Hiroyasu-kingの体験記  裏読み思考で社会を暴く、真理不尽の違法許さず! 遊び心で一刀両断 是非に及ばず

ヒロヤスキングの穴馬指南奮戦記から、社会の真相に迫る裏読み体験談 
官僚国家の罠 国民は家畜じゃないよ!主権在民だよ!

「正義感の強い人」を「正義中毒」と冒涜することは許さん!「ゆがんだ正義感による制裁中毒」なら理解できる。正義感は他者を認める〝共生の理念〞だ!

2020年05月28日 20時24分36秒 | 正義とは、正義感とは、正義中毒とは、正義の制裁とは、正義を掲げる人は危険

真の「正義感の強い人」を「正義中毒」と冒涜することは許さん! 「正義中毒」とは「正義感の強い人」を犯罪者のごとく卑下している。

他者を認める〝共生の理念〞の無い、自己中心主義者の「ゆがんだ正義感」が社会悪を起こす要因であり、「正義感の強い人」の悪行ではない!

正義中毒と言う言葉は矛盾している、「ゆがんだ正義感による制裁中毒」なら理解できる。

脳科学者中野信子の「正義感の強い人」を「正義中毒」との蔑称は称賛すべき人格を卑下している 「正義」を誤認している

 

正義とは、

「正しい道理。正しいすじみち。人として行なうべき正しい道義 」である。 

魂および身体を監督する支配者としての知恵、魂および身体を外敵から保護する勇気、そしてそれ以外の能力がお互いの役割を侵犯せずに調和のとれた形で自己の責務を果たす節制、これらの3つの徳が実現するとき、個人は全体として正義に適った存在となる。

※正義に適った存在とは、心身共に健全な形で3つの徳を自己責任で果たす節制。

「正義」と「善」との関係

「正義」は「他人に対する関係」において発揮されうる「徳」であり、 「正義の性向」は「様々な種類の徳のなかでただ一つ『他人のための善』である」といわれる。

アリストテレスにおいて、正義とは平等を中核として他人のための善を求める徳である。 
この正義観が、西洋の平等を中心とした伝統的正義観へと引き継がれている。

※「他人のための善を求める徳」 弱者救済の精神は正義である。

カントは、「もしも正義が滅びるならば人間が地上に生きていることに何の価値もない」とさえいう。

 

正義感の強い人は

「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す。」

「自信と勇気と慈悲心に裏付けられた、行動力のある強くて優しい人間、真にたのもしい人間、自分を生かし、他人をも生かし、世の中全体を良くする重大な使命に情熱の火を燃やす人物像である。」

嘉納治五郎
「自他共栄」とは、「精力善用」と共に嘉納治五郎が創始した講道館柔道の指針である

宗 道臣
「自己確立」と「自他共楽」 自利と利他という教えがある。
 利他とは自己の善行功徳によって他者を救済すること、他者に施すこと、また己の利益だけに止めないで他人の救済に限りなく尽くすことにある。

 

※武道の求める崇高な精神は「正義」を全うすることだ! 正義感の強い人物の育成だ!

 

歪んだ正義感とは、自己顕示欲が強く、自己利益を求める、自己中心主義者の「承認欲求」の言動だ! 正義ではない!

正義を貫くということは、恐怖との戦いでもある。「悪は強く、善は弱い」からだ! 正義感の強い人でなければ恐怖に打ち勝てない!

恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、敵に向って突進する者がいちばんよく知っている。

恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかほかにはない。快楽、快感等は無い!

快楽、快感等を生むのは苛めや虐待だ! 弱いもの苛めに恐怖は無い! 苛めに正義は存在しない! 

『他人のための善』は存在しない! 「共生の理念」は苛めや虐待を認めない!

正義を貫くとは、巨悪に対峙する恐怖を克服する勇気が必要だ!

「正義感の強い人」を冒涜することは許せない! 日本国民は、社会人として正義感を身に付ける義務がある。

臆病でずる賢い卑怯者は見て見ぬふりをする。「正義感」「道義心」を失った人間は恥じるべきことだ!

「義を見てせざるは勇無きなり」

人として行うべき正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことで恥ずべきある

正義感の無い脳科学者なる輩には崇高な精神を冒涜する資格はない!

正義感を悪視するなら、正義感の無い社会人としての理想の人物像を示せ! 

正義無くして、社会の秩序を保てる民主主義国家体制を示せ!

 

脳科学者らの冒涜

「正義感の強い人」を以下のように冒瀆している。教育の根幹を覆している!

自己陶酔、偏見がある、劣等感がある、潔癖症、柔軟性に乏しく頑固、寛容になれない、人を許せない、「正義中毒」というべき一種の依存症状、アルコールやギャンブル依存症と同じ、正義を掲げる人は危険、時に人を傷つけ、争いを起こす、異物を排除しようとする、価値観の合わない相手を徹底的に攻撃する、強硬かつ攻撃的、冷静な心の動きでない、自分勝手な理屈を振りかざす、厄介な存在なのだ!等々

上記の人物像に正義は存在するか!崇高な精神は宿っているか!「共生の理念」は存在するか!

弱いもの苛めの言動だろ!「正義感の強い人」を誤認して犯罪者のごとく卑下している。

上記の人物像は自己中心主義者のゆがんだ精神に基ずく言動である。正義感の欠如している人物である。

でたらめの分析で「正義感の強い人」を誤認して、誹謗して「正義中毒」と冒涜することは許せない!

 

下記に、東京大学卒の梅谷薫氏が「ゆがんだ正義感」について語っている。

「正義感の強い人」は、脳科学者 中野信子らの誤認している「正義中毒」と断定した人物像とは全く違う!

「正義に非ず!」の「ゆがんだ正義感」よる悪行を「正義中毒」と呼称するのは「正義」の定義を誤認させる。

 

※極めて不謹慎で不適格である! 「正義」を「正義感の強い人」を、精神病のごとく断定するな!

 

「ゆがんだ正義感」についての記載   ※すこしは真面な意見が聞けたよ!

梅谷薫(うめたに・かおる)
東京大医学部卒。日本心身医学会会員、日本精神神経学会会員。日本内科学会認定内科医、産業医。

コロナで「自粛警察」が暴走するのは「幼少期」と「ドーパミン」が原因=構成/本誌 山田厚俊【サンデー毎日】5/28(木) 10:07配信  掲載

 

駄菓子店「まぼろし堂」の門に張り付けられた文書

「自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます」などと書いた紙をライブバーの店先に張ったり、SNSで〝3密行為〞を批判する動きが目立つようになった。いわゆる「自粛警察」だが、どのような心理が働いているのだろうか。

第一線の心療内科医、梅谷薫氏に聞いた

 ◇「ゆがんだ正義感」はどこから来るのか

一人一人が感じる『正義感』と、社会のルールとしての「正義」は別であることに注意する必要があります」

こう語るのは、心療内科のベテラン医師、梅谷薫氏だ。

コロナ禍以前から、〝ゆがんだ正義感〞について警鐘を鳴らしてきた。

梅谷氏は、「自粛警察」の心理を知るためには、まず脳の仕組みを理解する必要があると語る。

(梅谷)私たち人間の脳の機能は、3層構造になっています。

第1層は『脳幹』で、生命の中枢となっており、第2層が扁桃体などを含む『大脳辺縁系』です。ここは感情の中枢を担っています。一番外側の第3層が『大脳新皮質』で、理性の中枢です。

私たちは幼少期に、『自分が正しい』という『正義の感覚』を育てます。これは自分を守るシステムであり、生きる上での確信となる感情であるといわれています。しかし、それぞれが自分の『正義感』を主張するだけでは、社会生活が成り立ちません。

人を傷つけたり、だましたりしてはいけないという『社会のルール』、つまり『正義』を、しつけや教育を通して学ぶのです。この学びの脳は、第3層の大脳新皮質となります。

平和な時代であれば、個々の『正義感」は、法律をはじめとした「社会正義」とほぼ一致するように脳内で調整され、維持されています。しかし、今回のコロナ禍のように強い社会不安が広がる状況では、この「社会正義」と「正義感」が対立する場面が出てきます。

目に見えないウイルスに感染してしまうのではないか、自分や家族の生命が脅かされるのではないか。こうした強い「不安」と「恐怖」が私たちを襲います。同時に、半ば強制された自粛生活によって生じる「不安」「不満」「怒り」といった感情が募ってきます。

このような感情はこれまでは飲み屋やカラオケに行く、スポーツをするなどの「行動」によって、発散されてきました。

しかし今は自粛生活のため、行動で発散させることができません。行き場を失った感情のエネルギーが、「悪を正すことで、自分の不安を解消する」という〝感情のはけ口〞に向かう事態を起こしやすくするのです

これが、「自粛警察」などの行動を引き起こすメカニズムだといえるのです。

一つ一つは「正しい行動」でも、行き過ぎると〝ゆがんだ正義感〞と呼ばれることがあります

コロナ禍という未曽有の事態の中で、私たちは必死に毎日の生活を送っています。こうした私たちの生活に反して、〝3密〞になる恐れのある行為を目にすることがあります。

一見、「正しくない行為」の裏には、それぞれの事情もあるでしょう。しかし、「自分は正しい!」という感情に突き動かされている時は、冷静な判断ができません。

「社会正義」で許容されている範囲を超えて突っ走ってしまい、〝ゆがんだ正義感〞と呼ばれる行為になるのです。

 ◇ネット社会の「匿名性」がエスカレートさせる

今後、〝ゆがんだ正義感〞はなくなっていくのだろうか。

(梅谷)その可能性は低いと思います。なぜなら、コロナ以前からも〝ゆがんだ正義感〞の事例は多かったからです

私は日々、クリニックの外来で、さまざまな人間関係のトラブルに対処してきました。心身の調子を崩す原因になりやすい「危険な隣人」や「危険な上司」に共通している点の一つが、〝ゆがんだ正義感〞なのです。

それで私は、2016年に『ゆがんだ正義感で他人を支配しようとする人』を上梓しました。
最近、その傾向が強まっており、コロナ禍で一気に爆発したといっていいのではないでしょうか。
この傾向を助長した要因の一つが、ネット社会です。〝3密〞を避けるために多くの国民が巣ごもり生活となり、インターネットを使う機会が激増しました。

ネットは「匿名性」と「非身体性」が特徴の世界です。自分の正体を明かす必要もなく、相手を罵倒しても実害をこうむる危険性はありません。

 

※「匿名性」と「非身体性」では恐怖心が消えるからね 弱い者苛めの虐待感覚が暴走するんだよ 過ぎたるは「正義」に非ずだろ

 

悪に対して正義の鉄槌を下すのは、きわめて心地よい行為です。

 

※弱い立場の人間を一方的に叩くのは虐待の心理に近い!弱い者苛めは快感ですか? 恐怖が無ければドーパミンの快楽ですか。

弱い悪は叩かずとも防げる。たとえ理があっても、弱いもの苛めを「正義」とは言わない! 

悪を倒して、恐怖に打ち勝った時は、安堵感と達成感でドーパミンの心地よい気持ちになれるだろうけどね 

恐怖に打ち勝つためにはアドレナリンの力を借りるよ 正義を貫く勇気は危険を伴うよ

正義は「弱きを叩き」では快感を得ないよ 「弱きを守る」だからね 

恐怖心を克服して、「正義」を貫いた時、安堵感と達成感でドーパミンの快楽ですかね

 

脳内では、快楽物質のドーパミンが分泌され、行為がエスカレートします。

ドーパミンは依存症の原因となる物質で、行動を繰り返すほど快感が増します。そのため、正義感に駆られた行動は止まらなくなります。

 

※正しい正義感を学んでいれば「弱きを叩く」弱い者苛めはしない! たとえ善でも正義を犠牲にしてはならないだろ。

恐怖の無い、苛めや虐待がドーパミンの快楽や快感を得るのだ! 正義ではない!

 

さらに、ネットは簡単に賛同が得られる社会です。本来なら、家族や友人に「さすがに、それはやりすぎじゃないの」と止められるレベルでも、ネットでは「いいね!」が押され、コメントがリツイートされて、全国に「感情」が共有されていきます。しかも、即座にこの「感情」は増幅され、大きな波となって攻撃対象となる人を襲うことになるのです。

コロナは今回で完全に終息するわけではありません。数年にわたり、感染の波が何度も繰り返されていくものと思われます。

これまで以上に、安全や安心が保証されない社会になると思われます。

そういった社会では、いつ〝ゆがんだ正義感〞が暴走してもおかしくない状況が続くわけです。

全国で緊急事態宣言が解除されても、潜在的な「不安」や「不満」はくすぶり続けます。その感情エネルギーは、自粛警察とは別の形となって、これからも現れ続ける。それを忘れてはならないのです。」

 ◇どうして寛容になれないのか?

――〝ゆがんだ正義感〞と対極にあるのは、他者を認める〝共生の理念〞だろう。

互いを認め合い、住みよい社会を形成していくために必要なこととは何だろうか。

 

※「正義」の理念だろ! まさに他者を認める〝共生の理念〞が未熟だからだよ 本人の思い込みがすべて正義とは限らない。

個々の考えを「正義」と結びつけることが間違いだ! 正義は簡単に成就できるものでは無い! 

未成熟な人間は、誰でも間違えを犯す。「崇高な精神」の育成だろう!

 

(梅谷)私たちが今暮らしているネット社会は、誕生してまだ数十年もたたない『新しい社会』です。基本的に自由で束縛が少なく、世界中の人たちとすぐにつながることができる環境です。

しかし同時に、実社会でのルールや規範が通じない部分も多い。その意味では、まだ『未成熟な社会』です。

一見、「正しくみえる行為」が、突然暴走して多くの人を傷つけたり、苦しめたりする凶器になりかねません

 

※正しい「正義」の理念が個々に認識されていないからだろ 国民が未成熟だからだよ 教育者もね

 

自粛警察はあくまでも個人的な行為であって、本当の警察ではありません。

それを忘れないようにしないと、いとも簡単に〝ゆがんだ正義感〞のワナに落ちてしまうのです。

そうならないためには、時代に合わせて必要な範囲での法律の整備も検討されるべき課題なのかもしれません。

〝ゆがんだ正義感〞を振りかざす人は、自分は間違っていないと信じ込んでいて、なかなか他人の声を聞き入れないのが特徴です。

 

※正しい正義感をもった人間も頑固さはあるけどね、寛容でもある。常に自己検証するから他人の意見も聞くけどね。

 

従って、その信念を変えることはきわめて難しいといえるでしょう。

それでも、その人たちに伝えたいのは、『ちょっと立ち止まって〝正義感の束縛〞から逃れてみたらどうだろう?』という問いかけです。

 

※自己の正義感だけに囚われず、社会正義に照らして検証するってことだろ

 

感情をそのまま行動に移すのではなく、もう一度考えてみる。自分の考えは正しいのか、もっといい意見はないのか。間違っていると指摘されたら何が問題なのか。信頼できる人と話し合い、異なった意見を吟味してみる

自分の「正しさ」が通用する範囲を広げすぎないことが大切です。

さらに、最初の考え方が間違っていると感じたらすぐに改める。

こうしたことの繰り返しこそが、私たちの「正義感」を鍛える唯一の方法だと思います。

私たち日本人は、お互いに「共感」し合い、助け合って生きることが得意な民族です。だから、罰則を伴わない「自粛」対応で、新規感染者を減らせるレベルまでがんばってこられました。

その「共感」のエネルギーを「私刑」や「魔女狩り」というような行為に振り向けず、理性ある人間らしい対応を心がける。

そのことが今の時代にはとても大切ではないかと思うのです。

 

※実力行使の私的制裁は正義に非ずと定義すべきだね 意見は許されるけどね

 

梅谷薫氏の記載内容は、中野信子脳科学者らが記載している文章と似ているけどね、意味が全く逆だね。

〝ゆがんだ正義感〞と定義しているから理に適っているけどね 「正義中毒」と呼称すると意味が変わってしまうね

「正義とは」「社会正義とは」「正しい正義感とは」の説明が最初に無いと、正確な意味が通じないね

中野信子脳科学者らが記載している文章には「正義感の強い人」は社会悪になる記述があるけどね、「正義」が誤認されるよ。

「正義中毒」ではなく「歪んだ正義感の強い人」の問題点と言えば分かるけどね、梅谷薫氏の文章を誤解したのかね?

正しい正義感の強い人を育てるってのが教育の目標でもある筈だろ 梅谷薫氏の文章なら違和感はないけどね

他の脳科学者らの主張は国民に誤解を与えるからね 「正義感の強い人」は「不正義な人」との判断は間違っているよ

即刻、説明文を追加して、正義を冒涜することなく、正義感を強く抱くことを賛美しないとね 否定しては駄目だよ

学者としての見識のある方々は「正義」とは「正しい正義感とは」を明確に国民に示すべきだね 倫理、道徳教育だろ!

「正義」を冒涜する表現や悪行と誤認させる使い方は厳禁だろ! 

 

世の中のビジネスは詐欺的になってるからね。嘘をついても、騙してでもビジネスを成功させるって考えが蔓延っているよ

金儲けは正義の真反対の言動を営業テクニックとして受け入れているからね。正義感は嫌われるよ。

真実を伝えずに、誤認させたままビジネスを成立させるよ 「嘘も方便」と正当化するよ

意味は全く違うけどね ビジネスの為なら手段として何時しか常態化してるね

「嘘も方便」とは、『他人のための善』でもあれば許される。

「ものごとがスムーズに運ぶためには、嘘が必要なこともある」とか、「大きな善行を成し遂げるためなら、小さな非行は許される」という意味

つまり「目的を達成するための使う便宜的な手段」だが、あくまでも「相手の利益」になることを前提に、やんわりと嘘を肯定している表現。必要悪

金儲けの為の「嘘も方便」は許されない! コンプライアンスの問題だ!

正義感を否定する脳科学者らは、上司の命令に従順な部下を賛美しているとしか思えない!

まるで、猛烈社員の意識改革教育をした「新入社員教育」の方針を正当化しているとしか思えない 正義感が邪魔をするからね

「長いものには巻かれろ 」

目上の者や勢力の強い相手とは争わないで、それに従った方が得策だ!

力のある者には従ったほうが得策である。

自分の手に負えないほど長いものには、逆っても無駄だからおとなしく従ってしまったほうがいい等々。

強い権力を持つ者や、強大な勢力を持つ者には、敵対せず傘下に入って従っておいたほうがよい、といった処世術。

ビジネスの為なら不正にも目を瞑り「上司の指示に従順であれ!」って社員教育だね

脳科学者らが「正義感の強い人」は厄介な奴って卑下する要因だろ 扱い難い問題児って断定だね

「嘘つき世渡り上手/嘘は世の宝/嘘も重宝/嘘も追従も世渡り/嘘も誠も話の手管/嘘をつかねば仏になれぬ 」ですかね?

正義感は邪魔にされるね!

脳科学者らは

「君子危うきに近寄らず!」 「賢人は危きを見ず.聖人は危きに寄らず」かな

教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、あえて危険なところには近づかないということ。

不正に目を瞑り逃げるってことでは無いからね。逃げ口上の正当化でも「軽はずみに介入はしない」ってことだろ

たとえ富と名声がある人でも、争いを好むような者とは親しくならない

「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと 正義を認識できる人だろ

脳科学者らは

「義を見てせざるは勇無きなり」でも「触らぬ神に祟りなし」と逃げだすことを称賛するんだろうね

賢人は危きを見ず」と見て見ぬふりですか! 臆病者の逃げ口上だよ、君子の本質ではない。

 

「崇高な精神」     けだかく尊いこと。また、そのさま。

他の人や物事のために自分を犠牲にできる態度のこと

「崇高な精神 ・ 犠牲的精神 ・ 慈善の精神 ・ 献身的姿勢 ・ 利他主義 ・ 自己犠牲の精神 ・ 滅私奉公 ・ 殉教者精神 ・ 自己犠牲の心 ・ 献身的な姿勢 ・ 献身的な態度

一身を投げうつ ・ 尽くす ・ 骨身を削る ・ 利他主義 ・ 厭わない ・ 自らを捧げる ・ 救世の思い ・ 命を懸ける ・ 献身 ・ 無私無欲で ・ 崇高な精神 ・ 貢献 ・ 犠牲的精神 ・ 慈善の精神 ・ 尽力 ・ 奉仕する ・ 義勇 ・ 博愛主義 ・ 愛 ・ 自己犠牲」

脳科学者らは、「崇高な精神」も美徳とせず、物欲主義に反する、厄介な精神と言われそうだね! 国賊かね

 

7日

それにしても脳科学者って輩は何を研究しているのかね 脳のメカニズムでも研究しているんなら分かるけどね

人の人格に踏み込んで勝手な理屈を振りかざすからね 偏った遊びのない科学脳の方が変人だよ 経験に勝るものは無しだよ

広い視野の無い思考で人格を決めつけて欲しくはないね 俺はギャンブル中毒症かね? 競馬の研究者としてはキャリアがあるよ

馬の調教など見なくても馬の能力を査定している 競馬の研究者と言えば中毒症とは言えないだろ 肩書なんて糞くらえだ!

末端で生きてる人間は、理不尽なことで抑圧されている人間は山ほどいるんだ! 無知だから騙されるってことも多い

騙されたり、無知だから損をするような状況にでくわせば、見て見ぬふりはできなくなる。迷惑そうな顔をすればやめるよ

藁をも縋るような反応をすれば、俺なりの分析を語るよ。それから先は本人次第だよ。 頼まれれば手助けをする。

火中の栗を拾うようなもんで、みかえりなんて期待できるものでは無い! 弱者だから困っているんだからね

感謝されることは多いけどね たまたま出会いがあり、知り得た知識と経験でお役に立てたってことだよ 

「情けは人の為ならず」俺自身も人の情けで助かったことは山ほどあるからね 「同情するなら金をくれ!」って奴には関与しないよ

「正義感の強い男」は俺の教育方針だよ 世間を生き難いことも覚悟の上だよ それでも「正義は人の道」 

「正義中毒」なんて揶揄した言葉は許せないよ ギャンブル中毒症と病的に扱うな! 「正義感の強い人」の人格否定は許せない!

無能学者が理論立てて説明してみろ お前らに無い正義感とは如何なるものかをね 国家を反覆する精神とでも言うのかい!



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