《 茶の花
庵のまはりには茶ノ木が多い。五歩にして一株、十歩にして又一株。 私は茶の木を愛する。その花をさらに愛 する。私はここに移ってきてから、ながいこと忘れてゐた茶の花の趣至に心を引かれた。
捨てられることもなく捨てられてゐる茶ノ木は『侘びつくしたる侘人』の観がある。・・・・中略・・・・・ 茶の花に隠遁的なものがあることは否めない。また、老後くさいものがあることもたしかである。
年をとるにしたがって、め うが、とうがらし、しょうが、ふきのとうが好きになるやうに、茶の木が、茶の花が好きになる。
しかし、私はまだ茶人にはなっていない。幸にして、あるいは不幸にして。
梅は春にさきがけ、茶の花は冬を知らせる(水仙は冬を象徴する)。
茶の花をぢっと観てゐると、私は老いを感じる。人生の冬を感じる。私の心身を流れてゐる伝統的日本がうごめくのを感じる。
茶の花や身にちかく冬が来てゐる 》
種田山頭火の「草木塔」のなか、随筆の一文。俳句は好きだけど随筆も良い。
衒いがなく素直な感覚だと思う。
こうして老いてゆくか。
山道の散歩の途中、携帯電話のカメラ。写真のできはともかく。
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