コメント
 
 
 
不識庵 (ミッキー)
2012-10-24 22:19:35
不識庵、検索してみれば非常に有名な方でした。
しかし法号まで記憶されているとは、amadeus様はかなりの歴史好きですね。すごい。

気になったのですが、不識庵さんは、なにか黄梅院とゆかりがあるのでしょうか?
 
 
 
ミッキーさま (amadeus)
2012-10-24 22:37:07
>かなりの歴史好きですね
理系のくせにセンター試験は日本史選択で、90点以上取った人なので、それなりに”日本史好き”ではありますが、”戦国時代は異常”です。

16歳から戦国時代の本を読み漁り、今でも100冊以上の戦国関連の本が家にあります。

ただし京都観光にハマった36歳以降で、活動が停止しています。

ですから不識庵・・の世界の方が、僕のルーツなんです。
板東栄ニさんと野球みたいなものです(笑)。

>不識庵さんは、なにか黄梅院とゆかりがあるのでしょうか
恐らく”ない”と思われます。
でも奇しき因縁ではありますね。
元の黄梅院の持ち主、織田信長が気を使う程の人物(洛中洛外図屏風とか)であり、
次の持ち主である小早川隆景が亡くなって、この人の義息が五大老になっていますからね。
 
 
 
武野紹鴎が作った茶室 (あいる)
2012-10-25 00:47:24
茶室に趣向が多くでてくるのは、織部以降かと思います。
利休が作ったとされる待庵にしても、どこまでが利休の趣向かどうか、利休の後妻の連れ子である小庵が作ったとする学説もあり、利休より一世代前の武野紹鴎になれば....
また、いままで利休の動静を伝えていると言われていた「南方録」もいまでは、真偽が疑問視されていますし。
 
 
 
あいるさま、少し教えて下さい (京極堂)
2012-10-25 03:46:35
初めまして。古本屋(?)のオヤジです(笑)。
織部は利休没後、すぐに茶の世界の牽引役になったのでしょうか?彼は所謂桃山文化といわれる時代の中の分水嶺だったのでしょうか?「わび・さび」から「バサラ」さらに寛永文化の「綺麗さび」へと変化する中で、とても重要な役割を果たした様であり、利休と対地されますが、やはり扱いが少しちいさいですよね。織部に関して、あいるさま御自身のコメントと参考文献など教えて頂ければ幸いです。
ある方から、あの時代の建築でも豪奢なイメージばかりでなく、時代差があることを教えて頂きました。当然といえば、それまでですが、自分の中で桃山文化の中の画期というものを強く意識する様になりました。
茶室の中では「織部以降」がキーワードとなりそうなのですが、茶陶を含め興味深いものですね。
 
 
 
著作権 (WAN)
2012-10-25 06:53:24
五右衛門の件、初耳でした。命日を逆に貼ると盗難避けなんですね。


ところで、著作権繋がりですが、たまにお寺で著作権上写真撮影禁止という貼り紙を見ませんか?なんとなく納得してしまいますよね。

しかし、ごく簡単に書くと、著作権は作者が亡くなって50年経つと保護期間はなくなり、消滅します。仏像なんかは50年どころか、500年でも消滅しますよね。仏像好きならわかりますが、仏像は作者もほとんどわかりませんし(笑)
なので、実際主張すべきは、寺社等の所有権上の権利なんです。つまり、所有者の許可をとらないと写真をとらせないよということです。
よって、本来は所有権上と書くか、法律用語を使わないのなら信仰上とか文化財の痛みなどと書かれたほうがまだしっくりきます。著作権とは全く関係ないのです。
まあ、実際は絵はがきとかが売れないと言うのが大きいです(笑)、それに所有者側がパチパチ写真とってるのに信仰上といわれても説得力ありませんし(笑)、フラッシュさえ使わなければ文化財もほぼ痛みませんしね。
まあ、たいした違いはありませんが、私的に著作権という書き方に違和感があり気になったので(笑)
 
 
 
四君子苑について (りか)
2012-10-25 08:37:26
はじめて。一昨日から1泊2日で京都に行き、泉涌寺舎利殿と四君子苑に行って来ました。こちらで目にしなければ、行くことはなかったと思います。ありがとうございました。四君子苑が、期待していた以上に素晴らしく、2000円の拝観料が安く感じるほどでした。あまりの居心地の良さに、2時間くらい滞在しました。来年の春も行きたいのですが、公開時期は決まっていますか?ぜひ教えて下さい。
 
 
 
りかさま (amadeus)
2012-10-25 08:52:25
初めまして。
四君子苑ですが、索引から探して洛中内の本編に毎年の公開時期を記載しています。
また北村美術館のHPにも、3か月前ぐらいから掲載されます。
 
 
 
京極堂さま (あいる)
2012-10-25 20:14:00
京極堂さま
はじめまして。
まず当方、茶道の世界に関する知識は、色々な先達の方々のお話や書籍、関連ネット情報などが、未整理のまま頭の中にある状態で、素人見解の域をでず、確固とした裏付けを持ってご説明できる立場にありません。まずは、このあたりのこと、ご理解ください。ただし、茶道の世界は、どこまでも深くどこまでも広い世界として、大いなる関心を持ち続けてはいます。
織部は、利休の後継者であり破壊者でもあると言われているところが面白い存在で、いわゆる「わび茶」と「大名茶」の、まさに「分水嶺」。もし、扱いが相対的に小さく見えるのでしたら、お道具や茶室設計としての評価にとどまり、前者の千家流、後者の遠州流や石州流など、茶道の家元・流派としての継承が、相対的に大規模でない?のが一因かも。
なお、古田織部についてのオススメ書籍は、残念ながら、教えてほしいくらいです。月並みですが、NHKでも放送されていた「へうげもの」は、史実も踏まえられており、専門家の評価も高く、初心者の方でしたら、おススメの書籍なのですが。
 
 
 
あいるさま、ありがとうございました! (京極堂)
2012-10-25 23:58:32
突然、不躾に質問したにも拘らず、早速お答え頂きありがとうございます!
…後継者であり破壊者…、そうですよね、経験があってこその次の創造ですものね。突然やって来るものではないですよね。
流派の継承規模(形態)ですか…確かに、当事者の目線で語られるものが無ければ、第三者には分かりにくくなることってありますよね。ある意味、織部はもっと語られるべき存在なのでしょうね。
過去に読んで、咀嚼出来なかった茶道史が、少し理解出来た様な気がします(笑)。そして織部に一層興味が湧きました。また、機会がありましたら、ご教示下さい。
 
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