コメント
 
 
 
実は天皇の子孫 (2級のほう)
2013-01-02 21:37:04
近衛文麿って後陽成天皇の子孫なのですよね。まあ、貴族院議員ってそういう人が多いんでしょうけど。180cmを超えるような人とは知りませんでした。当時としては、相当大きかったでしょうから、家も特別な配慮があったのですね。
 
 
 
2級のほうさま (amadeus)
2013-01-03 08:16:54
おはようございます。

>近衛文麿って後陽成天皇の子孫
五摂家筆頭は知っていましたが、そうなんですか。

また本年もいろいろと教えてくださいね。
 
 
 
恐縮です (2級のほう)
2013-01-03 17:08:59
いえいえ、天皇関係くらいしか、お役に立てませんが。。それ以外は師匠を筆頭とする強力攻撃陣にパスしますのでよろしくお願いします。何せ運命共同体ですから(^_^)
 
 
 
運命共同体へ(笑)! (京極堂)
2013-01-04 01:52:02
後陽成天皇の皇子が養子でしたっけ?その方から直系で繋がるのですか?そこまでは知らなかったです。
私の記憶が曖昧な上、只今、書庫からも遥か遠く(笑)なので、確認出来ないのが残念ですが、つまり後水尾天皇と兄弟になるのですね?
あの時代は、面白いですよね。八条宮家が桂離宮を整備したり、後水尾天皇が修学院離宮を整備したりと…
あまり聞き慣れないかもしれませんが、桃山文化と元禄文化の間の“寛永文化”という京都の宮廷や文化人を中心とした文化が花開きますね。その空気を感じた一人ですからね、興味が湧きます。
一昨年だったと思いますが、「後水尾天皇」という本が中公文庫から出ています。出版社を変えての再々版で、学史的にも重要ですが、とても面白い本です。興味があったら在庫切れになる前にチェックして下さい。
 
 
 
最果ての地よりありがとうございました (2級のほう)
2013-01-04 07:40:02
後水尾天皇は、かなり好きな天皇の一人です。修学院離宮の整備だけでなく、政治的にも面白い人ですよね。幕府にブチ切れていきなり譲位するあたり、なかなか気骨のあった天皇と思います。ただ、そこまで敵対した江戸幕府の象徴である日光東照宮に自身の勅筆の額があるために、明治維新後も日光東照宮が残ることになったことには、運命の皮肉を感じてしまいますね。いずれにせよ、中公文庫チェックさせていただきます。
 
 
 
京極堂さま、2級のほうさま (amadeus)
2013-01-04 08:30:33
アマデウス会でのメールでもその傾向が出ていますが、最近は「伝統芸能」の方に興味が向きつつあります。

京都検定が終わったせいか、歴史への興味は小休止状態ですが、いずれまた興味が戻ると思われます。

その際にはそちらの知識(天皇関係)も掘り下げようと思います。
 
 
 
我慢できずw (super-meteor)
2013-01-25 23:45:28
>ama様、2級のほう様、京極堂様

このコメントのやり取りを見て参加したかったのですが、無駄に我慢してしまいましたw が、しかし、やはり気になり続けたのでコメントを残すことに…


>>後陽成天皇の皇子が養子

いわゆる「皇別摂家」というやつです。
ご指摘の通り、近衛文麿[日中戦争開始時の内閣総理大臣]は後陽成天皇の子孫です。この血統を継ぐ公家はたくさんいます。有名なのは西園寺公望[最後の元老・清風荘でおなじみ]、、、となると徳大寺家[清家家・竜安寺前身は徳大寺家別荘]つながりで住友家[財閥・住友有芳園でおなじみ]もそうなります(家系図参照)。

後陽成天皇の子には、近衛信尋のほかに一条昭良なんかもいます。この二人そして、後水尾天皇に共通することは母親が近衛前久の娘中和門院前子であるということです。この血縁関係からみるに摂家の養子の対象とするのにこれほど最適な人物はいません。
3人は別々の家に分かれましたが同母兄弟につき仲もよろしいです。

ちなみに、その後、一条昭良の血統は絶え、九条家[御苑の南・拾翠亭及び九条池でおなじみ]から養子をもらって存続させています(一条からの枝別れ、醍醐家[清家家]としての血統は残ります)。

――――――――――――
中和門院の話を出したのにもわけがあります。しかし、話は急展開しますw(カーブにつき曲がりきれなければ大事故です)

この人は『関白』豊臣秀吉(前久養子)が猶子として入内させた女性で、ここからは妄想ですが聚楽第(出てきました!)行幸と二条城行幸に付き添っている生き証人だと考えられます(二条城については記録あり)。
聚楽第の時は天皇の女御として、二条城の時は天皇の母[官位は准三宮]として行っているはずなんですよ。

他に、もてなされる側として、この二大イベントに参加できる人は思いつかないです。なにしろ、両者は30年近く離れてますから。

ちなみに、何かと宇治近辺[平等院、宇治山荘]にゆかりの深い近衛家ですが、宇治の北、萬福寺(黄檗宗)は元は中和門院の別荘『大和田殿』があったところです。
これ以上はやめます。

本題とずれ過ぎましたw カーブは思った以上に直角でした汗  御三方すいません。
 
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