コメント
駅前ですね(笑)
(
京極堂
)
2013-10-10 22:55:58
先日、toganjiさまに同伴させていただき知りました。まさに駅前!驚きました。
待庵は勿論凄いのですが、ここの書院は室町時代のものなんですよね。そんな知識が全然無くて、初めて観た時、待庵以上の衝撃が走りました。中世建築の失われてしまった大多数を窺い知る好建築ですね。是非再訪したいです。
ほんとに駅前
(
ミッキー
)
2013-10-11 00:25:37
駅から徒歩0分の国宝、たぶん他にないですよね(笑)。
当日はみなさんテンション高めで、見学に必死。何回もぶつかってしまいました。
利休や諸大名たちが、この空間にいたと思うと興奮します。
しかし個人的には、お茶室の見方をもっと勉強しなければならないなと感じました。
念願かなって!
(
tani
)
2013-10-11 01:37:12
ずいぶん前からの念願がかなって訪問出来ました。
八人での貸切という、ゆったりとした贅沢なひと時でした。
国宝の茶室のうち如庵(犬山)は拝観済みなので、残すところは密庵のみ!
ここは難しそうですね。
待庵の歴史的見地
(
Taepodong
)
2013-10-11 01:50:02
お茶を嗜まれている人にとって、千利休が作った唯一現存する茶室「待庵」のある山崎は、
正に聖域なのでしょう。
裏千家の免状を持つ義母などは、以前京都に来た時に「待庵」を見たので
もう死んでもいい..って言ってました(笑)
ただ、先週、一緒に散策をしていただいた講師の方のお話だと、
現在、歴史資料の中では、妙喜庵に移築された茶室が千利休が造ったことを示す
明確な根拠はないとのこと。
あくまで、妙喜庵の三世「功叔禅師」が千利休と親しかったことや、
山崎の合戦にあたり、秀吉が造らせたものという説や、
元々、利休屋敷が当庵の西の方にあって、その茶室を移築したものだという説があることから、
歴史の流れの中で、「利休作」と信じ得る唯一残存する茶室として、
現在に至ってるようです。
実際、移築された時期も、利休が亡くなって20~30年後のことだそうです。
史実は、知れば知るほど、奥が深いです。
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待庵は勿論凄いのですが、ここの書院は室町時代のものなんですよね。そんな知識が全然無くて、初めて観た時、待庵以上の衝撃が走りました。中世建築の失われてしまった大多数を窺い知る好建築ですね。是非再訪したいです。
当日はみなさんテンション高めで、見学に必死。何回もぶつかってしまいました。
利休や諸大名たちが、この空間にいたと思うと興奮します。
しかし個人的には、お茶室の見方をもっと勉強しなければならないなと感じました。
八人での貸切という、ゆったりとした贅沢なひと時でした。
国宝の茶室のうち如庵(犬山)は拝観済みなので、残すところは密庵のみ!
ここは難しそうですね。
正に聖域なのでしょう。
裏千家の免状を持つ義母などは、以前京都に来た時に「待庵」を見たので
もう死んでもいい..って言ってました(笑)
ただ、先週、一緒に散策をしていただいた講師の方のお話だと、
現在、歴史資料の中では、妙喜庵に移築された茶室が千利休が造ったことを示す
明確な根拠はないとのこと。
あくまで、妙喜庵の三世「功叔禅師」が千利休と親しかったことや、
山崎の合戦にあたり、秀吉が造らせたものという説や、
元々、利休屋敷が当庵の西の方にあって、その茶室を移築したものだという説があることから、
歴史の流れの中で、「利休作」と信じ得る唯一残存する茶室として、
現在に至ってるようです。
実際、移築された時期も、利休が亡くなって20~30年後のことだそうです。
史実は、知れば知るほど、奥が深いです。