視聴者で、大抵の所が”後追いです(笑)。
南禅寺別荘群のBS番組
(
なおすけ
)
2012-12-23 22:10:15
ご覧になった皆様、少なくとも2度(再)放送されたことのある番組でしょうか(細川元首相が出てくるやつだったかな)?本日は吉さま(吉右衛門丈)との逢瀬(今年の芝居の見納め@国立劇場)で頭がいっぱいだった(苦笑)ので、録画予約するのを忘れてしまいました。。。
相変わらず、日本一らぶりーな吉さまの「作り阿呆の一条大蔵卿」でした。(台詞を噛んでた気もするけど、)来年も吉さまについていこうっと&来年こそはアマデウス会に参加できるといいなぁ・・・。
ほんとに 貪欲ですね
(
anne-mama
)
2012-12-25 17:10:10
「利休のまたのした・・」とつぶやきながら見上げるもの だと思いきや、道を作れば登れるんですね(感嘆)
新・利休像も安置されているのですね。
こういう知識がふえるのも楽しい。そういう歴史の現場(言い方がおかしい?利休がイチャモンつけられた因縁のある場)を見ることができるのも楽しいです。
等伯展、行きましたよ。永徳展は並びました。あと妙心寺展も!歴史と文化の結びつきもまた楽しい
anne-mamaさま
(
amadeus
)
2012-12-25 20:10:28
>道を作れば登れるんですね
索引をつぶさに見て頂ければ、大徳寺三門以外にもそういう例がたくさんありますよ。
苦労の賜物です(笑)。
いつもながら動産系(文化財)は苦手です(笑)。
今さらですが。。
(
2級のほう
)
2012-12-26 00:59:14
どうしても気になっていることを書きます。それは厨子の存在そのものです。
この三門の楼上の設計は、天井の龍、柱の絵、十六羅漢など、概ね全体の配置が左右対称になっています。
そう考えると、対称を崩す上に、せっかく書いた絵が見えにくくなる厨子の存在は、何となく不自然です。
楼上に入ったときから、ずっと離れなかった違和感の正体がそれでした。
本文にもありますが、厨子の上には、正確には、浄土六鳥の一つである共命之鳥をモチーフとした双頭の天人が描かれています。(私の記憶が正しければ、迦陵頻伽は厨子の上ではなく、龍を挟んだ逆サイドだったと思います。)その時、浄土六鳥について知っていれば良かったのですが、生憎、無知でしたので、その時は深く考えませんでした。
で、ここからは妄想です。なぜ、利休はわざわざここに自分の像を置いたのか。私が等伯だったら、せっかくの作品が壊れるからやめて欲しいと思います。
ひょっとして、これって利休の保険だったのではないでしょうか。共命之鳥は、双頭の片方が死ぬと、他方も死んでしまいます。自分の命に危機を覚えていた利休が、秀吉と刺し違えるために、そうしたのだとしたら。等伯も協力しての仕業だとしたら。このことが秀吉に知れた場合に、切腹の原因となったことも頷けるのです。
ああ、すみません。夜中で妄想が過ぎました。スーメテさんの影響かもしれません。忘れてください。。
妄想です。なぜ利休は死を選んだのか?
(
amadeus
)
2012-12-26 06:25:52
僕も以前から思っていた妄想です。
利休はなぜ死ぬに至るような行動を秀吉に対して取ったのかです。
信長時代は、利休から見て秀吉は足軽から出世した稀代の武将です。
その秀吉が自ら一兵士を叱咤ながら(であろう)皆の力で中国大返しを成功させた有様を聞いて、この人なら皆が幸せになれるような国を作ってくれるんじゃないかと期待し、秀吉に加担するようになったのではないか。
しかしいざ権力の頂点に立った秀吉は違った。
(ここからハマカーン風(笑))
政治では、
民草から租税を召し上げぇ~~、反撃の手段を奪いぃ~~(刀狩り)、無謀な侵略を実行しぃ~~(朝鮮出兵)、わが子のためにたくさんの人を犠牲にしたぁぁぁ~~(秀次一党の処分)!
これまさに”鬼畜の所業ぉ!!!”
と思った(笑)。
のみならず自分の聖域である茶道においても、
豪勢な大茶会を催しぃ~~、黄金の茶室を造りぃ~~、その結果、命より大事な”わび茶”を踏みにじったぁぁぁ~~!
これまさに”下衆の極みぃ!!!”
ってなったのでは・・・(笑)。
それに対して女子は・・・じゃなく利休は(笑)茶道という”道”を極めた人、ブレる秀吉に我慢がならなかった。
わが子のことのみに執着し、当初の本質からブレる秀吉や、さらに我が身可愛さに諌めることができない周りの武将たちに、些かもブレない自分の姿を貫いた結果、秀吉との決別に至ったのではないか。
ですから切腹の際の利休は、実に晴れやかな気分だった(まあ自己陶酔ともいえる)のではないでしょうか。
・・・「命を懸けても、自らの魂は曲げない」・・・
あの三門上の利休像の目を見ましたか。
カッと見開いた眼・・・。
僕にはどうしてもあれが、「物事の本質を見逃さない、俺はブレないぞ!」と言っているように思えてなりませんでした。
いや、これも朝から僕の妄想です(笑)。
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調べたら、妙心寺や東福寺の三門にもあるとか
なにせ迦陵頻伽→病弱な可愛い歌姫ですからね(by聖伝、漫画です)
amadeusさまが、「よく考えてみて。門の内側で撮れるなんて、こんなチャンス二度とないよ。」といって門の写真を撮られていましたが、その言葉に操られるかのように会員一同撮影大会になったのには笑ってしまいました。私も、その一人ですが。ハンメルンの笛吹きの話を思い出しました(^o^)
やはりこういうことだったのですね。
しかし、色々と道はあるものですね。
先月の黒書院拝観を教えていただいて以来、今はお腹一杯な気分になり、上洛していないのですが、さすがに金毛閣は行ってみたいと思いますねえ。
次回の募集のときは逃さないようにします。
話題は変わりますが1月2日か3日に家族で上洛しようかという話が持ち上がっています。
紅葉の時期に比べ込み具合などはすさまじいのでしょうか?
正月に行ったことがないので想像もつきません。
まだどこに行くのかも全く決まっていません。
行くのなら車でということになりますが、正月ならではというおすすめのコースがあればご紹介ください。
正確には、
「金毛閣の正面からの写真が撮れるのは、この機会をおいて他にはないよ」
ですね。
大抵の金毛閣の写真は、植え込みを避けた左斜め前からですからね。
多分”レアでない”ものを紹介しても、スルーされると思います(笑)。
また当会にご興味があれば、次回応募してください。
少なくとも4月には、第2回のアマデウス会 夕食会を予定しております。
お正月の件のお返事ですが、
2時間待ってください(笑)。
このショットで門の上で手を振る自分を撮って欲しかった。
サンタさんも、寒い中、大変です。
今日は、若き高校生たちが都大路を駆け抜ける”全国高校駅伝”でしたね。
上洛が叶わなかったこの数年間は、欠かすことなくTV観戦していましたが、
本日は、どうしてもはずせぬ用事があり、
何年振りかで、観戦できませんでした。
南禅寺別荘群のBS番組は、録画予約して出掛けましたので、
夜、観るのを愉しみにしています。
僕も用事をしながらですが、見ました。
僕は珍しい視聴者で、大抵の所が”後追いです(笑)。
相変わらず、日本一らぶりーな吉さまの「作り阿呆の一条大蔵卿」でした。(台詞を噛んでた気もするけど、)来年も吉さまについていこうっと&来年こそはアマデウス会に参加できるといいなぁ・・・。
新・利休像も安置されているのですね。
こういう知識がふえるのも楽しい。そういう歴史の現場(言い方がおかしい?利休がイチャモンつけられた因縁のある場)を見ることができるのも楽しいです。
等伯展、行きましたよ。永徳展は並びました。あと妙心寺展も!歴史と文化の結びつきもまた楽しい
索引をつぶさに見て頂ければ、大徳寺三門以外にもそういう例がたくさんありますよ。
苦労の賜物です(笑)。
いつもながら動産系(文化財)は苦手です(笑)。
この三門の楼上の設計は、天井の龍、柱の絵、十六羅漢など、概ね全体の配置が左右対称になっています。
そう考えると、対称を崩す上に、せっかく書いた絵が見えにくくなる厨子の存在は、何となく不自然です。
楼上に入ったときから、ずっと離れなかった違和感の正体がそれでした。
本文にもありますが、厨子の上には、正確には、浄土六鳥の一つである共命之鳥をモチーフとした双頭の天人が描かれています。(私の記憶が正しければ、迦陵頻伽は厨子の上ではなく、龍を挟んだ逆サイドだったと思います。)その時、浄土六鳥について知っていれば良かったのですが、生憎、無知でしたので、その時は深く考えませんでした。
で、ここからは妄想です。なぜ、利休はわざわざここに自分の像を置いたのか。私が等伯だったら、せっかくの作品が壊れるからやめて欲しいと思います。
ひょっとして、これって利休の保険だったのではないでしょうか。共命之鳥は、双頭の片方が死ぬと、他方も死んでしまいます。自分の命に危機を覚えていた利休が、秀吉と刺し違えるために、そうしたのだとしたら。等伯も協力しての仕業だとしたら。このことが秀吉に知れた場合に、切腹の原因となったことも頷けるのです。
ああ、すみません。夜中で妄想が過ぎました。スーメテさんの影響かもしれません。忘れてください。。
利休はなぜ死ぬに至るような行動を秀吉に対して取ったのかです。
信長時代は、利休から見て秀吉は足軽から出世した稀代の武将です。
その秀吉が自ら一兵士を叱咤ながら(であろう)皆の力で中国大返しを成功させた有様を聞いて、この人なら皆が幸せになれるような国を作ってくれるんじゃないかと期待し、秀吉に加担するようになったのではないか。
しかしいざ権力の頂点に立った秀吉は違った。
(ここからハマカーン風(笑))
政治では、
民草から租税を召し上げぇ~~、反撃の手段を奪いぃ~~(刀狩り)、無謀な侵略を実行しぃ~~(朝鮮出兵)、わが子のためにたくさんの人を犠牲にしたぁぁぁ~~(秀次一党の処分)!
これまさに”鬼畜の所業ぉ!!!”
と思った(笑)。
のみならず自分の聖域である茶道においても、
豪勢な大茶会を催しぃ~~、黄金の茶室を造りぃ~~、その結果、命より大事な”わび茶”を踏みにじったぁぁぁ~~!
これまさに”下衆の極みぃ!!!”
ってなったのでは・・・(笑)。
それに対して女子は・・・じゃなく利休は(笑)茶道という”道”を極めた人、ブレる秀吉に我慢がならなかった。
わが子のことのみに執着し、当初の本質からブレる秀吉や、さらに我が身可愛さに諌めることができない周りの武将たちに、些かもブレない自分の姿を貫いた結果、秀吉との決別に至ったのではないか。
ですから切腹の際の利休は、実に晴れやかな気分だった(まあ自己陶酔ともいえる)のではないでしょうか。
・・・「命を懸けても、自らの魂は曲げない」・・・
あの三門上の利休像の目を見ましたか。
カッと見開いた眼・・・。
僕にはどうしてもあれが、「物事の本質を見逃さない、俺はブレないぞ!」と言っているように思えてなりませんでした。
いや、これも朝から僕の妄想です(笑)。