ヒロさんの旅記録

60歳からのバックパッカー、海外行き当たりの旅

ビシュケクで静養そしてイスタンブールへ発つ

2013-10-18 | キリギス

10/10~15
10日早朝、ビシュケク西バスターミナルへ到着
ビシュケクに着いても腹の調子が悪い、多分食中りだと思う、そこであまり動き回らずここで静養することにした

サクラGHの屋上から雪を頂いた天山山脈系が見える

このドミトリー部屋で6日間滞在することになった
幸いにもこのサクラGHは部屋やトイレは清潔できれいだし、日当たりもいい、近くにスーパーなどがあり、キッチンや冷蔵庫もあり自炊が出来る
少し良くなってからはスーパーでご飯と卵を買ってきて、卵かけおかゆを作ったりした
イシク・クル湖周辺にに行く予定だったが体調を整えるのが優先でやむなく断念、歳の成果、回復が遅い
結局、10日~15日は完全静養、前半3日は断食状態だった
オシュバザール
少し良くなってからオシュバザールへ行った

キリギスは金額表示が多い、助かるよ

ウズベキスタンより民族性を感じるね

初めて実際のロシア正教を見た


ここビシュケックでは結局3度も警官に呼び止められ身体検査された、私服2度、制服1度、私服は本物かどうか怪しいけど、ウズベキスタンでは1度も無かった

10/15 夕方、空港へマルシュルートカで行った
早朝5時半の飛行機でイスタンブールへ発つため、空港泊だ
歩き方に載ってるオシュバザール近くの空港行き停留所の表示は少し違った
実際はチュイ大通りではなくガンジー大通り側に停留所はあった
空港まで40ソム
空港の売店は市内の倍以上の値段だ、それに食事らしいものはないスナック・お菓子類が中心だ
予想はしてたが予想以上に高い
市内で少し買い込んでたので少しは助かった
ここで寝た
空港のイスで2~3時間を仮眠を取った、何人か寝てるので心強い、人が少ないので足を伸ばして寝ることが出来た


ビシュケク、ブラナの塔

2013-10-01 | キリギス

9/27
ブラナの塔に行くには東ターミナルからバスでトクマクに行き、バスを乗り換える
トクマクで乗り換えのバスを待ってる間、市内を散策した
文字が理解できないので正確には分からないが、塔や看板を見た限りでは共産圏的なイメージがまだ残ってる町だと思った
トクマクの町
私のイメージする共産圏の塔や旗や看板だ

しかし昔ながらの興味をそそる木造住居にも目が引かれた
多分ロシア製の自動車だと思われるが、オールデイズ的雰囲気があり、ジャンク好きな私にはこれまた興味をが湧いた


トクマクの住居
当初、トクマクのバスターミナルで降りたとき、ブラナまでのバスはないと言われタクシーを勧められたが、本数は少ないがあることが分かった
やっとブラナ行のバスに乗れたが、ブラナの塔には殆ど人はいない、天気も悪かったが寂しいものだった
ブラナの塔
正直言ってわざわざ乗り換え、時間を掛けて行くほどの場所ではないと思ったがしょうがない
しかし帰りは苦労した、帰りのバスがいつまでたっても来ない
後で気づいたが、バスは一つの方向だけで回ってて、逆方向の帰り便はないのだ、多分バスターミナルの係員のおばちゃんが一生懸命説明してたのはこの事だと分かった時にはすでに遅し
仕方なくヒッチハイクで途中まで行き、そこからタクシーでトクマクのバスターミナルまで戻った
トクマクの住居



ビシュケクに着いたときは日も暮れ始めた、サクラGHに行く暗くなった路地の途中で私服の国家警察官らしき人に止められた
身分証を見せられたがよく分からない、パスポートを見せても納得しない、暗い所なので明るい人が多い所に行こうとしたがとめられた
身体やバッグの検査が終わってもまだ納得しないので、少しやばいかもと思いながらサクラGHまで行ったらいなくなった
多分ロシア製の車
ジャンクぽいのがいいね!

サクラGHに預けてる荷物を取り急いで西バスターミナルへ行った、今夜のバスでシムケントに発つ
西バスターミナルは少し閑散としてるが両替所(周辺国の通貨も可能)や売店(少し高い)など一通り揃ってる
トクマクの住居


ビシュケク

2013-09-30 | キリギス

9/26、昨夜乗合タクシーでビシュケクへ移動、当然私以外は現地の人、車はトヨタのエスティマ右ハンドル、多分日本からの輸入中古車だろう

エンジンを掛けるときなど、日本車によくある女性の声で“カードが入ってません”的なことが流れた、私は思わずジャパニーズと発したら周りが納得したような声がした

移動中、CD音楽をがんがん掛けてたが、それが結構最近のUSAヒットソングが流れたので私も最初はノリノリだった、最近のUSAソングは素晴らしい、自宅ではいつもFENを聞いてる

しかし隣に座った赤ちゃんと子供が一晩中泣きっぱなし、ようやく寝たと思ったら足は私の方に投げ出すし、隅に追いやられ窮屈な状態のまま朝を迎えた

早朝、ビシュケクへ着いたが、どこに着いたか回りも説明できない、通じない、分からないまま歩き回ったらオシュバザールの近くだと分かった

この時思ったが、某大手旅行書では地図にカタカナでオシュバザールと書いてあるが、もしロシア語などでかかれてたら問題はとっくに解決してた

西バスターミナルに着くと予想してたが外れた、とにかく現在地が分かれば何とかなる、西バスターミナルまでは歩いていける距離だ朝も早いし焦ることはない

西バスターミナルからサクラGHまでのバスの情報はあるのでこれで一安心

目当てのバスに乗ると案内などは全くなく(あっても分からない)窓は低く小さく外を覗きにくい、地図を片手に何とか外の交差点などを確認しながら最後は勘でバスを降りた、場所は的中した

サクラGHは私が滞在したGHの中では少なくともベスト3には入るクールな宿だ、特に清潔さすが素晴らしい、さすが日本人が経営してるだけはある

中央アジアの首都はソ連の影響で中心部はどこも道路が広い、ここビシュケクもそうだ、また権力を象徴するような建築物も多い

そんな重厚な町並みにもしゃれた家々や公園や緑が多々ある、人も少ないし首都とは思えない開放感がある

地元の食堂だとキリギス語で書かれてちんぷんかんぷんだがファーストフード店などがかなりあり、英語や価格表記などツーリストにとっては安心できる

早速、西バスターミナルに明日夜行のシムケント行の切符を買いに言ったら、受付のおばちゃんが対応でパニック気味になった、要は切符販売は当日のみでそれを私に説明できなくてパニックに陥ったようだ


オシュ

2013-09-29 | キリギス

9/25
オシュに着いたのは昨日の夕方、おまけに予想してない場所にバスは停まった、後で分かったのだがバスターミナルのあるメイン通りは運悪く工事中で道路が閉鎖されたのでバス停が移動したようだ

ツーリストのとって到着した場所が分からないほど不安なものはない、もちろんタクシーはあるが安宿はタクシーの運ちゃんも場所が分からないことが多々ある

全く英語が分からない人に道を聞くのはつらい、親切に高いホテルに連れて行かれたりした、困ってると英語勉強中の若い女性が助け舟になって、やっと目当てのオシュGHに到着

中央アジアに始めて足を踏み入れた祝いにびーるを店頭で買ってたらまたもや若い男性が何かお手伝いしましょうか的な事を英語で尋ねてきたりした

オシュに着いて2時間もしない間の出来事、私のこの国に対する高感度ボルテージは上がった

翌日は町散策、歩いて回れるほどの広さで特に有名な場所はないが人を見てるは面白い

キリギス帽かぶってるお年寄りが時々目に付く、早速写真をパチリ

キリギス人の第一印象は相撲の朝青龍に似ている人が多い、モンゴル含めたこの一帯は遊牧民族の血が流れてるからだろう

歩いてるとよく振り向かれる、外国人に非常に興味があるようだと感じた

カメラを向けると気持ちよく答える、ポーズをとったり、中には自分から撮ってくれと要求する人もいる、とにかく温かい反応だ

さすがに若い女性は恥ずかしがったりしてるけど

女性のファッションも結構進んでると思った

車の警笛も少なく、何しろ横断中には車が停まってくれる(日本では当たり前だが中国ではそん事ありえない)

民族的にきれい好きだと思うね、トイレも古いけど清潔だ(中国とは大きく違う)

お店は大体のとこで金額が明確になってるのでツーリストにとっては非常に有難い

バスを待ってたら女子学生が声をかけてきて、バスターミナルの係員とのやり取りで通じてるのか心配してのことだ、来年アメリカへ留学するようだ

小学生と思われるが白と黒のきれいな制服に女の子は頭にリボンみたいなのを全員していた

オシュの世界遺産に行ったが観光客は全くなし、地元のおばちゃん達が信仰の山として上ってるだけだった、世界一人気のない世界遺産かも