JEWEL BOX KDC!!

軽井沢学園を応援する会 会報 ストリートパズル15号より

毎回泣けるこのシリーズ、毎回私たちに出来ることは何か、を考えさせられます。
この子達は毎年こころのミュージカルに来てくれます(^^)
また今年も会えるのを楽しみしていますね(^^)


‐園の庭をはきながら‐
ささのはさらさら
たかねっち☆


 7月7日。毎年この日が近づくと、町内のお寺から貰ってきた一本の笹に、こどもたちが飾り付けを施して玄関先に立てかけます。いわゆる「七夕飾り」です。この七夕飾りには、青、黄、ピンクなど色鮮やかな短冊に思い思いの願い事を書くわけですが、今年もこどもと職員の願いを込めたカラフルな短冊たちが軽井沢学園の玄関を彩りました。まだ文字を書くことができない幼いこどもたちも担当職員に代筆してもらい、この日はここで暮らす全てのこどもたちの願いが一本の笹の葉に込められています。少しだけ紹介します。

「テニスの新人戦に勝つ!!」(中2女子)「仮面ライダーになりたい」(3歳男児)
「しっかり者の彼女ができますように」(高3男子)「パティシエになれますように」(小2男児)
「もっともっと練習してネイマールみたいな選手になりたい」(小3男児)
「○○ちゃん、○○ちゃんとおいしいお菓子が作れますように」(保育士)
「高校を卒業できますように」(高2男子)「おじいちゃんがカエルになりますように」(???)
そんな、かわいらしくて微笑ましい願い事の中に交ざって、こんな短冊もありました。

「早くママがむかえに来てくれますように」(詠み人知らず)

私は、ここに勤め始めて17年近くが経ちますが、七夕の季節が来る度に、短冊に込められたこどもたちの切実な願いを目にしてきました。
「パパとブランコでたくさん遊べますように」「お母さんがお金持ちになれますように」「いつか家族全員で仲良く暮らせますように」など、必ず目にする親への想いを綴った短冊。17回見ても決して慣れることなく、そんな短冊を発見するたびに胸が締め付けられます。きっと私だけでなく、ここで働く全ての職員が同じ想いでしょう。今回は七夕の夜、一片の短冊に願いを込めた幼い姉妹のお話です。

5歳のサラ(仮名)と3歳のキララ(仮名)は、私が就職して間もない頃に軽井沢学園にやって来ました。サラとキララの両親は、サラが3歳の時に離婚しており、二人を引き取った母親はサラ金からの借金を返済するため、昼はスーパー夜はスナックで働かなければならず、夜間こどもだけで留守番させることが出来ないという理由から施設入所に至りました。入所当日、母は泣きじゃくる娘たちを抱きしめながら「ママが夜お仕事しなくても大丈夫になったら必ず迎えに来るからね」そう言って施設を後にしました。

余談になりますが、施設入所の当日。私も幾度となく経験してきましたが、この日は施設職員にとって感慨深い一日でもあります。こどもにとっては新たなスタートであると同時に、親子の別れの日でもあるからです。特に幼いこどもの場合、保育士がお菓子やおもちゃなどで気を引きながら抱っこおんぶで部屋へ連れて行き、その隙をみて親には別れも告げずにこっそりと帰って頂いたり、時には、離れまいと必死に母の首に巻きつく腕や、袖を力いっぱい掴む小さな指を一本一本外して親から遠ざけたりすることもありました。また、初日の晩は一晩中泣きとおしで、保育士が一睡もせずあやしていたなんてこともよくある話です。仕方のないことではありますが、罪もないこどもの意に反して強制的に引き離すわけですから罪悪感にも似た心境に駆られます。

サラとキララは仲の良い姉妹でした。月一ペースで面会に来る母の姿を見つけても、面倒見の良いサラは、真っ先に飛んでいきたい気持ちを抑え、妹を部屋まで呼びに行き二人で母を出迎えます。丸顔で泣き虫のキララは、お姉ちゃんの真似ばかりしたがり、母とお出かけして洋服を買ってもらう時もお姉ちゃんと同じものを選びます。交流も順調、親子関係も良好、単に経済的理由によっての施設利用であるため、当時私たちは母が借金さえ返し終えれば、早々にサラとキララは引き取られるだろうと信じていました。

ところが状況は違いました。サラが小学2年生になる頃から母の足は遠のき始めます。帰省や面会もそうですが、たまには学校行事にも顔を出してくれた母が、仕事が忙しいを理由に来なくなったのです。また、約束を突然キャンセルしてきたり、妹にせがまれ電話するも繋がらず、といった感じで、母の様子は明らかに変わっていきました。幸いこの頃になるとサラもキララもすっかり施設生活に馴染んでおり、たまに担当保育士の網中さんに「お母さん今度いつ来るかなあ?」と漏らすこともありましたが、それでも毎日元気に過ごしていました。

梅雨明けにはまだ早い7月上旬、勤続20年のベテラン保育士網中さんは色とりどりの画用紙で作った短冊をこどもたちに配り、それぞれの願い事を一緒に書いていました。サラとキララも色鉛筆を使ってそれぞれの願い事を書きますが、まだひらがなが上手に描けないキララは、幼児担当の久保田さんに手伝ってもらって書きました。
はやくお母さんとキララと3人でくらせますように サラ
はやくおかあさんとおねえちゃんとくらせますように キララ
15年以上前のことなので、はっきりとは覚えていませんが、真似したがりの妹は、お姉ちゃんの願い事を真似てこんな風に書いていたように思います。そして、姉妹の短冊は、お隣同士仲良く笹の葉に結ばれていました。

しかし...七夕の夜に込めた幼い姉妹の願いは、梅雨も明け、ひぐらし鳴く夕暮れ時、突然の電話によって叶わぬものとなっていくのでした。

「...はじめまして。サラとキララの祖母です。実は、先日サラたちの母親から息子のところに親権を譲りたいという電話がありました。そのことで詳しくお話ししたいので今から伺います」
電話の主は、姉妹の入所以降一度も登場することのなかった実父の母、父方祖母からでした。予期せぬ電話に驚きと不安を覚えましたが、すぐそこまで来ているということなので、考える猶予も与えられずに父方祖母を迎える形となりました。面接室にお通しし、ひととおりの挨拶を済ませると、少々気が強そうではありますが、気さくな人柄をにじませた祖母が悲しげに切り出しました。

内容はこうでした。
母は、昨年あたりから男と同棲をはじめた。入籍はしていないが、近々籍を入れる予定。母はお腹に同棲相手の子を宿しており既に6か月。相手は、サラとキララの存在は知っているが、今後引き取るつもりは一切ない。そのため母は親権を放棄して父に譲るか、それが無理なら二人をどこか養子に出したいと言っているというのです。
「なんと身勝手な・・・」サラとキララの様子を普段から見ている私は、孫達が不憫(ふびん)でならないと言葉を詰まらせる祖母の姿も合い重なって、深いため息と同時に心の中でそう呟きました。「とにかく話は分かりました。これは、とても重大な話なので、明日にでも児童相談所へ連絡し、再度児相も交えて話し合いをさせて下さい」とお願いし、お引き取り頂きました。
その後、児相へ連絡し、母、実父、祖母ら関係者と数回話し合いを行いますが、この話し合いには、サラの担当保育士の網中さんも毎回同席し、こどもたちの気持ちを必死に代弁しながら、何とか母と暮らせる方法を探ります。母へ母子寮(現在の母子生活支援施設)の利用や継父宅への引き取りを説得するも、母は、相手が絶対に認めないという理由で頑なに拒み、また、実父も既に別の家庭があるという理由から今更姉妹を引き取ることは出来ない。
そんなやり取りに無力感と憤りを感じつつも話は平行線を辿り、最終的には半分諦め交じりに祖母が折れる形で、二人の姉妹を養子に出すという方向で話が進みます。しかし、可愛い孫娘を他人に渡すわけにいかないと言って、祖母自らがサラ、キララと養子縁組をするという形で決着が付きました。
その時、祖母が母に諭すように言った最後の言葉を私は今も忘れることができません。
「おまえね、お腹にいる子も同じ目に遭わせたら獣と一緒だよ。これからは二人の面倒は私が見るから、サラとキララに会うのは今日が最後だよ」と。母はただ涙ぐんでいました。この話し合いを境に、親権者移行の手続きが坦々と進んでいき、引き取りに向けた祖母との交流が開始されました。二人の気持ちは置き去りにされたままで.....。

世は無情です。入所の日「必ず迎えに来るからね」という母の言葉を信じ待ち続けた幼い姉妹が七夕飾りに込めた願いは、厳しい現実によってこの先も届くことはありませんでした。
「おかあさん、サラたちのこともうキライになっちゃったのかな。サラはおかあさんのこと大好きなのにな」祖母が二人の孫娘に事実を打ち明けてから数カ月が経ったある日、サラが網中保育士にぽつんと漏らした言葉です。網中保育士は彼女をそっと抱きしめることしかできなかったそうです。

それから3年後、二人の姉妹は献身的な祖母と順調に交流を重ね、姉の中学入学を機にそろって祖母宅へ引き取られていきました。
二人が軽井沢学園で迎える最後の七夕の夜。その年も学園の玄関先にはいつもどおりの七夕飾りがありました。
おばあちゃんがいつまでも元気でいられますように  サラ
てんこうしてもたくさん友だちができますように  キララ

笹の葉さらさら 軒端に揺れる 二人の笹も 優しく揺れる
おわり
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