▼令和4年から令和5年の御案内チラシ
◆長谷川 この投稿は下記の再編集投稿です。
2021/10/13 14:09:41
▼のなみん様「匿名希望」
長谷川先生は彦根市西沼波町に住んでおられた
事もあり彦根城や彦根への愛着がよく表現されて
います。彦根城観光は彦根と言う地域にとり必須
の観光ポイントです。彦根城まだ見所が、多数眠
つている事をブログを見ているとよくわかります。
このような姿勢やスタンスは彦根への再訪を呼び
かける、彦根市への「リピーター作りには貢献」
して、おられると思います。以前ブログ「佐和
山城のいくえ」大変な人気を博しておりました。
◆一般様
デープ観光って何ですか?デープ観光の定義は?
◆対談者
一般観光ルートのような軽いサクサクザックリ
した軽いノリじやなくて見学する特定の場所を
より的確に正確かつ学術的にウンチクをも含め
てより詳しく深く丁寧に見学する特化した観光
がデープ観光と呼ばれております。長谷川先生
の場合は学門的生涯学習と定義されていますが
今回の余呉の6箇所の砦見学は織田信長の直属
の部下達、金森長近、不破勝光、徳山秀現や
原彦次郎等の信長の傘下に属した当時のバリ
バリの合戦や築城に関してプロ集団が築城した
珠玉の6砦です。だからその現実のバリバリの
砦を丁寧に見学したいと言うのがデープ見学!
参加される人は当時の砦の土塀の跡がマザマザ
と残っているのを実際に見て驚愕される訳です。
これが正にリアル!現実重視のリアル見学会。
▼過去のチラシです注意して下さい!
▼彦根城 内堀 中堀 横矢めぐり▼
◆一般様
彦根城の観光や城観光の深さ彦根城の観光
通の人々の彦根城見学の仕方が一味違う事
を痛感再認識したわ、やはり彦根松原側か
ら彦根城が設計されてる事は人生で一度も
教えられた事のない衝撃的な内容でしたよ!
◆みんな
ちよっと待ってよ!教えられた事聞いた事
は本当は二流で二次的な物じやないのです
か?試験に合格する優等生と新しい事発見
開発する研究者とは前者は事務的で後者は
考察研究気付き型のタイプの人間と言える。
例えばね!図書館の本を全て丸写し複写し
会話したり新聞記事を丸暗記して朝礼で引
用して所詮は「丸写し」「丸暗記」ですわ。
そう言う事はコピー機複写模倣人間ですよ。
人間は考える葦である。考える考察するか
ら人類は発名し発見し社会発展して来たの
我々「みんな」は長谷川先生と城址に行っ
も常に城址を熱心に見て考察して勉強する。
これからの時代は深いデープ観光の時代よ!
深堀の時代へ移行すると思われます。
◆反論者
くだらないバカバカしい投稿誰が見るか?
◆長谷川
くだらない記事と思わないで下さい!
城郭見学にとり「あなどり」軽視精神
が城址を見学する時の最大の致命傷に
なります。今回の記事は城址見学する
人の資質の問題です。どこに試験が潜
んでいるのか最後に解ります。これに
合格した人は100点軽視して侮った人
は中世城郭遺跡の見学においても欠点
でしょう。
現在の彦根城の内堀と中堀に設定されて
いる横矢掛かりを順次見学して行きます
先ずは中堀でいろは松の南にある横矢を
見学しましよう。いろは松、に見とれて
つい、見逃してしまう隅櫓台の遺構です。
▼ ★東から見ると天守は小さく▼見える
是は天守が南北から見て栄える南北栄えだからです。
堀際に近ずくと明確に今も残っています。
この櫓は佐和口門に侵攻する外敵に向け
追い矢つまり背後から射撃する構造です。
▼佐和口に侵攻する外敵の背中を攻撃。
▲いろは松自体は元来佐和口や天守閣を
敵から見透かされないようにする為の
翳「カザシの植え物」だったのでしょう。
▲目隠し/遮蔽用
佐和口門に入門する前に必ず気を付けたい
横矢は佐和口多門櫓がわざと故意にずらせ
て横矢を二重に設定している用意周到さに
注意しましよう。石垣の下には、犬走りも
観察する事が出来ます。これ見逃したら
城見学ではなく、城旅行と言う事ですね。
▼佐和口に侵攻する外敵に横矢で狙い打ち!
さて馬屋や表御殿の土塁を見学するのも
良いのですが、鐘の丸から降り降り降る
登塀石垣や竪堀も是非とも見学致します。
▼
▲よく鐘の丸の石垣を観察すると「しのぎ積み」
と言う鈍角な石垣技巧が伺えます。中世城郭で
は野洲の小堤山城にも「しのぎ積み」が残って
います。勿論安土城天主台の隅石にも残ります。
▼近江篠原、小堤山城の「しのぎ積み石垣」
▼彦根城鐘の丸「竪堀」と「登り石垣」「登り塀の跡」
表門枡形横にある一重櫓台の横矢もあり
鉢巻石垣腰巻石垣も是非見学しましょう。
とくに表御殿門枡形に続く橋脚は故意に
斜めに架橋されています。これは表御殿
の土居から横矢を掛ける為と思われます。
橋脚の橋詰の下の橋台の石垣も観察しま
しよう。
▼
鐘之丸は特に堅固に作られており内堀
には横矢の石垣が見事にギザギサ屏風
の様に配置されています。腰巻石垣と
鉢巻石垣と連続横矢を取り入れた見事
な彦根城第一の要害とも言えましょう。
写真に写っている石垣の上にも空堀や
さらに石垣を堅固に構えて二重三重の
要害を構えている様子が理解できます。
▼
鐘之丸南にある屏風折れ状の横矢
▼
鐘之丸南にある横矢と腰巻石垣
▼
暫く行くと大手門の橋と大手門口石垣
が見えてきます。橋脚に侵入する外敵
に横矢を掛ける為の堅固な多聞櫓石垣
も橋の向うに左手に見えます。橋の右
にも横矢も含めた石垣も見えます。橋
脚の橋詰の下の橋台の石垣もキッチリ
と観察しましましよう。
▼
大手門の左の多聞櫓石垣の裾には犬走
も見えますし右端には横矢も見えます。
さて大手門枡形の北上には鐘之丸主郭
が聳えて見え、画面左には登り塀石垣
その右に竪堀を観察する事が出来ます。
▼
私が現在歩いている場所は彦根城
の山城部の南裾を歩いています。
さてこの辺で山崎丸三重櫓、天守閣、
そして太鼓丸天秤櫓も仰ぎ見て見学
しましょう。これらの役目が彦根城
の南から見て栄えて見えるという事
はこの城が南、つまり西国「残存豊臣
勢力」に向けて威厳と威嚇を標すよう
な縄張りになっている事を暗示してい
ます。
▼西の丸三重櫓 ★これは天守級の立派な櫓。
▼本丸天守閣 真南から望む天守閣は荘厳です。
▼太鼓丸天秤櫓 ★双頭の櫓が力強く映えてます。
さて私は内堀の南から山崎郭の南へ
と至り、山崎丸南の横矢を撮影して
います。この辺民家もあり私有地へ
の踏込は常識として避けて下さい。
▼山崎郭南の横矢
さて今度は中堀の南へと進路を変えて
順次、横矢を観察したいと思います。
▼これは横矢折れです。石垣裾の犬走も注文。
▼これは櫓と横矢が右にあります。犬走りも
緻密な本当に良い仕事しています。
▼これ京橋口門口渡橋を狙う厳しい順横矢です。
▼これは京橋からシャトレーゼさん
方面を撮影したもの横矢があります。
▼はっきりと中堀の隅櫓台が見えて
来ました。このあたりは彦根東高の
東南に該当致します。
▼このあたり聖ヨゼフ幼稚園のあたり
彦根東高校の東側に相当する横矢見事。
▼大分歩きました。再び元の佐和口門
へと戻ります。そして今度は城山の北
の内堀にある石垣の横矢を見学します。
▼表御殿の北にある門跡の石垣を観察
します。あります、あります、微細な
横矢三尺石垣がづれて神経質に横矢を
作っています。見落と▼さないで下さ
い。本当に繊細な良い築城しています。
▼さらに城山の北裾の内堀を歩きます。
黒門口の石垣が見えて来ました。これ
も順横矢と呼ばれる敵の左側面を突く
横矢です。残ってます、残ってます。
現代の黒門口は土橋になっていますが
明治の古写真では架橋になっています。
▼更に内堀を山崎郭に向けて進みます。
あります順横矢です犬走りも見逃さず
▼更に更に山崎郭「西」方向に進みます。
あります。あります。順横矢ですね!
ここも犬走り見逃してほしくないです。
▼更に更に更に山崎郭の西面に到着する
とかってここには三重櫓が存在したと
される場所です。その櫓は長浜城天守
だったとも伝承されます。おきな櫓台
で石垣も堅牢です。木俣土佐守が普段
生活していた、土佐殿郭とも呼ばれて
いました。彦根藩において木俣土佐守
は西の丸三重櫓や山崎丸三重櫓も管理
していましたので木俣土佐は実質大名
級と言えます。
▼横矢の掛かる大きな櫓です。いやこれは
もう天守級の堅牢な石垣で固めた櫓台です。
▼今度は珍しく金亀園、玄宮園の方に回り
横矢を撮影してみました。
本日の私の横矢遠足は12813歩でした。
距離は8.9Kmです。おなか空きました。
また城見学の御仲間の皆様と会える日が来
る事を楽しみにしてます。その節は宜しく。
そして全く出会った事のない新しい御仲間
と楽しく語れる機会がある事も希望します。
以上 歴史城郭研究家 長谷川博美
さてさて最後にあなたに質問します今回の
記事でどの写真に貴方は興味を感じました?
▼これや
▼これや
▼これや
▼これと言われる人は?
以上写真に興味を感じたら貴方は中世城郭
研究家として近世城郭研究家として超一流
興味を強く感じた城址見学愛好家様も一流
▼安土城八角平
▼観音寺城 伝布施淡路丸
▼佐々木六角方 和田山城
それに対して何だ!それくらい
くだらない,些細な事を言うと
思われ反発された人の心の中は
見なくてよい、省略してよいと
言う、倦怠の心が潜んでいます。
世の中に省略して良いと言われ
簡単に軽薄に従う人の多い事か?
自動車教習所で本当に良い先生
とは!踏切で、十字路で本当に
安全確認した人を合格とします!
この記事を読んで不快に感じる人
は城址を見る人ではなく観光の人
と思います。城址観光も城址見学
も互いを理解し仲良くしましょう!
時々中世城郭には絶対微細な横矢
など無いと言い張る人がおられて
その言にハイハイその通りと合点
する人の何と多い事か長谷川自身
が城址を詳細に見る人間ではなく
元々城址は繊細に作られている事
を認識してください。令和はもう
ブラウン管でもハイビジョンでも
ない。それ以上の繊細な画像社会。
とくに後半を是非
読んでみて下さい
初心者 長谷川
専門的な知識など皆無ですが、築城時の石垣を見るのが好き。
うら若き頃(笑)、石垣を見て何が面白いのと友人たちに笑われましたが、でも「良い」んですよね。
何がどうなんて言えないけど、石の表面を撫でていると、そこに展開された物語を語り掛けてくるような気がして。
そう言うと、友人から「変な奴」認定されました(笑)