サラリーマン時代に、業界雑誌や新聞によく、光と影という表現を見た記憶がある。複眼的な見方で、深い洞察力を暗示しているようで、思わずその記事を読んだりした。
影が深いほど、光の有難さに結びつく。
罪悪感、罪責感といえば、ゴヤが描いた「わが子を食らうサトゥルヌス」を思い出す。大学生の時に見たゴヤ展の印象は強烈であった。サトゥルヌス(クロノス)の表情は罪悪感に満ちていた。
罪悪感は何であろうか、反動形成や合理化といった心の防衛機制を張り巡らせる最たるものなのだろう。そんな暗い時でもリラックスしていると無意識の世界からであろうか、ふっと薄っぺらい自尊心に気づかせてくれたりするメッセージが訪れることがある。不思議な時である。
ゼウスによって、サトゥルヌスは最後には食らったわが子を吐き出すことになるが、何か希望を感じさせてくれる。
どうしようもない罪悪感に苛まれても、解釈次第で愛とゆるしの世界に繋がるように思える。
<罪の問題4/4>
人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!