イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

キャリアパスという岩!

2008-06-20 | 第七章「光と復活体」

 竹中平蔵元蔵相のインタビューを昨晩テレビで見た。激務の中に小伝馬町の公園で、吉田松陰の碑を見てのんびりしたこと、下村治氏のこと、とても印象的であった。ただ、一番印象的だったのは、民間の会社に勤めて以来職歴は結構変わったが、自分では同じ仕事をし続けていたという発言である。

 日本も随分変わり、卒業後就職して同じ会社で定年を迎える文化が着実に無くなっていくようである。その中で、竹中元蔵相のように同じ仕事をし続け、必要に応じてスポンサーが変わる。こうした生き方が現代で主流になってきているようだ。

 就職斡旋業の思惑もあると思うが、今の世の中では、収入の面も大事にして、仕事の幅を広げるといった意味でキャリアパスという言葉があるようだ。

 さて、自分の場合はどうであるか。最近時々考えるテーマである。5年前に、28年勤めた会社を考えた末に辞めた。ただ考えた末と思ったが、実際に辞める直前には家族や職場の反対もあり、狼狽錯乱したのも事実である。28年の歳月は、予想以上で岩のようであった。

 一つの会社に勤めていると、自分の仕事の経験、キャリアの解釈がかなり紋切型になり、あたかも壊すことのできない岩のように考えられてしまう。同僚も、先輩も自分もこんなものだと思い込んでしまう。そんな文化や傾向が個人の問題とは別にあるようにも思う。

 心理学用語でいうと、自分のキャリアに関する構成概念が固くなるということだ。あたかも、その見方が真実のように思えてしまうことでもある。

 写真の岩の右側には、つつじの下のあたりに、一匹のトカゲがいる。ちょうどこのトカゲのように、岩に這いつくばって生きていたのかもしれない。

 そして、辞めて5年たった。

 今、サラリーマン生活をしていた自分を、ある程度距離を置きながら見ることができるようになった。そして、思う。自分の仕事での経験・体験は、会社や周りの評価や解釈に左右されることはない。解釈は自分で行うべきものである。

 さらに、自然体の中で体験を振り返っていくと、いろいろ観えてくる時がある。自分の現在の想いが、過去の様々な体験を再解釈し、新しい根をはっていくようでもある。

 体験の解釈は、自由にできるものなのである!

<岩1/4>

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