コメント
Re:恭仁山荘
(
宮水
)
2024-06-20 15:55:29
次の公開が10年後は、かなりつらいです。
あふれかえる蔵書に追い出されて、実際に住まわれていた書庫を見てみたいです。
毎月26日に会が開催されているようですが、全くの門外漢で参加は憚られます。
昨秋、大阪北浜の道修町、武田薬品工業のもと本社跡の、杏雨書屋で
「杏雨書屋の善本漢籍―恭仁山荘本を中心に―」 という展覧会が開催され、
国宝を含む湖南の収蔵本が武田に引き取られているのを初めて知りました。
恭仁山荘辺りは、解脱上人貞慶が隠棲した海住山寺にも近く
恭仁京、あるいは江戸時代の袋中上人が住した瓶原もあり
古来、人を惹きつける場所なのでしょうか?
一度行ってみたいです。
Unknown
(
amadeus
)
2024-06-20 17:33:13
> 宮水 さんへ
まずは「ごいち」の変換の件です。
毎日仕事をしながらの2回更新なんで、推敲が出来ていません。
僕のPCのごいちの一発変換が吾一である限り繰り返される可能性があるので(笑)、またやらかしていたら指摘してくださいw
それと毎月26日の会ですが、今は開催されていないとおっしゃっておられました。
だから尚更チャンスがないんですよね…
Amadeus様
(
宮水
)
2024-06-21 05:52:15
まずは、「様」から「さん」への昇格ありがとうございます。
いつかお会い出来た時に、「ごいち」で思い出してもらえるでしょうか…
パソコンの[言語バー]の[ツール]の[単語の登録]を使って、武田五一を登録しておくと便利です。ついでに誤変換しやすい単語も。。
お仕事と休日の寺社拝観とお忙しいのに一日二度の更新ありがとうございます。毎回楽しみにしています。
しかしすごい情報量です。校正の仕事は、Mちゃんにお任せでいいのでは…
Re:恭仁山荘
(
宮水
)
2024-06-21 05:54:26
毎月26日開催の恭仁山荘サロンの事は、本年の5月の「広報きづがわ」で、紹介されていますけれどね。
内藤湖南特集で、かっこつけたのか…
木津川市で、恭仁山荘を応援する体制に持っていけたらいいですね。
Re:恭仁山荘
(
宮水
)
2024-06-23 08:25:25
昨日、京都文化博物館で今日が最終日の松尾大社展に行って来ましたが、
2階の総合展示で、恭仁宮の発掘調査展やっていました。7月28日迄。
その展示で、内藤湖南の「恭仁京大極殿址」の石碑の題辞が出ていました。
解説に、内藤湖南(1866-1934)は晩年、瓶原の「恭仁山荘」に住み、
恭仁京にも関心を寄せ、地元の人たちと談義していたそうです。と、ありました。
尚、今日まで別館で京都の和菓子の12軒の団体の山水会の25周年記念の展覧会やっていました。
亀屋吉長のご夫妻が在廊されていました。
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あふれかえる蔵書に追い出されて、実際に住まわれていた書庫を見てみたいです。
毎月26日に会が開催されているようですが、全くの門外漢で参加は憚られます。
昨秋、大阪北浜の道修町、武田薬品工業のもと本社跡の、杏雨書屋で
「杏雨書屋の善本漢籍―恭仁山荘本を中心に―」 という展覧会が開催され、
国宝を含む湖南の収蔵本が武田に引き取られているのを初めて知りました。
恭仁山荘辺りは、解脱上人貞慶が隠棲した海住山寺にも近く
恭仁京、あるいは江戸時代の袋中上人が住した瓶原もあり
古来、人を惹きつける場所なのでしょうか?
一度行ってみたいです。
まずは「ごいち」の変換の件です。
毎日仕事をしながらの2回更新なんで、推敲が出来ていません。
僕のPCのごいちの一発変換が吾一である限り繰り返される可能性があるので(笑)、またやらかしていたら指摘してくださいw
それと毎月26日の会ですが、今は開催されていないとおっしゃっておられました。
だから尚更チャンスがないんですよね…
いつかお会い出来た時に、「ごいち」で思い出してもらえるでしょうか…
パソコンの[言語バー]の[ツール]の[単語の登録]を使って、武田五一を登録しておくと便利です。ついでに誤変換しやすい単語も。。
お仕事と休日の寺社拝観とお忙しいのに一日二度の更新ありがとうございます。毎回楽しみにしています。
しかしすごい情報量です。校正の仕事は、Mちゃんにお任せでいいのでは…
内藤湖南特集で、かっこつけたのか…
木津川市で、恭仁山荘を応援する体制に持っていけたらいいですね。
2階の総合展示で、恭仁宮の発掘調査展やっていました。7月28日迄。
その展示で、内藤湖南の「恭仁京大極殿址」の石碑の題辞が出ていました。
解説に、内藤湖南(1866-1934)は晩年、瓶原の「恭仁山荘」に住み、
恭仁京にも関心を寄せ、地元の人たちと談義していたそうです。と、ありました。
尚、今日まで別館で京都の和菓子の12軒の団体の山水会の25周年記念の展覧会やっていました。
亀屋吉長のご夫妻が在廊されていました。