コメント
深草少将
(
hyt
)
2013-06-20 22:33:55
深草の地に住んだので、深草少将というのですね。
全然分かっておらず、最近になってやっと、地名をとって、深草少将というのだと気が付きました。
hytさま
(
amadeus
)
2013-06-20 23:13:34
昔はこの辺りは草が深く茂っていたので、深草と言ったらしいですね。
今なら”墨染少将”でした(笑)。
百夜通いも、京阪電車が近いので便利だったでしょうね(笑)。
特急は停まらないですけど。
いや、その前に終電の心配か・・・(笑)。
百夜通い
(
なごやん
)
2013-06-20 23:24:30
"百夜通いも、京阪電車が近いので便利…"
笑えました。
定期券も必需品ですね。
深草と小野
(
hyt
)
2013-06-20 23:53:11
通った先は、随心院あたりですか。
この辺りは、かっては小野と言ったそうですね。
今も、小野という地名は残っていますか。
どう考えても、電車ではなく車で通ったと思いますよ。
いや、自転車でしょうか。
とにかく、3㎞ほどですから、近すぎて、「通う」というイメージが出てこないのですが。10㎞くらいでないと。
そうなんですね
(
maybe
)
2013-06-21 05:39:49
深草少将が住んでいたから深草という地名になったのかと思っていました。
逆だったのですね。
なごやんさま、hytさま
(
amadeus
)
2013-06-21 08:50:11
以前から僕が
「醍醐周辺を伏見に分類していない理由」
がこのあたりからわかります。
つまり醍醐は墨染からは山1つ越えれば距離的にはすぐなんですが、電車で行くと遠いです。
墨染駅~中書島で宇治線に乗り換え~六地蔵駅→結構な徒歩→地下鉄で六地蔵駅~醍醐駅
です。
絶対に山科からの方が近いんです。
そしてその間にある山が、どこかご存知でしょうか?
小栗栖です。
そのあの明智光秀が討たれた場所なんですね。
1つ勉強になったでしょうか(笑)。
小野
(
2級のほう
)
2013-06-21 08:50:42
京都市営地下鉄 東西線の駅で「小野」があります。随心院の最寄駅で小野氏に因んでつけられているそうです。周辺の住所名は「椥辻」なので、市営地下鉄の粋な命名といえるでしょうか。ただ、私もこの駅名が小野氏に因んでいるとは分からず、スルーしていました。
すみません
(
2級のほう
)
2013-06-21 08:55:31
小野駅の所在地は椥辻ではなく、小野西浦でした。。
2級のほうさま
(
amadeus
)
2013-06-21 08:56:30
あのあたりが”小野氏由来”って京都検定で出ますよね。
そんなことでは、1級は・・・(笑)。
それと椥辻(なぎつじ)駅も、既に存在しています。
小野の1つ北側です。
http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka/e/5a3f97877f296adcd495657812493f8d
面目ない。。
(
2級のほう
)
2013-06-21 09:09:00
小野駅も椥辻駅も、大阪在住でさほど京都に興味がなかった時代から知っていましたが。。1級への道はまだまだ遠いですね。。
2級のほうさま
(
amadeus
)
2013-06-21 09:42:07
昨年の1級の問題で”嵐電の駅名”を答える問題が出ました。
以前にもそういうのがあったように思います。
ですから京都の駅名もバカには出来ませんよ。
”鉄ヲ○”の試験委員さんでもおられるのでしょうか(笑)!
勉強になります
(
なごやん
)
2013-06-21 12:32:16
昼休みに地図を広げて場所を確認してしまいました。
明智光秀が討たれたところは、滋賀県の山中だと思い込んでいました。
アマデウス会の扉を叩くには、まだまだですねー。
知力、体力、根性(昼御飯抜きは耐えられない)とも、二軍以下です。
なごやんさま
(
amadeus
)
2013-06-21 12:49:23
僕が小栗栖の場所を知ったのは、地図で探したからではないです。
現地を車で通ったからです(笑)。
勉強した知識というより、日常にそういう発見があるのが、地元民の利点ですね。
amadeusさま
(
hyt
)
2013-06-21 17:52:05
小栗栖ですか。
光秀が山崎から坂本へ逃れるときに、途中で農民に襲われ、竹で刺されて殺されたんでしたね。
場所は知らないですね。
墨染~小野もそうですが、山崎~小栗栖も、一度歩いてみたいものです。遠い昔と今とでは、まるで道など違っているのですが。
山崎~小栗栖は、取りあえずは、機会を見て、車で走ってみますよ。
歴史上のことを現代の場所に落とし込むことは、楽しいことですよね。時空を超えてという感じがします。
小栗栖と言えば・・・
(
なおすけ
)
2013-06-21 21:37:09
九代目市川中車!(笑)こと香川照之。46歳の新人歌舞伎役者のデビュー作は光秀を討った人物が主役の演目でした。これなら遅すぎる新人でも出来るわ、という作品(小栗栖の長兵衛)です。顔見世でも掛かるようなら、ご覧ください。以上ヨコから失礼しました。
肉髻の正面中央の赤いやつ
(
amadeus
)
2013-07-05 17:08:18
欣浄寺で、伏見大仏の肉髻(頭頂部のふくらみ)の正面中央が赤くなっているのが話題になりました。
その時はそれが何か片が付かなかったのではないでしょうか。
あれはどうやら”肉髻珠(にくけいしゅ)”といって、悟りを開いた証に表れる徳相の1つだそうです。
洋泉社MOOK「 図説 仏像の本」 P22に書いてありました。
くれぐれも間違いがないように確認しておきますが、「僕はB派ではありません!」(笑)。
ama様
(
serimama
)
2013-07-05 22:25:38
回答ありがとうございます!
またまたB本買われてるじゃないですか~♪
素直になりましょう(笑)
先日本屋さんでチラ見したのですが、時間がなくて、購入してませんが、良かったですか?
serimamaさま
(
amadeus
)
2013-07-05 22:34:52
>またまたB本買われてるじゃないですか~♪
庭園のような”溢れ出る興味”は、未だにないです。
しかし以前にも書いたように、昨今行く寺院はもはやB派のところばかりです。
なのに”Bの知識がない自分に苛立たしくなった”からです。
さて本の内容です。
まだ読み始めたばかりですが、かなり基本的なところから解説してあるので、初心者にはいいと思います。
しかしこの本の最初に
”仏像は知識に基づいて分析する必要はなく、感じなさい”と書いてもいます。
その通りなんでしょうけれど、”理論派”はそれでは納得できないんですね(笑)。
それともう1つ。
「そもそも、元気いっぱい、幸せいっぱいの人には仏像は必要ない」的なことが書かれていました。
そうか!
道理で僕はBに興味がない訳です(笑)!!
本日、長年の謎が判明しました!!!
えーっ
(
toganji
)
2013-07-06 05:00:16
>「そもそも、元気いっぱい、幸せいっぱいの人には仏像は必要ない」
そうだったのかぁ(笑)
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全然分かっておらず、最近になってやっと、地名をとって、深草少将というのだと気が付きました。
今なら”墨染少将”でした(笑)。
百夜通いも、京阪電車が近いので便利だったでしょうね(笑)。
特急は停まらないですけど。
いや、その前に終電の心配か・・・(笑)。
笑えました。
定期券も必需品ですね。
この辺りは、かっては小野と言ったそうですね。
今も、小野という地名は残っていますか。
どう考えても、電車ではなく車で通ったと思いますよ。
いや、自転車でしょうか。
とにかく、3㎞ほどですから、近すぎて、「通う」というイメージが出てこないのですが。10㎞くらいでないと。
逆だったのですね。
「醍醐周辺を伏見に分類していない理由」
がこのあたりからわかります。
つまり醍醐は墨染からは山1つ越えれば距離的にはすぐなんですが、電車で行くと遠いです。
墨染駅~中書島で宇治線に乗り換え~六地蔵駅→結構な徒歩→地下鉄で六地蔵駅~醍醐駅
です。
絶対に山科からの方が近いんです。
そしてその間にある山が、どこかご存知でしょうか?
小栗栖です。
そのあの明智光秀が討たれた場所なんですね。
1つ勉強になったでしょうか(笑)。
そんなことでは、1級は・・・(笑)。
それと椥辻(なぎつじ)駅も、既に存在しています。
小野の1つ北側です。
http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka/e/5a3f97877f296adcd495657812493f8d
以前にもそういうのがあったように思います。
ですから京都の駅名もバカには出来ませんよ。
”鉄ヲ○”の試験委員さんでもおられるのでしょうか(笑)!
明智光秀が討たれたところは、滋賀県の山中だと思い込んでいました。
アマデウス会の扉を叩くには、まだまだですねー。
知力、体力、根性(昼御飯抜きは耐えられない)とも、二軍以下です。
現地を車で通ったからです(笑)。
勉強した知識というより、日常にそういう発見があるのが、地元民の利点ですね。
光秀が山崎から坂本へ逃れるときに、途中で農民に襲われ、竹で刺されて殺されたんでしたね。
場所は知らないですね。
墨染~小野もそうですが、山崎~小栗栖も、一度歩いてみたいものです。遠い昔と今とでは、まるで道など違っているのですが。
山崎~小栗栖は、取りあえずは、機会を見て、車で走ってみますよ。
歴史上のことを現代の場所に落とし込むことは、楽しいことですよね。時空を超えてという感じがします。
その時はそれが何か片が付かなかったのではないでしょうか。
あれはどうやら”肉髻珠(にくけいしゅ)”といって、悟りを開いた証に表れる徳相の1つだそうです。
洋泉社MOOK「 図説 仏像の本」 P22に書いてありました。
くれぐれも間違いがないように確認しておきますが、「僕はB派ではありません!」(笑)。
またまたB本買われてるじゃないですか~♪
素直になりましょう(笑)
先日本屋さんでチラ見したのですが、時間がなくて、購入してませんが、良かったですか?
庭園のような”溢れ出る興味”は、未だにないです。
しかし以前にも書いたように、昨今行く寺院はもはやB派のところばかりです。
なのに”Bの知識がない自分に苛立たしくなった”からです。
さて本の内容です。
まだ読み始めたばかりですが、かなり基本的なところから解説してあるので、初心者にはいいと思います。
しかしこの本の最初に
”仏像は知識に基づいて分析する必要はなく、感じなさい”と書いてもいます。
その通りなんでしょうけれど、”理論派”はそれでは納得できないんですね(笑)。
それともう1つ。
「そもそも、元気いっぱい、幸せいっぱいの人には仏像は必要ない」的なことが書かれていました。
そうか!
道理で僕はBに興味がない訳です(笑)!!
本日、長年の謎が判明しました!!!
そうだったのかぁ(笑)