城郭 長谷川博美 基本記録

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衝撃!驚異の城郭新研究論 ビイスタ工法

2022-05-18 19:57:36 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

衝撃!驚異の城郭新研究論 ビイスタ工法

城郭  新研究研究の根源は温故知新と謙虚冷静

 

◆長谷川

この投稿の最後に衝撃的な投稿があり是非

順次城郭研究の方は読み進めてください!

安土城天主台と小里城天守台に関する事!

 

◆質問者

塩津岩熊城山城って簡単に行けるのでしょ?

 

◆長谷川

昔からバスに熊が激突する事故が数例報告さ

れてます野生獣の通過地点で城山への安全な

登山経路は現地表示されてません。この峠は

岩熊坂やのくま坂と呼ばれる急峻な難所です。

今回の見学の為に調査も含め7~8回登山して

最も登山に安全で楽なルートを再三再四確認

する下見を入念に繰り返して準備しています。

◆対談者

令和4年5月21日ウッディパル余呉の

城郭フォーラムは信長、秀吉、光秀

等の名だたる名将も訪れた奥琵琶湖

の素晴らしい幽玄な景観を期待して

います。また丹羽長秀軍の岩熊山城

を見学して新発見の城も2城見学まで

見学、戦国フアン賤ケ岳古戦場フアン

必見見学チャンス機会だと思います。

 

問合せ先

予約先 ウッディパル余呉 城郭係様

☎ 0749-86-4145 火曜日休業日

日時 令和4年5月21日 土曜日

講師 歴史城郭研究家 長谷川博美氏

集合 ★JR木之本駅西口★ 午前10時

   西口 無料駐車場 あり

 

▼地理的立地条件

 

◆質問者

今回見学する岩熊城山城の城址として魅力は?

 

◆対談者

山頂を一周取り巻く異形な塹壕の異様さです。

土塁や土橋や複数の虎口も見事な縄張りです。

凄く軍事緊張感が強烈な生々しい現場の城跡!

 

◆長谷川

並び虎口と言う特殊な虎口を2か所用いてる!

 

◆質問者

その並び虎口は日本の城で他にありますか?

 

◆長谷川

丹羽長秀の子息、長重や江口氏の名城、白河小峰城

には並び虎口が古図に見えます。極めて珍しい形式

珍しい形式の虎口が岩熊城にある事は非常に重要!

▼白河小峰城の「小」がぬけています。スミマセン。

◆長谷川「特別進呈品」

これは、私、個人からですけれども、、

先着予約12名様には賤ケ岳合戦北伊勢

方面の著名城郭、峯城長谷川博美特別

資料集を無償で進呈致します。速い者

勝ちと言う事になります。12名以外の

方々にも私の講演資料『近江と源頼朝』

の資料を慎んで進呈しますので宜しく

秀吉と賤ケ岳から出撃する丹羽長秀▼

◆質問者

塩津岩熊城山城と丹羽長秀と関係あるの?

方や日本城郭史上に燦然と輝く近世城郭の

根源ともいえる石垣城郭の金字塔が安土城

では築城総普請奉行まで務めた丹羽長秀の

安土城と長浜市西浅井町の岩熊城では全く

関係無いでしょう!何かピンと来ません!

 

◆長谷川

丹羽長秀は安土城総普請奉行を信長から

任命されたあの五郎左衛門です。織田の

五郎左見参と叫べば織田家中で知らぬ者

なしの織田家重鎮と言える人物ですよ。

賤ケ岳合戦でも賤ケ岳城に五郎左着到と

琵琶湖の早船上で大音声で叫べば如何に

鬼柴田、鬼玄番佐久間盛政でも動揺した

秀吉の大軍を迎えて賤ケ岳で大勝した人。

 

◆質問者

安土城と岩熊城の縄張の共通点あります?

 

◆反論者

そんなもん!絶対にある訳ないじやろが!

安土は石垣の城、岩熊は土の城じやろが!

 

◆対談者

安土城と岩熊城にもし共通根があったら?

 

◆反論者

そんな物絶対にある訳ない!

俺は別の先生の説を信じる!

 

◆対談者

何時の時代も否定論者が研究進展を妨げる。

 

◆反論者

そんじや?お前安土城の天主と岩熊城主郭

に縄張の共通点があるんなら言うてみいや!

解説出来るもんなら説明してみいや!それ

解説したらアンタは城郭異端者じやなくて

おそらく正真正銘日本一の城郭研究家だろ!

▼安土城天主台現地説明看板に加筆

◆長谷川

私の城の先生は城なので私は城を検討します。

先ず縄張をする人は縄張をする人の職人集団

や技能集団として類似した傾向の作風を作る

習慣がありこれを観察する事が城郭構造を知

る為の重要事項です。以下は安土城天主台の

中央ビイスタ縄張として1は曲折する天守登

閣路が現在も残ってます。天主中央から234

と順次縄張しています5は天主の南北方位軸

を決定する正中の中軸腺です。6789 10 11

 12と縄張していますね。

◆長谷川

次に長浜市西浅井町岩熊城山城の主郭部中央

に存在するビイスタ構造線を検討いたします。

以下岩熊城主郭部の中央ビイスタ縄張として

1は曲折して郭に入る竪堀状路が現在残ってる。

主郭中央から234と順次縄張しています。5は

主郭の中心軸を決定する為の正中の中軸腺で

す。6789 10 11 12と縄張しております。

中央ビイスタの理論の観点から言うと両城

は姉妹城郭とも言えます。

◆金太郎様「匿名」

これはショツクです!私の脳は安土と岩熊

は全く関係ない城だと脳内にスイッチが入

って修正不可能ですよ人間は両者を最初か

ら比較研究する意志や静客観性がなくなる

一も二も無く拒絶し否定しようとする思考

が脳に働くそこで研究と真実の追及は終了。

◆対談者

学問とは暗記でなく考察や検証だと思います。

▼安土城と岩熊城 これ姉妹城郭に相当する。

 

▼岩熊城 扇形城郭ビイスタ工法の一部

                並び虎口▲

◆長谷川

岩熊城の並び虎口は丹羽長重築城の

白河小峰城の古図にも存在している。

◆みんな

衝撃です!長谷川先生の城郭構造解説には

寒気と鳥肌が立つほどにショックを受ける!

これ塩津海津方面に賤ケ岳合戦の為に布陣

した丹羽長秀長重家中の非常に優秀な武将

の陣城だと思います!解説に衝撃を受けた!

5月21日岩熊城見学会は絶対見落とせない!

 

◆一般様

すごい!安土城と岩熊城の陣形が酷似して

いるなんて、んなに、エライ先生も看破は

出来ない!長谷川先生は城郭の金田一耕助

の様に飄々と城郭構造の深淵を解説される。

我々一般人とやはり城の視点が違うんだよ!

 

◆対談者

みんな考えても御覧なさいよ!現代は松原

には松原内湖が埋め立てられて残ってない

現代人は現代バイヤス「固定概念」固執し

た松原内湖の事などは、全く考えない従っ

て松原側から玄宮園に向けてビイスタ工法

が施工されていたなんて誰も考えない訳よ。

◆長谷川

 冷静にお願い致します。仮にも丹羽長秀

は安土城総普請奉行で子息丹羽長重は棚倉

城、白河小峰城を築城した優れた築城術を

した人物また伊達政宗が名城と名高い丹羽

家の白河城(白河小峰城)の近くを通っ時に

政宗は「わしならこの程度の城、朝飯前には

潰す」と豪語したが、腹心の片倉小十郎

「この城には江口三郎右衛門という高名な

武者がおりますので、昼飯まではかかりま

しょう」と諫めた。(『白河古事考』)

丹羽家の築城術や江口氏の武人の才腕力量

を決して歴史家は無視する事は出来ません。

 

▼城郭ビイスタ工法動画

 

◆反論者

お前の言う事は確かに驚くべき解説じやが

しかし、丹羽長秀の子息、丹羽長重の棚倉

城にお前が提唱する城郭ビイスタ工法存在

するか?いい加減なデタラメの異端者めが!

 

◆対談者

長谷川先生は異端ではなく純粋な無名研究家!

 

◆長谷川

それでは丹羽長重の棚倉城の城郭ビイスタを

古図からその設計構想を考察いたしましよう。

 

▼大手方面からの棚倉城 扇形ビイスタ工法

 内堀の堀の形状もビイスタ工法で作られた。

▼西 二の丸方面からの 扇形ビイスタ工法

 内堀の堀の形状もビイスタ工法で作られた。

▼ 棚倉城 本丸中心からの 中央ビイスタ工法

  中央から城郭の要所にビイスタ腺が貫通する。

◆長谷川

丹羽長重の棚倉城プロジエクトの起源その先例

は天正4年起工の天正の安土城の中央ビイスタ

工法は搦め手からの裏ビイスタ工法と大手から

の表ビイスタ工法の手法の丹羽家の伝統を継承。

◆長谷川

安土城天主の中央礎石は現在存在しません。

堂塔楼閣の鎮壇具なども発掘されています

ので相当に重要な安土城のセンターポイト。

 

◆みんな

すげえーよ!長谷川先生!城郭ビイスタ論!

これ城郭研究論の本物だ本道だよ!驚愕だ!

 

◆反論者

そんなものが何だ!こちとら日本の城郭の

歴史と城郭の伝統を受け継いだ有名な城郭

の先生を先生として城郭を学んで来たんだ!

長谷川の城郭ビイスタ論なんざあ異端者だ!

安土城の城郭ビイスタ論なんざ絶対認めん!

地球が丸いなどと誰が言った絶対に認めん!

 

◆皮肉屋

批判上手は世の中をスイスイ上手に巧みに

泳いで生きてる正直者とは常に馬鹿を見る。

 

 

 

 

 

◆長谷川

批判否定される事は何十年に渡り慣れてます。

興奮なさらないで下さい。怒らないで下さい!

何も私だけの長谷川ワールド感情で扇形城郭

ビイスタを朱線で語っている訳じやないです。

肥前天草富田城にも朱線で当時の古図作成者

がビイスタ工法を書き込んでいます。私の研究

は極めてトラディショナルな伝統的な手法です。

何も異端や「とんでも論」を述べているつもり

は毛頭ありません純粋な温故知新の基本に忠実

従って研究してる平凡で素朴な城郭研究家です。

▼長浜市国友鍛冶屋敷に中央ビイスタの朱線を認める。

 これは家相学や風水学などに準拠したものであろう。

▼江戸の享保年間にはビイスタで城を測量している。

◆長谷川

私は極端な研究論や研究の論述をしたくは無い

昔日から継承されてきた日本の伝統城郭文化論

として城郭ビイスタ論をただ冷静に飄々と語る

平々凡々な人間であり一般的『温故知新』の人。

 

私の城郭の先生は人間じやない

現地の城跡こそが私の先生です

従って現実とは厳しいものです

現実の城は派閥も論争も牽制も

全くない城を忠実に素直に見学

する真心の一期一会の城址見学

◆忖度者

長谷川さんの城郭研究は正直言って長念異端の

研究家と思っておりましたでも城郭ビイスタ論

は古図資料にも見えます。と言う事は長谷川さん

は異端者ではなく日本の城郭論の伝統的な系譜を

継承している正当派の日本城郭研究の本道たる人

だと言う事になる。私こそ長年にわたり城郭道を

踏み間違え城郭ビイスタ論を否定してきた愚物?

とにかく令和時代の城郭ビイスタ論を学ぶべき事

日本の城を学ぶ人々にとり重要な眼目と言ます!

▼兵庫城のビイスタ工法

▼兵庫城と兵庫湊の総合ビイスタ工法

◆岐阜県在住者様「匿名」

岐阜県瑞浪市には小里城と言われる多角形天守台

が存在する特殊な城郭があるのです。池田恒興や

織田信長とも関わり深い城郭と考えられています

が正直、以前、池田恒興の兵庫城の長谷川先生の

ビイスタ工法に関して私は強い衝撃を受けました。

我らの小里城にも安土城の様な天守ビイスタが?

 

◆長谷川

   文献

私は『信長公記』の講師を長年、名古屋と米原で

勤めさせて頂きました。そう下記天正2年の記録に

 

(信長公記 巻七「明智の城いゝばさま謀叛の事」)

高野の城御普請仰せ付けられ、河尻与兵衛を

定番として置かれ、おりの城、是れ又、

御普請なされ、池田勝三郎を御番手にを

かせられ、二月廿四日、信長御父子、岐阜に御帰城。

とあります。

池田勝三郎=池田恒熾の事です。

おりの城=小里城の事です。

御普請=城の土木工事の事です。

 

◆長谷川

小さな安土城天主とも言えるような小里城石塁

非常に進取で斬新な小里城の石塁の縄張りです。

◆長谷川

石垣には「縄たるみ」呼ばれる湾曲が存在する。

この石塁を私は天守か曲輪かの明言は避けます。

◆質問者

この「縄たるみ」をどの様に縄張していますか?

黒部第四ダムの様な力学的アーチ式を採用してる?

◆長谷川

123456と縄張して石垣腺と縄張腺がズレている

場所を「縄たるみ」にし石垣壊れない工夫です。

 

◆長谷川

安土城天主穴蔵も天主台の外から123456と縄張

りしています8と9は穴蔵内の対角線であります。

 

◆長谷川

丹羽家は対角線「筋交い」を旗印としています。

▼丹羽長重画像

▼安土城天主台は小里城より更に複雑に

 123456789とビイスタ工法を用いて

 多角的な縄張を施工しております。

さて

小里城の図面を観察すると虎口の入り口が狭く

虎口の内側が広い極めて歪な形状をしています。

北から見た石垣の面「ツラ」は歪を呈している。

赤色は真北からの放射状ビイスタ工法腺ですね。

青色の石段段もビイスタ工法を採用しています。

▼規矩術の実際 曲尺は長谷川博美本人の使用

◆長谷川

幾何学は中国から渡来してた矩術「きくじゆつ」

と呼ばれる伝統的な幾何学で、角度を出す装置。

幕末の長州の学者、吉田松陰が佐久間象山への

手簡で日本の城郭には「規矩備わり」と書いて

ます。これ即ち日本の城郭は幾何学と言う事。

 

▼安土城天主階段付近にもビイスタ工法

を用いて施工しています。これを規矩術

と言います。1234567のポイントに存在。

◆長谷川

またAポイントは下図の様に安土城主殿群の

ビイスタ計測の重要な測量中心とも言えます

 

 

さて安土城天主台と同様小里城主郭中心部から

中央ビイスタ工法を先ず読み取る事が可能です。

簡単な表現すると城の中心を瞬時に読み取る事!

中央ビイスタの法則から言うと安土城天主台の

縄張と小里城の縄張の系譜は同じDNA同じ系統。

 

 

◆長谷川 扇形ビイスタ工法

次に赤腺と青腺の扇形城郭ビイスタを順次読み取る。

 

◆長谷川

織豊系城郭とは織田信長と豊臣秀吉に関係する

城郭の識別呼称。従って秀吉も鳥取城攻めの時

の自分の陣城「太閤ケ平」城の縄張もビイスタ

工法を勿論採用しています。これを読み取る事!

此れ読み取れる人が城郭研究家と言えましよう。

 

◆ある匿名者の独白

私達が長谷川先生の城址見学会や城郭講座へ

参加する理由は?先生の城郭平面の解説能力

の力量です。自分が信奉する先生の社会的な

肩書や役職に捉われていると、人生において

城を見学する眼力は養われない。城カタログ

や城目録に踊らされて何千城を探訪して巡る

事は気分転換や人生をエンジヨイする行楽や

観光として非常に価値が高い趣味として崇高

と尊重しますが私の個人の城見学の価値観は

万人が気付かない事を解説されて納得した時

の喜びは城郭の深堀で深淵と言える本物です。

昔大流行した流行バードウオッチングは今は

各地の野鳥観察所が閉鎖して鳥類を観察する

学問の場は市民の間から薄らいでます。城は

一時的な平成令和のただの社会現象流行なの

でしようか50年も城郭に取り組んできた先輩

が城郭ビイスタ論も理解できない様では虚無

的になります。城を見る慎重さや城の見直し

を今一度大切にすべき時節と強く感じてます。

 

◆長谷川

藤吉郎は太閤秀吉となってもやはりビイスタ工法

九州の肥前名護屋城で城郭縄張基本ビイスタ工法


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2 コメント

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Unknown (匿名)
2022-05-16 17:08:41
小里城の天守石組を軽々と城郭ビイスタ論で解説される長谷川先生の力量が圧倒的です。私は小里城の解釈
は全く何十年も解らなかったので大変に驚いています。
返信する
Unknown (今頃覚)
2022-05-15 16:44:54
異端者として語られていた人が実は本物であった事に
衝撃を受けています。城を冷静に観察する事の大切な
教訓となりました。城って軽々に語れないものです。
返信する

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