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軽井沢学園を応援する会誌、ストリートパズルよりー園の庭をはきながらー 28号

私の大好きな読み物です。
軽井沢学園を応援する会の会報、ストリートパズルに副園長のたかねっち先生がいつも原稿を寄せています。
私は彼のこの読み物を読むのが大好きです。
いつも心が温まります。

このブログでずっと応援し続けて、かれこれ28回めになりました。

‐園の庭をはきながら‐


終わらない夏

                            たかねっち☆
 
 日本中が暑い夏でした。ここ避暑地軽井沢でも連日の猛暑により今まで扇風機でやり過ごせていた学園も、クーラー設置を本気で考えるような暑さとなりました。結局のところクーラー設置は見送りましたが、保冷剤やスポーツ飲料など大量に買い込み、こどもたちの熱中症予防に神経をとがらせた夏でした。地球温暖化の影響か、このような猛暑酷暑は今年だけの話しではなくて、毎年そうなっていくのでしょうか。

 暑かったのは、気候だけではありません。この夏は、おそらく軽井沢学園始まって以来とも言うべき“熱い”出来事がありました。それは、当園入所児童が野球の日本代表に選出されるという快挙です。今回は、野球日本代表『サムライJAPAN』の投手として、学園はじめ地元を沸かせた一人の野球少年のお話です。

 7月中旬、私のところへ一通のLINEが入ってきました。学園運動部顧問の堀越さんからです。「S君が侍JAPAN決まりました!」休日の午前中ボケーっとテレビを観ていた私は「まじかっ、凄い!!」高揚で一気に目が覚めました。侍JAPANの最終選考を突破し、見事代表入りを決めたのです。
S君は軽井沢西部小学校の6年生。小学3年の頃から地元の少年野球チーム西部小ジャガーズ(現軽井沢ジャガーズ)に入団し、土日は校庭や近所のグランドで練習を積んで来ました。幼少期から運動能力の高いこどもでしたが小5の辺りから頭角を現し、試合ではエースで4番、地元で少しばかりマークされるような選手に成長していました。そんな彼の可能性を見込んでチームのコーチが今回応募を勧めて下さったそうです。
しかし、全国津々浦々、英才教育を受けたこどもや、神童、天才、怪物と呼ばれるような強者たちがいる中、正直私は彼がそこまでの選手とは思っておらず、応募の話を聞いた時には、まあ広い世界を知る良い機会になるのであれば、くらいにしか思っていませんでした。ところがビデオ選考、一次選考と進むに連れ、職員全員がまさか本当に選ばれてしまうのではという期待と、もし選ばれたらこの先どうなってしまうのかといった未知の世界に対する不安も入り混じります。

そして代表決定の知らせを受けてからは喜びもつかの間、すぐにチーム合宿が始まり8月8日にはアジア選手権出場のため台湾へ出立です。彼を直接担当している指導員の陽子さんはパスポート手配、合宿や身支度準備、侍JAPAN事務局とのやり取りなど多忙を極めました。それも通常業務をこなしながらの対応です。更に、日本代表といってもまだ小学生であるため東京までの送迎も全て保護者が行わなければならず、その都度職員が交代で引率するなど大変なご苦労をかけました。
応援団も結成しました。学園挙げての大応援団という訳にはいきませんでしたが、自費参加で希望者を募り8月13日から19日の大会期間中2班にわかれ計画を立て、私も園長と共に応援に加わらせてもらいました。

U12アジア選手権とは、アジア9の国々で争われる12歳以下の野球大会であり今年で10回を数えます。プロで構成された侍JAPANトップチーム同様にU12 チームも優勝候補、監督は元読売巨人軍の仁志敏久さんです。選手は全国から選抜された15人。S君は左腕の速球が武器で背番号10番です。
出発の朝、玄関先で軽井沢ジャガーズの選手や関係者たちに見送られ、都内のホテルにてチームと合流、決戦の地へ向かいました。頑張って行ってこい!反面、果たして緊張で普段どおりのプレーが出来るだろうか、環境変化で体を壊さないか、忘れ物したり時間に遅れたりして迷惑かけないかなど、母親がわが子に抱くような尽きぬ心配。毎日彼の身の回りの世話をしている陽子さんは、そんな思いで空港から見送ったに違いありません。

8月13日アジア選手権が始まりました。試合結果の詳細は侍JAPANの公式ホームページをご覧頂けたらと思いますが、期間中彼の成績は散々なものでした。予選リーグ最終日スリランカ戦で先発登板するも初回4連続フォアボールの押し出し、その後も制球が乱れ結局二回降板。結果はチームの大勝でしたが、その後彼の出番はありませんでした。そのため17日からの決勝ラウンドから応援に行った私たちは、彼がマウンドに立つ姿どころか、打席に立つ姿も観ることは無く、バットを運んだりベンチで応援する後ろ姿しか観ることが出来ませんでした。残念ではありましたが日の丸を背負っての勝負の世界です。こればかりは仕方がありません。きっと本人は相当悔しかったに違いなく、3位が決まった最終戦終了後、皆が集まり談笑する中でも彼の笑顔は見られず、私たちに目も合わせてくれませんでした。

そして帰国後、夏休みも終わって普段の生活に戻りました。

地元の少年野球チームに所属し、近隣市町村内で争う経験しか持たぬ野球少年が、一気に国際試合の大舞台に立つこととなったのです。まさにスポ根漫画のようなサクセスストーリーでありますが、いざ試合場面になってみると、チームメイトからは、技術、精神両面においてまざまざと力の差を見せつけられ、出場機会は与えられず挫折感を味わったことでしょう。でも15人の中に選ばれたことは本当に立派。大変良い経験をさせてもらえました。もうダメなんかじゃない、今はまだダメだっただけ!これをひと夏の思い出とせず、腐らずに前を向いていって欲しいと願います。

根っからの野球少年である彼の日課は放課後の素振りです。何かに取り憑かれたかのように雨の日も風の日も雪の日もどんな日でも欠かしません。毎日学園の玄関先で黙々とバットを振るS君。一体一日何回振っているのか尋ねるとポツリ一言、千回だそうです。素振りだけではなく、キャッチボール、走り込みにタイヤ引き、そんな野球にかける情熱と努力の甲斐あって代表入りを果たせたことはまぎれもない事実ですが、忘れてはならないことは、ここに至るまでには大勢の人たちの支えがあったからでもあります。
幼児の頃から、ボール遊びや運動部の活動を通じてこどもたちの運動スキル向上に努めてきた顧問の堀越保育士、休日返上で野球の審判やお茶当番を手伝った多くの職員やジャガーズの保護者、監督コーチ、そして担当の陽子さんをはじめ日々の生活を支える保育士と指導員。更には活動を続けるために必要な費用や野球道具など、全国から経済援助して下さっている大勢の応援する会会員の皆さんの存在。彼を取り巻く全ての大人たちの支えがあってこその野球です。そういった方々への感謝の気持ちも、今は難しいかもしれませんが彼には気付いて欲しいし、教えていかなければなりません。

暑かった軽井沢も朝晩はようやくいつもの涼しさを取り戻し、コオロギが鳴き始めた夏の終わりの夕暮れ時。今日も玄関先でいつもの素振りをするS君。その傍で、ボクもサムライになるんだとバットを握る小3児童。二人とも真っ黒に日焼けした首すじと両腕。一心不乱にバットを振るその先に彼らは一体何を見ているのだろう。甲子園、プロ野球、メジャーリーグと夢はつきません。
昨日、私はS君にお願いして手を触らせてもらいました。何度も繰り返し皮が破れてカチカチに硬くなった数々のマメ、努力の結晶。一つひとつがホント硬かった。終わらない夏、これからも応援しています。

 おわり


※おことわり この度の当園入所児童の日本代表選出については、地元紙や侍JAPANホームページ等において実名で公表されておりますが、この紙面においては施設の立場上、歯がゆいところではございますが、プライバシーに配慮し実名を控えさせていただきました。
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