ある日朝目覚める直前に「私は50歳までしか生きられないかもしれない」と突然思いました笑。
なぜか、今まとめておかないといけない気がして書き始めています
長文なので、私の独り言、と思ってもらえば、と思います。
最終的には将来私の三人の子どもたちに読んでもらいたいつもりで書いてるだけなので、です(^^;。
最近いろんなジャンルで私より一回りも下の市内の次世代若手リーダーたちと関わる機会があります。
みんなそれぞれいろんな壁にぶつかっていたり
どう進んでいいかわからなかったり、、、
やりたいことがわからなくなっていたり、
仲間とどう進んでいいかわからなくなっていたり、、、
そんな若い彼らを見ていると、10年前、20年前の自分を見ているようでなんとも言えない懐かしい気持ちになってしまいます
私は30歳でKDCをはじめました
KDCを作ってくれたのは実は私ではなく、今は亡きケイジン健康運動センターの主任さんでした。
KDCという名前を命名してくれたのもその方です。
2003年、当時は病院のスタッフを相手にレッスンをしていました。
2004年、正式にダンスクラブとして発足し、第一回目の公演JEWEL SHOWCASE 2004を 成功させます。初回の出演者はなんと30人でした。
このとき2年生だったKDC初の子供さんは今ではママになっています。
KDC自体は100人前後のメンバーを保つ団体になっています。
2007年、当時宝塚ミュージカルだった「佐久ミュージカル」の第7回をKDCが担当します
2008年、宝塚Mだった佐久Mの前座としてKDCがこどもMを上演させていただき、翌年2009年、「こころのミュージカル」として独立して上演しました。
2010年、佐久市文化事業団コスモホールの自主事業として認めてもらい、以降佐久市文化事業団の大型自主事業として、2009年から2019年まで11年間上演しつづけてきました。
こころのミュージカルは奥村館長兼芸術監督と出会うことで公共性ということを学びます。
プライベートスクールであるKDCとは別に、
バプリックであること、地域に根ざした文化ホールの自主事業として果たすべき役割を1年1年学び、成長し、今に至ります。
私もまた、製作委員長として、公共の組織とはどうあるべきかを学び、育ててもらい、佐久市だけでなく、長野県内の様々な文化人の皆様と知り合うことで
地域における文化活動とはどうあるべきか、文化ホールの役割とはなんぞや、ということをたくさん学ぶことができました。
その中でプライベートスクールであるKDCはあくまでプライベートサークルである、という役割の違いもわかってきて、徐々にこころのミュージカルと役割を分担させることができてきました。
KDCの活動は今でこそ映画やエキストラ派遣、ダンスライブ、イベント企画、番組コンテンツ制作など多岐にわたっていますが
卒業生の多くは医療福祉関係に進んでおり、
あくまでダンスやお芝居を通した人育て、コミュニティ形成という目的は17年間ぶれずにきています。
ここにいる人たちには幸せになってほしい
自分に生き抜く力を身につけてもらって、将来自分の手で幸せと自分の人生をつかみとってほしい、そのためにふだんできないことを経験してもらいたい、これがKDCの本来の目的です
そしてこんな雑な私でも、基本説明が下手でなかなかこれが伝えられない私でも、私の目指すところを一緒に目指してくれた仲間たちが今も、ずっとそばにいてくれています。
「このボスしょうがないなあ、、、笑」と思いながらもついてきてくれているスタッフには感謝しかありません(^^;
社会は目まぐるしくかわります
今の子供たちにとっては生きにくい大変な世の中だし
親にとってもなんとも育てにくい苦労の多い世の中だと思います。
でもそんな中でも「生まれてこなければよかった」ではなくて「生まれてきたからこそこんな素敵な思いができた」「生きてるだけでなんとかなるもんだ」と思ってもらえるようにしたい。
どんな人生だって波があっていいときもあれば悪いときもある。
そう思うとなんとなくKDCだけじゃなくて、学校とかいろんなところに顔出しちゃったりするんですよね笑
私は医師の中でも特殊で、最期を診ることが多い分野です。
検視もやります。
いろんな人のいろんな人生を見届けることで
こういう人生もあるんだ、ああいう人生もあるんだ、と学んできました
だからこそ、今生きているこの一瞬一瞬を大切にしたい、してほしい、そう強く願わずにいられません。
最近出会った若いリーダーたちからみると、私ってきっと何してる人かよくわからます(笑)
なんかいろんなところに必ずいるひと!みたいに見えるかもしれないですね笑
でも一つ一つ、足を運んで、コツコツ努力を重ねて17年間で築いてきた結果、なんかいろんなところにコンタクトできるようになった!という感じです(^^)
もちろん同じような性格だった父の形見も大きいです。
わさわさしてる私をだまって見守ってくれた母や家族にも感謝です
最後には帰るところがあると思うと人間安心できますからね。
だから私は家族を一番大事にします。
そしてそれを教えてくれた私が最も尊敬する恩師はKDCの大切な仲間でもあります。
今しかない時間を大切にしながら
1日1日を一生懸命生きる、それが人間の与えられた使命なんだろうな、とこの歳になってなんとなくわかるような気がしてきました。
そしてこれからの私は
かつて私をここまで育ててくれたひとたちのように
次の世代でリーダーとして頑張ろうとしている若い人たちの
背中を押して、応援して、見守ることが役割なんだな、と思います。
新しいことを始めるというよりは
新しいことを始めようとしている若い力をいろんな力で応援する、
これが私に課せられた役割なんであろうと。
これが次の世代に「つないでいく」ということなのかなと思います。
私がこのブログを始めたのは2005年。
かれこれ16年前です。
時代は変わりました笑
いつかこのたまったブログを私の子供達が読んでくれることを期待します(^^)
そしてまた10年後、自分がどうなっているか楽しみにしていたいと思います!