ヒロさんの旅記録

60歳からのバックパッカー、海外行き当たりの旅

バラナシ 1/28~1/31

2013-03-28 | インド1/21~2/5

1月28日、朝、バラナシ駅着
駅は1日中混んでるようだ、人の姿も多種多様
  
駅前にはオートリクシャーやサイクルリクシャーがズラ―と待機してるが、意外と整然してた
 
駅を出ると、案の定、客引きに捕まる
オートリクシャーで旧市街のゴードウリヤ―付近まで行き、歩きでホテルを探した
人間の洪水の中、路地を行ったり来たり
   
この路地は早朝に撮ったもの、日中の混雑は凄まじい、すれ違う人とは体が触れるし、バイクも通る
デリーで知り合った日本人に紹介されたGHにテェっクインしたが、宿泊費が1.5倍に上がってた、シーズン中で強気だ
このホテルは日本人客が多い、しかも長期滞在だ、街に出ても日本人若者は多い
ホテルの屋上から旧市街
屋上はレストランだが洗濯物が干せる、何でもありだ

バラナシの第一印象、汚い・臭い町
牛の町だ、牛が至る所占拠してるし、道路で寝起きもしてる
路をふさいでることもある、通り抜けるのに少し勇気がいる
  
路のあちらこちらに牛の糞が転がってる、特に早朝は足元に気を付けて歩かないと糞づけてしまう、それに臭い
上を見ると猿が占拠してる
地上には野良犬も多いので下には降りてこないようだ
街を歩いていると、地元の人は平気でゴミをその辺に捨ててる、特に献花や野菜・果物の残物などは牛の食い物になってる
人間と動物がうまく共存してる、信仰の深さを感じた
慣れとは恐ろしい、私も後半はバナナやミカンの皮を平気で道端に捨てるようになった
信じられる?駅のホームにも牛が出現
周りは何も気にしてない、ほんとに何でもありだ、常識が覆された

バラナシと言えばヒンドゥ教最大の聖地、そしてそこに流れるガンガー(ガンジス川)だろう
ガンガーへは滞在中、何度も足を運んだ
ホテルから見たガンガー 川辺までの階段

岸辺の光景 夜になると信者が集まり、神事が行われる

  沐浴の光景

火葬場、これより先は撮影禁止
何体もの死者がキャンプファイアーのような薪の上で焼かれてる
焼かれた遺体は川に流す、身元の分からない遺体は焼かずにそのまま川に沈めるようだ、下流では沐浴をしてる
お世辞にもきれいとはいえないガンガーで沐浴してる人達や火葬場を実際に見ると、これが旅で得るものだと改めて感じた

ガンガーに集まる巡礼者を眺めるのは楽しい
    
この様な巡礼者は観光名物になってるようだ、中には自ら写真撮影を促し、小遣いを稼ぐ者もいる

ガンガー沿いの建物を見て歩くだけでも飽きない
    
個性的な寺院や城が川沿いに永遠と続いてる

インドの建物はかなり奇抜でユニークだが、ペイントはかなり奇異だ
  
バラナシに限った事ではないが、官能的な色をよく使用してる、私の眼には異様に映る

路上での商売
自転車修理 サトウキビジュース 床屋
これ以外にもインドではありとあらゆる商売が路上で行われてる
インドを旅してると物乞いに会わない日はないと思えるぐらい物乞いは多い
このバラナシは特に多いが、これも一種の商売と思わざる得ない
ドウルガー寺院に行った際、参道の端に何十人もの物乞いが整然と並んでるのを実際に見て、驚異を感じた
これも職業だ、カースト制度の中で必然的に生まれたもので、乞食は悪ではないと私なりに感じた









 


ジャイプル、アーグラ―、カジュラーホー 1月24日~1月27日

2013-03-14 | インド1/21~2/5

1月24日 ジャイプルへ移動
早朝、まだ夜が明けない中、メインバザールの通りをデリー駅まで歩きで移動
不安はあったが、同じように駅に行くツーリストが数人いたので安心した
インドの駅は改札がない、だからホームまで誰でも入れるので、列車に乗る前によからぬ者が声を掛けてくる
ひたすら相手にしない事だ、無視するようにと旅行社の人に注意された
駅について先ずやる事は、チケットの列車番号をもとに、乗車ホームを電光掲示板で確認する

ジャイプル行き列車内
朝食のサービスがあった

ジャイプル駅を出た途端、タクシーやリクシャーの客引きがどーとやってきた、しつこい、かなり手強い!何とか振り払った
何も考えずに駅に1番近いGHにチェックインしたが、これが長期滞在者のマニアックな宿だと後で気づいた

バッグが綻びかけてたので、路上の靴修理屋に修理を頼んだ
この様な路上での靴修理や磨き屋は何処に行っても目につく
出来上がりはかなり雑だったが、何とか帰国までは持ち堪えた

メーター付きのオートリクシャーで旧市街へ行った
ジャイプルはメーター制のオートリクシャーがなぜか多い

旧市街散策
車を引くラクダが似合う砂漠の街
旧市街は城壁の中にある
   
ピンクシティと呼ばれてる
  
古い宮殿や建物が今でも数多く残ってる
 風の宮殿からの眺め

ジャンタル・マンタル(天文台)
  
デリーにも在ったが、ここの方が規模が大きい
何と表現していいか、不思議な建造物だ

リクシャーで宿に戻った
渋滞の中、逆送構わず、強硬に突破した
強かなインド人魂を感じた

GHの屋上
 宿近くに酒屋を発見、インドで初めてのビールだ
夜、宿近くをぶらぶら
  
屋台でチョウメンと鳥・魚の唐揚げを食べた
唐揚げを頼む時は、先にこちらの予算を告げて、量を確認し注文した

翌日、オートリクシャーで旧市街のバスパークまで行き、そこからローカルバスでアンベール城へ行った
  アンべール城
帰りのバスを待つ間、バス停前の屋台で昼食、
親切に屋台の子供が目的のバスを止めてくれた

インドでもっとも有名な映画館
近くのマクドナルドでマックバーガーを食べたらカレー味だった
カレーから逃げたかったのに!

余談だが、宿の屋上に干してたTシャツを盗まれた、ベトナム旅行中に買ったものだが、金額はたいしたことがない
しかし、少ない服を使いまわしてるので、1枚でも減ると非常に痛い
また、ホテルでのチェックインの時、必ずパスポートのコピーを取られるが、小さな宿(私が泊るのは安宿が多い)は大抵コピー機がない
それでパスポートを預けるのだが、このGHは朝に預けたのが夕方まで戻ってこないので、オーナーにしつこく催促してやっと返してもらった
この時、オーナーは屋上で若い日本人女子に仲良くインド料理を教えてた
何しろ、全体にのんびりしてるので、悪気はないのだろうが、命の次に大事なものだ、こちらはそう言う訳にはいかない
カジュラーホーの宿では、コピー代がかかるので、客の私にコピーしてくれと言われた、面倒なのでOKしたがコピーはしなかった,
その後は、忘れてるようで催促はなかった
確かにここインドではコピーは高そうだ、日本から数枚持ってくると便利だ

1月26日、アーグラーへ移動
早朝、ジャイプル駅のホームで列車を待つ

アーグラーに近づく
駅に近づくと、大抵の町で画像のようなスラム街が目につく
列車がスローになるので、駆けながら列車に乗り込むシーンを目にする

アーグラーには宿泊せず、夜行列車でカジュラーホーへ発つので駅で荷物を預けた
係員にキーロックをしてないと預からないと言われたが、この様なバックパックはロックのやりようがないと思いながら、
日本から持ってきた自転車用の100円キーロックを取る出し、適当にくくりつけたら預かってくれた、全然ロックしてないけど

市内観光
 ジャマーマスジット
アーグラ―城
   アーグラ―城からタージ・マハルが見えた
オートリクシャーで移動
 奥にタージマハルが見える
あまりの混雑でタージマハルに入るのをやめた

余談だが、昼食をしたレストランの店員がクインのフレディ・マーキュリーに似ているので、思わず似てると言ったが、通じたのかどうか?
フレディ・マーキュリーの事は知らないと答えた、実はフレディはインドがルーツだと本で読んだ事がある

ローカルバスで近郊のファーテープル・スイークリーに行った
 年季の入ったバスの車内
ファテープル・スイークリー
 
帰りのバスターミナルで到着したバスに向かおうとしたら、それはアーグラ―行きではない、1時間あるのでここ(茶屋)で休んで行けと言われた
どうしようか迷いながらも、念のためバスの人に確認したら、アーグラ―行きだと答えた
如何なる時も油断できないのだ、ここはインドなのだ、間一髪、無駄な時間と費用を免れた

アーグラーに戻った時はすでに日が暮れてた
荷物を預けた駅はアーグラー・フォートで夜行列車はアーグラー・カント駅発だ、
急いで荷物を受け取り、オートリクシャーでカント駅に移動した

アーグラー・カント駅構内
かなりの混雑、夜を通して人や列車が行き来してるようだ
待合室がある、中は殆どが外国ツーリストだ

1月27日、早朝、カジュラーホー着
ホームにある水飲み場のような所で歯を磨いた
ここでも駅で荷物を預ける予定だったが、預り所がまだ開いてない、すると予定とおり?客引きが寄ってきた
仕方なく客引きの勧めで、オートリクシャーで町へ行き、夜出発までホテルの部屋を借りた

村の中心付近
 
エロチックな彫刻で有名な寺院群
 
村周辺の農村風景を楽しんだ
 井戸ポンプで洗濯 

  井戸 

 川で洗濯や水遊び
途中、カメラを置き忘れた、約15分後に気付いて戻ったら、何と在ったのだ、ラッキー

この日からインド名物・腹下りになった、長い戦いが始まった




 

 


 


デリー 1月21日~23日

2013-03-07 | インド1/21~2/5

1月21日
ネパール・カトマンズからデリーへ飛ぶ
飛行機からのヒマラヤ絶景はチョー感動的だ

デリー到着、空港内で両替をした、今までに経験した事がないくらいのレートの悪さで、小額の両替にも容赦なく、税金や手数料がかかる、
感覚的には手持ち半額ぐらいになった気分で、思わず、ぼったくりだと呟いた

空港からエアポートメトロで市内へ移動する予定だったが、メトロが閉鎖になってるではないか、確か2年前に開通したばかりなのに、
訳も分からず、仕方なく、バスで目的のメインバザールまで行った
後で聞いた話によると、タクシーやバス業者などからの反対でメトロを閉鎖したとのことだ
信じられない、またしてもインド初日に強烈な歓迎パンチを受けた

1月22日
メインバザールの朝
 朝は遅い、数件の屋台があるだけだ
オムレツ・トーストを頼んだ、ここに限らずこの後の旅先では、サンドイッチやトーストの料理に、大変お世話になった
果物の屋台も多い、バナナやミカンは安くて・安全だ、朝食・間食に買いだめだ!

歩きで市内散策
ニュ―デリーの中心地コンノート・プレイスへ行った
歩いていると地元インド人が声をかけてきた「その先は行けないので、向こうが良い」「俺に付いてこい」と言った、
私は付いていくふりをして、とっさに反対の公園の中に入ろうとしたら、彼はしつこく、そこじゃないと言ったが、無視して小走りに逃げた
事前に情報は得てたので、事無きだが、知らないと騙されるだろう、実際、後で白人女性が付いて行ったのを目撃した

オールドデリーへ
   下町の喧騒
洪水のようなリキシャーや牛車・手押し車に古い建物
多分、職人達が仕事を待ってるのだろう
袋の中は道具類

ジャマー・マスジットへ
 雑踏の迷路を何度も人に尋ねながらたどり着いた
階段を登るが、なぜか入場できなかった

ラール・キラーへ
 ジャマー・マスジット近くからラール・キラーが見え、近くだと感じた
途中の街並み、機械を分解してる、ここでは棄てる部品など無い
ラール・キラーも入場できなかった
特別な記念日かも?

ラール・キラー前のチャンドニー・チョウクを散策
   
通りの両側には雑踏の中、古い変った建物が多い
脇の路地に入るが迷路と人混みで、中々先に行く勇気は無い、道を尋ねても相手にしない、英語が分からないのだ
インド人は皆、英語が話せると思ってたのだが、ネパール人の方が、まだ英語力が高いと思った

初日に泊ったGHの食堂
 日本人客が多いので、日本食のメニューがある
日本食もどきだが、安くて量があるのでよく通った
ホットシャワーが無いので、2日目には別のGHに移った
この後の宿探しではホットシャワーの確認をすることも重要になった
東南アジアを旅してた時は、殆どホッとシャワーを必要としなかった、しかし北インドの冬は寒い!

インドはこの時期、旅のシーズンらしく旅行者が多い、日本人も多いが、韓国人がはるかに多い
よってホテルの料金が情報誌よりも1.5倍くらい高いし、かなり強気だ
円安が進む中、懐にダブルパンチを受けてるようだ
ネパールは逆にシーズンオフなので、ホテルも交渉次第ではかなり安くなる

1月23日
午前、昨日旅行社に頼んだジャイプル・アーグラ―・カジュラホー・バラナシへの列車チケットを取りに行った
中国旅行の時は直接、駅でチケットを購入したが、今回は手続きが少し煩雑そうなので旅行社に頼んだ

メトロを利用してクトウブ・ミーナールへ行った
駅では乗合タクシーがあると情報誌に書いてあったが、見当たらないので、オートリクシャを利用した
 クトウブ・ミーナール(世界遺産)
帰りは駅まで歩き
 駅までの道中
途中に植木屋があったので、この様な園芸品が路上で売られてた、なぜか鉢の色がカレー色に見えた

メトロでインド門へ行った
 途中、パレードに遭遇
先頭の像は多分ガンジーだろう
路上商売人が写真は駄目だと言ってるようだ

おんぼろバスが止まってる、旅の各地で、信じ難いようなボロボロのバスが実際に走ってる
インド門到着、ここも入場禁止
 国の記念日だろう
軍事パレードが行われた、日本では見れない貴重な光景だ

昨日、見損なったジャンタル・マンタルへ行った
 何と表現していいのか分からない、奇妙な天文台だ

メトロの電車には必ずレディーやシニア用シートがある、座る時は頭上にある文字に注意!
しかし、あのボロボロのバスでも同様に優先席があるのだ
電車の乗降時のマナーは中国よりもいいと思った

メインバザールの光景
  
GH屋上からのメインバザール
 






ポカラ

2013-03-02 | ネパール1/10~1/21

ポカラ滞在1月14日~1月17日

レイクサイドからサランコットへ登った
ポカラの中心道路をひたすら北へ歩く、途中から舗装されてない埃が舞う道路となる
サランコットへの登り口は、地元の人にでも確認しないと分かりにくい
 登ってる道中、牛やなぜか寝ている人(多分、酔ってる)もいた

途中の茶屋で休憩
老主人と色々話をしてたら、ポカラまでの乗合ジープがあると教えてくれたので、帰りはそのジープを利用した

ダンプスへ
   
フェディまでバスで行き、そこからダンプスまで登りのトレッキングを始めた、途中の棚田や村を眺めながら、茶屋で休憩
老若、子供においても初歩的な英語は話すので、道を尋ねたりなど、非常に助かった
山登りのきつい思いをしなくても、乗合ジープでダンプスまではいける
ヒマラヤ・トレッキングは事前に許可や入場料が必要だが、このダンプスまでは必要ない、
特に、私個人はトレッキングを目的に旅してるわけではないし、できるだけ低予算の旅をモットーにしてるので、これで十分だ

ダンプス着
 突然、視界が広がり、ヒマラヤが目の前180度に現れた
アンナプルナ、マチャプチャレ、マナスルが目の前だ
登ってきた疲れを流そうと、左画像の奥端でヒマラヤを前にビールで一人乾杯!
子供が寄ってきた、カメラを向けると笑顔でピース・サイン
世界最高峰のヒマラヤも良いけど、すでにTVや雑誌での情報は多い、しかし、この原風景の村や人々との接触は得難いものがあると、
この時、改めて感じた
   
家々や子供たち(近くに学校がある)
ロッジの屋上から、朝焼けのヒマラヤを望む

ポカラ市内
   
レイクサイド中心、夕暮れ帰路につく牛、卓球をする少年たち
欧米人を中心に長期滞在者が多いようだ、カトマンズと比べると静かでのんびりでき、くつろげる雰囲気だ
フェワ湖畔

 ポカラの宿から、ヒマラヤを眺める事が出来る